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「怪物」 是枝裕和監督 誰かのための幸せなんて幸せじゃない

大きな湖のある郊外の街
息子を愛するシングルマザー、
生徒思いの小学校教師、そして無邪気な子供たち。
それはよくある子供同士のケンカに見えた。
しかし、彼らの食い違う主張は次第に社会やメディアを巻き込み、
大事になっていく。
そしてある嵐の朝、子供たちは忽然と姿を消した。


 極力ネタバレは避けてレビューしてきた本ブログ。
今回も未見の方のために種明かしは無しでお届けしたい。

しかし、そうなると今回はかなり筆者の感じるままの赤裸々な回となるでしょう。

それだけ、本作はそこかしこに物語的に重要な要素が散りばめられている。
そこに少しでも触れようものなら、たちまち仕掛けられた種は明かされてしまい、未見の方にとっては初見の印象が変わってしまうかもしれない。

なので、もし未見の方はこれすらも読んでほしくない。偏見や予備知識なしでぜひ鑑賞いただきたい。そして観終わった後、もし気が向いたら本稿をお読みいただきたい。

「怪物だーれだ」という台詞は、予告映像などでも印象的に使用されている。
「怪物」とは誰で、何が「怪物」とされているのか。そんな疑問が湧いてくる。
そして、「怪物」とは果たして何なのかという問題を提示しながら、本作に横たわるのは非常にセンシティブな事柄である。

「モンスターペアレンツ」などという言葉が使われ始めて久しい現代。
学校という場所は、いじめ、体罰、先生の素行など、ネガティブな要素を過剰に恐れるようになった。
「モンスターペアレンツ」も、そんな社会的な変容の中で生まれてきた、ネガティブワードの一つだろう。

安藤サクラ演じるシングルマザーは、息子に対する担任の指導に疑問を呈する。
それに対する学校や担任教師の対応は非常におざなりで、誠意に欠くものである。
この前半パートをだけを見ると、「モンスターペアレンツ」という見方はできない。完全に学校側が悪者であるという印象を受ける。

しかし、この時点では真相は何も見えていない。なので、一概に善悪の判断がつけられない。
モンスターペアレンツの問題や前述したいじめ、体罰などの暗い影が漂っている。

物語中盤は、永山瑛太演じる担任教師の視点で語られていく。
本人インタビューでも語っていたが、罠か運命によって追い詰められていく担任教師の様相は前半までの物語のイメージを一気に覆す役割を果たす。

学校側からの視点で見れば、シングルマザーの女はモンスターペアレンツのそれでしかない。しかしこの見方が、学校側のその場しのぎな対応に拍車をかけることになる。
その板挟みにあった担任教師は、次第に辛い状況に追い込まれていくことになる。

このパートによって全く異なった事実が明らかにされる。

観ているものは、この担任教師のように感情を翻弄される。

世間でも度々話題になる学校という組織の問題が、このパートでは詳らかにされる。


そして、物語の最終パートは二人の子供たちの視点で描かれていく。
このパートによって、物語の真相が明らかになる。

どんな結末を迎えるかはぜひ劇場で確かめてもらいたい。


今回の執筆作業は、今まで経験したことがないほど言葉に詰まってしまう。
ベタな表現を借りるなら、言葉にならない感情が湧き起こってくるということか。

この映画は人間の感情を奥深くから揺さぶってくる物語の力と、それを具現化した映像的な力、そしてそれを補強する音楽の力が備わっている。

さすがはそれを売り文句にしているだけはある。
是枝裕和、坂元裕二、坂本龍一という日本が誇るクリエイターの共演が、何とも表現し難い、しかしそれでいて観るものの感情を大いに刺激する映画が誕生した。

今回は締めの言葉すらも詰まってしまったところで最後としたい。

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