占領下の抵抗( 注 ⅸ)

加藤三重子『志賀直哉の「国語問題」の政治学』 [58]の中で志賀が自分は日本語を使い続けると対談(『文芸放談』 [2])で言っていることをもって、志賀がフランス語/日本語の二層構造を想定しているではなかと論じています。私の場合の二重構造は『国語問題』で志賀が終始「日本の国語」を問題としていることから、志賀が母語としての日本語の使用を全否定したわけではないと推論したに過ぎません。
外国語と母語が併存した実例としてはフィリピンが考えられます。
フィリピンにおける教授語としての英語の導入と母語との関連と歴史については岡田泰平著『「恩恵の論理」と植民地−アメリカ植民地期の教育とその遺制−』が詳しい。 [52]

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