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『ロッキンユー!!!』道の分岐とジブンガタリ

自分には絵の才能がない、と気づいたのは高校1年生の時だった。中学の時からイラストが好きで、将来は絵を描く仕事がしたいと思っていたが、高校に入ってすぐの美術の時間にそれは吹き飛んでしまった。まだ名前も知らない同級生が隣で描いている彫像のスケッチが、まるで画用紙の中に本物が存在しているように見えたのだ。
その時、立体を捉える能力は人によって差があり、自分にはその差を埋めるほどの努力はできないと感じてしまったのだった。

得意なものは見つからないが、表現をしたい。そして何者かになりたかった。大学卒業後に入った地元の映画会社を1年で辞めて上京して、アニメ制作会社、デザイン会社を経て、アニメ誌編集部に入り、ようやくライターになることができた。私の感覚では「ようやく」だけれども、卒業後3年でライターになったのは、わりと展開が早かったのかもしれない。

ライターになってからもう20年以上になる。出版・マスコミは志望者が多い上に流動的な業界だ。一度編集部に居着いた人でも半年ぐらいしていなくなったり、異分野のライターになったり、編集者などの仕事に就くため就職した人も多い。当時編集部に出入りしていた大勢のライター仲間もそれぞれに道が分かれていった。

私はなぜここに残ったのだろう? 
何かを選ぶということは、もう片方の別の可能性を断ち切ることだ。最終的には誰もが自分の道をみつけて歩んでいくことになるが、フリーランスのライターの場合はとにかく道の分岐が多種多様だ。自分の道を探している最中に、別の可能性を持っている他人の姿がちらつく。他人を見ると“選ばなかった選択肢”が見えて、自分の道はこれで良かったのかと自分に問いかけることもあった。

「何者かになる」という高校時代の夢は、今になって「人は誰もが何者かになる」という認識で叶えられた。どの仕事にもみな責任があり楽しさがある。雑誌に載る人がスゴイと思っていた高校時代の自分の考えは、今思うと浅はかで無邪気すぎて気が遠くなる。

長く仕事を続けてきて、自分はスポットライトを浴びる人ではなく、「現象」に対していい感じにライトをあてる人になりたいのだと気がついた。できればまったくの黒子、詠み人知らずではなく、誰かの印象に残るものが、自分の名前で書けたら嬉しいという欲求がある。

自分はこれからどこに向かうのか? 未だわからないままだ。いつも道の途中にいて、前方は霧で見えなくて、他人を見てはふらふらする。夢を追っている10代の頃からまるで変わっていない。

 *  *  *
マンガ『ロッキンユー!!!』(石川香織/「ジャンプ+」連載)は、そんな私の心を刺してきた。
舞台は高校のロック研究会。一年生のたかしは、部活レクで聴いた不二美アキラの演奏が心に刺さり、ロッ研に入部。初心者にも関わらず(だからか)、アキラとバンドを組みたいと願い出た。

アキラは曲作りの才能がありギターテクニックもかなりの上級者だ。ところが彼は、一度結成したバンドが解散したことで大きな挫折感とジレンマを抱えていた。
万人受けする聴き心地が良い曲は、自分が目指すロックではない。
けれども会場を熱狂させたい。
「自分の表現が大衆にわかるレベルでは嫌だ」という屈折した思いを抱えているアキラは、たかしの申し出を一度は断ろうとする。

物語が進むと、たかしとアキラ、そしてひろきとリョウマが加わって結成したバンド「春の感傷」に、ライバルの千明が立ちはだかる。千明はアキラがいたバンド「invain」の元メンバー。「invain」が解散した後に、売れ線要素で固めたバンドを組んでいる。

面白いのは、相手を苦々しく思っているのがアキラの側だけではないことだ。
もはや売れっ子になった千明は、いまだアキラに執着を見せる。同じ学校の同じクラスに復学してアキラを挑発する千明。彼は才能あるアキラが売れ線を目指さないことに批判的だ。アキラと新バンドを組んだたかしに対しても、自分の力を見せつけてアキラと組むことを諦めさせようとする。

千明のアキラへの執着は、アキラが“自分が選ばなかった選択肢”を提示するからではないかと思う。自分が好きな音楽だけを自分の思うまま演奏するだけで、万人に受け入れられるはずがない。だから千明は「好きにこだわる」ことを切り捨て、「観客の多さ」を取ったのだ。

『ロッキンユー!!!』からは2つのテーマが感じ取れた。「己の道を探し続ける」ことと「輝かしいものに手を伸ばす」ことだ。様々な道の分岐に立っている彼らだが、作品として魅力的なのは、彼らがどの道を選ぶかに正解を作らず、あがいている姿そのものにスポットを当てているところだと思う。
輝かしいものに心を射貫かれ、狂おしく手を伸ばして己を追い込んでいく。道半ばに立つ者だけが持つ美しさが、マンガの見開きいっぱいに特大ゴシック文字とともに描かれている。

たかしは、千明の演奏と会場の歓声を目の当たりにしたことで素人同然である自分の立ち位置を知るが、それでもあきらめなようとはしない。

才能を持つアキラは、なぜ、たかしと組むことを選んだのか?

作中のイメージシーンとして、たかしと出会ってから少しずつ変わっていくアキラが、もうひとりの自分と対峙するシーンがある。もうひとりの自分は、作る曲が変わった、前の方がよかった、つまり自分が新たなバンド仲間を得て「日和った」のではないかと語りかける。けれどもアキラは、もう一人の自分にこう返すのだ。「何でもウメーウメーって食ってるバカ(=たかし)を見ると、どうでもよくなってくるわ」。

アキラは自問自答の果てに、自分も所詮人と繋がりを持ちたい「ザコ」だったという答えを発見する。
アキラは私たち読者のかつての姿とも言えるだろう。
「特別な存在でいたかった10代の自分」(※書いてて即死…!)
……を抱えた私たちの心臓を容赦なくチクチクと刺してくるところが『ロッキンユー!!!』の魅力なのだ。

アキラの曲として登場した、彼の心情を表す言葉がある。
「99人に無視されて1人に刺したい」。
たかしは、対になる言葉をアキラにぶつけている。
アキラの曲が好きだから「オレは100人に刺したい」。

本作で描かれるのは才能の有無ではなく、表現者としてどうありたいかだ。
唯一の正解は存在しない。答えは自分自身がもがいて何かを捨て何かを選択した結果でしか得られない質のものだ。

田舎の一高校生バンドが、輝きを求めてギリギリまで手を伸ばす姿が、私にはまぶしく愛おしい。彼らの前には、選ぶ道と選ばなかった道の両方が広がっている。

アキラたちが立っている場所は、かつての自分自身の出発点なのだ。


※【画像】『ロッキンユー』第1話より。本作は、2019年4月6日(土)深夜0時に「ジャンプ+」の連載が最終回を迎える。以降も、作者個人の場で描いていくとのこと。

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