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依存する者の弱さ~セネカ~

『奴隷でない者がいたら教えてくれ!
あるものは肉欲、あるものは金銭欲、あるものは権力良くの奴隷であり、
そして誰もが恐れや不安の奴隷である。
私が知るある会社員は社会の奴隷であり、ある億万長者は掃除婦の奴隷である。
自ら進んで奴隷になるほどみじめなものはない。』
~セネカ「倫理書簡集」~

今日の言葉で胸にグサッと刺さったのが、
『毎日の習慣が乱されることにより不快な状況に追い込まれてしまう。』
の言葉だ。
自分は習慣の奴隷になっているのではないか?
自己の成長と精神の成熟を目的として行っている習慣が、
気が付けば習慣の実施を目的になっていないだろうか?
自分が主人で習慣が従属、本来はこうあるべきなのに、
習慣が主人で自分が従属、だから主人のいう通りにできないと心像が拉致される。
目的を見失ってはいけない。

アドラー先生も『承認欲求を捨てよ』と言う。
エピクテトス先生も『「私は美しい馬を持っている」と言うな』とおっしゃられている。
習慣の実施そのものを自慢してはいけない。
習慣自体は素晴らしいが、実施している「自分」が素晴らしいと勘違いしてはいけない。
自分自身の善は習慣そのものではなく、習慣によって、経験によって培われた
「心像を正しく用いる」能力である。
漫然と習慣を実施していないか?
自分の心や意識の働きが正しいか判断すること。
自己欺瞞に陥らないことが肝要である。

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