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地獄への道は善意で舗装されている

 保険診療が苦しいのは点数が低いからだと思っている先生が多いと思いますが、実は全く違います。
保険診療での一番のリスクは経営者側がステアリング(操作)できない点にあります。
 普通の商売では売手が提示した値段に納得できれば買手が付きます。高すぎたらだれも買わないし、安すぎたら儲けが出ません。売手と買手の交渉で価格が決まります。
 ところが、保険点数は経済とはかけ離れたお役所仕事で決められます。どれだけ丁寧に治療しても、良い材料を使って精度の高い治療しても、個別に判定されることはありません。決められた一律の点数で治療しなければなりません。極端な話、診療報酬を一律半額にしますって言われたら、それに従うしかないのです。経営の要である価格を決めることができないのです。

 「地獄への道は善意で舗装されている」ということわざがあります。
保険制度は歯科医師を操作するために始まったのかというと、そうではありません。すべてが善意です。保険制度が始まった当初、国民の口腔内は悲惨な状態でした。痛くてまともに噛めないだけでなく、むし歯が進行しすぎて、細菌が血管から心臓に入ることで心筋梗塞の原因となっていたのです。むし歯で死ぬ時代だったのです。歯科医療は保険が使えず、歯医者の腕もまちまちであり、呪術に毛が生えた程度と言っても過言ではない有様でした。行くも地獄、行かぬも地獄。

 この状況を何とかしなければ、と当時のお役人は考え、保険診療という画期的な制度を始めました。保険制度によって診療行為を細かく点数化することで、請求できる治療を決めたのです。
 これによって全国の歯科医院を標準化することに成功しました。地域の人をまんべんなく診察することが可能となり、国民の口腔環境は劇的に改善しました。生活の質を上げただけでなく、寿命まで伸ばすことに成功しました。歯科医師は地域で厚遇されました。歯科医師を誘致した政治家は絶賛され、選挙公約に掲げる候補者も多かったのです。

 保険システムは当時としては最高の制度だったと言えます。ですが、現在は状況が異なります。医療水準が向上し、国民の口腔環境は改善し、歯科医師は飽和状態です。そして国家予算は火の車。
当然、歯科医師を当時のように「おもてなし」する必要はありません。選挙に使えるわけでもなく、外貨を稼ぐわけでもなく、税金を使う厄介者になってしまいました。
 では保険診療をやめられるか、というと難しい現実があります。私たち歯科医師は保険診療という巨大で制御不能なシステムに依存しています。大学教育の段階でも保険診療が前提で、保険制度の治療方針で学習します。経営をしなくても保険で儲かる前提のため、医療管理学と言い換えて経済の生命線である値段とお金の話を省かれます。そもそも法律で医療は営利を目的とすることを禁止されています。つまり「保険をやらない」という選択肢は無いも同然と言えます。
 私が身をもって経験していることですが、保険診療をやめることは真っ暗な中、安全ロープのないバンジージャンプをするような勇気が必要です。今でも怖いです。

 国も保険制度をやめられません。保険システムの運営側も多くの人員が担っております。保険システムが崩壊すると多くの職員の存在意義がなくなります。さらにMRや材料機械メーカー、その下請け企業など、保険診療は利害関係が複雑怪奇に絡んでおり制御不能状態です。

 ランドセルが年々重くなっているのは体罰ではなく善意です。「もっと良い教科書をつくろう」という思いが、皮肉にも腰痛を起こしかねない重量となってしまったのです。

同様に厚労省も技官も歯科医師をいじめたいのではなく、少ない予算の中で最善を尽くそうと努力しています。しかし、国ですら保険システムという巨大で制御不能なシステムに隷属している結果、状況を好転することができず、むしろ問題をより複雑にしています。
 まさに意図せざる帰結とでも言いましょうか。誰もステアリングできない大きなシステムに取り込まれて、そこから抜け出せない状態、底なし沼のような構造的不均衡が日本の歯科医療を世界標準から大きく遅らせることになりました。点数で詳細に決めてしまった結果、昭和の時代から変化できずに自閉しているのです。予算ばかり膨張しているにも関わらず、歯科医師の収入は急降下しています。ランドセルが重くなって、足取りが遅くなるように。

 この構造的不均衡はもっと大きな日本の国家予算にも当てはまります。膨大な国債を発行して、補助金や援助をすることは、すべてが善意です。

みんなの生活を改善し豊かにしたい
経済を好転させたい
みんなが安心できる社会を実現したい

地獄への道は善意で舗装されていることを忘れてはいけません。


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