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「千年女優」 今敏監督 初恋という病魔

「その愛は狂気にも似ている」

これは本作につけられたキャッチコピーだそうだ。
かなり強烈な印象を残す言葉である。

しかし、この映画を観ていると、この斬新な宣伝文句が身にしみて感じられることだろう。

よく虚実を曖昧にする方法論は映画で取り上げられる手法である。

本作も一応はその手法に則って進行していく。
しかし、本作の面白いところは、虚構と現実が入り乱れながらもしっかりシームレスにつながってラストシーンまで展開されていくところにある。

「恋は盲目」などという言葉は、シェイクスピアの受け売り文句だが、本作にはこのワードがパズルのピースのようにピッタリと当てはまるように思う。

「千年女優」というタイトルの通り、少女時代に出会った名も知らない初恋の相手を戦国時代から果ては宇宙時代まで、時を跨ぎながらその影を追い続ける。

まさに「恋は盲目」、「愛は狂気にも似ている」とはこの作品の格をしっかり表している。

もちろん、実際に戦国から宇宙まで時を超えているわけではない。あくまでも女優として作品の中で演じている話である。

この虚実入り乱れた構造が、アニメーションでしか描けない、唯一無二の作品へと本作を押し上げている。

現実と虚構が曖昧になっていく構造的な仕掛けは、今敏作品において、その後の「パプリカ」で頂点を極めている。

「パプリカ」はオリジナルではないものの、のちの映画界において多大な影響を及ぼした名作である。

その苗芽がこの作品で垣間見れる。

「パプリカ」は個人的にマイベストムービーの一つに数えているので、その根源のような作品に今回出会えたのは僥倖であった。

リアルとイメージの世界とは、現実と映画の世界とも言える。

それは決して曖昧模糊とした関係ではない。はっきりと私たちは区別して生きている。

だが、時として映画は現実の私たちに思いもしなかったアイディアや示唆を与えてくれたりする。

そういう意味では、この二つはどこかで密接につながっているのだろう。

映画は現実を模倣する。そんな表現もできるかもしれない。

この作品は、そんな映画と私たちとの関わり方も示唆してくれる。

今回はなかなか考えがまとまらず拙い、そしていつもより短い文章になってしまった。魅力を十分に伝えきれないのがなんとも悔しい限りだ。

Netflixでの配信が今月いっぱいまでなので、勢い込んでみたものの、この作品を読者にどのように紹介すべきか非常に悩ましい。しかし、作品自体は文句のつけようがなく素晴らしい。

それは評価にも表れていて、文化庁メディア芸術祭アニメーション部門大賞を、あの「千と千尋の神隠し」と共に同時受賞している。

しかし「千と千尋〜」の爆発的な大ヒットによって影が薄まった感は否めない。

それもしかたなきことであろう。相手はあの宮崎駿である。今敏は当時アニメ監督としてはまだまだ新人監督という立場。当然注目度は高くない。

だが、今敏がご存命で、その後も精力的に作品を発表していったならば、宮崎駿をも凌ぐかそれに並び立つ存在になっていたのではないかと本気で想像する。

以前もどこかで書き記したかと思うが、もっとこの人の作品が観たかったとつくづく思う。

おそらくそう思うファンは筆者だけではないはず。
そんな虚構を夢想しつつ、本稿の結びとしたい。

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