占領下の抵抗(注 ⅲ)

志賀はこの座談会で、アルファベットが、26字であることの利点を強調しています。それであれば尚の事、英語で構わない筈です。ローマ字については、長年の普及運動があったにも関わらず広まらないのは

致命的欠点があるのではないか

『国語問題』[1]

と、志賀は否定的ですが、英語については述べていません。

さらに志賀は

「たとえば尺貫法をメートル法に直したために、ずッと子供達の算術が進んだといふからね。」

「志賀氏を囲んでの芸術夜話』[2]

とメートル法をアルファベットに類比させています。
この類比は、『国語問題』と谷崎潤一郎との対談(『文藝放談』 [2])でも述べられていて、一貫しています。メートル法がフランスによって生み出され、広まった事を考えれば、そのようなフランスの国際性(アメリカに対抗できる力)を念頭に置いているのだと思います。
フランスは、ドイツ占領時には、分割統治の一角を占めましたが、日本の分割統治が画策された時には、そこから外れています。
そこまでの事実は知らなくとも、フランスを日本の占領政策に強く導き入れることは、ポツダム会談ポツダム宣言に関わったアメリカ・イギリス・ソ連・中国とは違う軸を持ち込むことであったろうことは、想像できたのではないかと思います。
しかし、11年後の座談会で、このような事を強調しても仕方がない事は確かです。

これは、辰野隆に

「『いつそフランス語にしちやえばいい』という冗談まじりの意見を出しましたね。」

『志賀氏を囲んでの芸術夜話』[2]

と言われて、思わず出た発言だと思われます。

「あれはみんな、僕が何か思ひつきでさう云つたと思われているんだが、さうぢやないんだよ」

『志賀氏を囲んでの芸術夜話』[2]

と話し始め、26字の利点のくだりの後

「といつても今はもう駄目だが、戦後なら」

『志賀氏を囲んでの芸術夜話』[2]

と残念そうに言っています。



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