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Vol.5: 絵画鑑賞ルーキーの悩みと理想

1ヶ月のイースターブレイク。

最近行ったラトビア、エストニア旅は間違いなくセンセーショナルな旅でした。
同じバルトの国なのに違いしかない
ヨーロッパの広さと深さにどっぷり触れることができました。

バルトの国への旅、かなりおすすめです。



ここから話ががらりと変わりますが、
私はイギリスに留学して、「絵画鑑賞」にのめり込みかけてます。

・出会った絵画に一目惚れする際のイナズマが走るような感情
・気に入った絵から目が離せないときの感情
は何事にも代えられませんね。

その反面、絵画鑑賞をしている際、悩むこともあります。

権威の落とし穴

美術館に行く主な理由として挙げられるのが、
知名度が高い絵、歴史的に価値がある絵を見に行く」

間違いなく自分もその一人です。
ダヴィンチのモナ・リザ、ゴッホのひまわり等、有名な絵に触れに行くのは当然のことですよね。

やっぱりそのような絵って素晴らしい。有名な絵画には有名になる理由があることがものすごく伝わってきます。

ただ、やはり有名な絵画を無意識的に高く評価してしまう

  • 目玉の絵画があるフロアに行く途中にある絵の鑑賞時間が明らかに少なかったり、

  • 知名度の低い美術館に行った際、その絵のよさを追究しようとするモチベーションが少なかったり。

権威、名声、歴史的意義の影響はどうしても大きく、それによって、
比較的脚光を浴びていない絵のよさに気づく機会をかなり失っている気が。

上記のことをメタ認知したとき、鑑賞者としてまだまだ未熟だなあ、とやり場のない気持ちになります。



画家にも役目があるように鑑賞者にも役目があると感じます。
それは「脚光を浴びきれていない絵画のよさに気づくこと」だと思います。

歴史を振り返っても、絵画が有名になる過程の中に常に存在しているのが鑑賞者の評価です。


私たちは「過去の人の評価によって有名になった絵画」を見に美術館に行きます。
しかし、微力ではありますが現代の鑑賞者も「見た絵画の知名度を上げ、その絵をより有名にできる」ポテンシャルがあるのではないかと。

大げさかもしれませんが要するに、今を生きている私たちも、これからの美術史を作る重要なピースになることができるということです。


絵画鑑賞の理想


有名な絵画のみならず、
・比較的に知名度が低い絵画
・脚光をまだ浴びていない画家の絵

のような箔がついていない絵画にもしっかり目を向けられるような鑑賞をできるようになりたい。
まだ多くの人々に知られていない絵画を発掘し、そのよさを広げられるような鑑賞者になりたい。

そんなことができる鑑賞者って画家にとって仏様のような存在だろうし、何年も何十年も鑑賞を続けてこそできるようになることだと思います。

まだまだ鑑賞1年目のルーキーですが、理想の鑑賞者になるためもっともっといろんな絵画に触れていこうと思います。
以上っ!

タルトゥ美術館にて(エストニア)。


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