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「鉛を抱き、我はゆく③」

その年の梅雨、どこかの国の狂った統領が、
もはや目的の見えない戦争の出口を見失っていた頃


Kは、かかりつけの婦人科に久々に訪れようとしていた。

15年ほど前に、このあたりに住んでおり、なかなか女にとっては変え難い婦人科を、引っ越しの後もこの地に通い続けるに至る。


バスの中から、昔住んだアパートが見えた。

今はもう築30年は下らないだろうが、あの頃とそう変わらない建物の様子に、
小さいながら管理の行き届いた物件なのだと今になって気付く。

小さかった娘たち、季節のイベントのあれこれ、夫の転職や、新車が届いた日…

そこに住んでいた頃の、とりわけ幸福な思い出ばかりが胸に込み上げてきて、
迂闊にも涙がじんわり浮かび上がり、見える景色を滲ませた。


あのアパートから数えて、Kは3度目の引っ越しを間も無くしようとしている。

ついに破綻を迎えた家族から、1人去るしか道がないのだと認めざるをえず、
ちょうどこの日に新しい住まいの審査に申し込みをした。


幼い頃から転勤族で、思えば引っ越しの多い人生だった。

今の住まいは別れた夫名義で買った分譲マンションで、なんだかんだと12年、
生まれてから一番長く暮らしたことになる。

ここ2年は元夫とは完全に家庭内別居状態、会話はおろか、顔を見た記憶すらない。
事務連絡はLINEで済ませ、互いに居ないことを見計らってリビングを使う。
娘2人も共棲みする家庭としてはゾッとするような奇妙な日々が続いていた。

家族のそれぞれがそれ相当のストレスを抱えた日々であったろう。
しかしそんな不気味な日々が始まる前から、破綻の予兆の見える暮らしがしばらく続いていた。

冷戦の前は紛争期があっただけで、結局は穏やかな家庭であったことなどなかったのだ。
どの道遅かれ早かれ別れはきていただろうが、それを完全に認めたのが2年前だっただけだ。

不気味な日々を娘たちに対しては申し訳なく思うが、夫と接触しないおかげでKは不幸せながらも確実に前に進む準備をすることができた。


資格をとり、学校に入り、仕事を変え、ついには住まいも見つけた。


夫もまた、妻と接していた頃の、1ヶ月に1度ないし2度は激昂し罵詈雑言を発していた状態から抜け出し血圧も下がったに違いない。

とうに普通の家庭ではないが、家から怒声が消えた効能は大きい。

KはKで大の大人から定期的に怒鳴られ、人格を否定され、自分を失い続ける日々を抜け出し、不幸度は増したが虚しくはなくなった。


虚しさは不幸より自尊心を傷つけるのだと知った。


言わばK達夫婦のこの冷たい日々は、互いの次の人生へ進むための
最後の共同作業、いや共犯作業であった。

娘たちには親の勝手で迷惑をかけたが、独立を決意した時の計画は5カ年だったところを、2年でカタをつけたのだからこれでも巻いた方である。

世の中には10年20年と家庭内別居や仮面夫婦を続ける猛者がいると聞くが、
実際やってみると彼等のメンタリティの強さに舌を巻く。

Kは2年で限界であった。こんな生活があと3年も続いたら頭が文字通りの真っ白になるか、癌になるに違いない。

家庭内で無視や見て見ぬふりがデフォルトとなり、陰気で包まれ、温かさや思いやりが失われ、それに各人が着々と適応していく不健全さといったらなかった。


本当に壊れきってしまった。
家族の関係性だけでなく、家の中の様相も、精神を反映するかのようにすっかり澱んでいた。
罪を作ったが、避けられなかったのだとKは思う。
誰にでも罪はあるのだ。

誰も不幸を目指して家庭を作るなぞしないのに、少なからず頭の中にあった理想的な家族の形とは随分と遠いところまで来てしまった。


元夫は相変わらず自室に引きこもる生活を続けている。
Kの方から話しをすることをやめた2年前から現在までとうとう、
夫の方から話し合いをする意思は見られなかった。

大きくはない財産の分与についても、今後の娘たちの養育についても、
KがLINEで提案する事項に同意するだけである。

Kが出て行った暁には、リビングで堂々とテレビを見て、アイロンがけをし、
娘たちのために日々の食事を拵えるのであろう。

何かにつけて早く出て行けと言う次女も同様に、母親の消えたリビングで
清々しく一日中スマホを触るのであろう。

人生の何某かを悟った長女は、淡々と学業をこなしさっさと社会に出ていくだろう。


あと少し隠れていれば、勝手に引っ越して居なくなってくれる妻。
夫は最後まで、向き合わないやり方を通しきり、娘も家も自分のものにした。


彼は妻がいなくなり、今より幸せになるのだろうか。伸び伸びとするだろうか。


考えても意味のないことを考えながら、Kは前に進むしかない自分の未来に恐怖を覚える。

家族に嫌われ、友達もおらず、誰も訪ねて来ない、孤独な独居老人になる覚悟はできている。それでもいいからこの家を出たかった。


孤独と引き換えに手に入る何かを、Kは見てみたかった。


自分の選択と覚悟に責任を持てるのか。
確かめるための日々がこれから始まる。

梅雨だとは思えないギラギラとした明るい日差しが、バスの窓から差し込んでいる。
Kはそれとは正反対の、薄暗い影が自分を纏っている感覚を何年も持ち続けている。


婦人科の検診が終わり、自宅に戻ったら、珍しく娘たちが揃って帰宅していた。


「今日外にご飯食べに行かない?」

ふと思い付きで誘ってみるK

「いいよ」と長女

次女は返事をしないが、断らないのは承知の意である。


いつぶりか思い出せないほど、久々に娘二人との思いがけない外食となった。


あと何回、娘たちとこうした食事ができるだろう。

貴重な今日を、できるだけ楽しもうとKは思う。


これで最後かもしれぬと思いながら食べる近所の蕎麦屋の鴨汁せいろは、
とびきり美味であった。


まだまだ楽しいことがこれから待っている。
未来への不安と同じ分量だけ抱く人生への期待が、にわかに湧いてきた。

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