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10月7日 心の拠り所(2016)

『**(妻)さんが職場引越しのバタバタで気持ちに余裕がなく、子供達に対して怒りっぽくなっている。
**(次男)は朝怒られたようで、保育園の送りの時にいつもよりも甘えていた。
おんぶのままいつものようにぐるぐる回ってから、下ろしたら、私の方を振り返りもせずに部屋へ戻って行きました。
**(次男)は私が思っているよりもずっとたくましいのかもしれない。
心の拠り所、安心が実感できればきっとこどもたちは自力で元気にすごせるチカラをもっているのだとおもう。』

2020/10/07
きょうは水曜日。家族そろっての夕飯でした。
我が家は、平日はなかなか時間をとることが難しく、
妻は仕事帰りに実家へ寄って、
食事をおすそわけしてもらっています。
妻の実家のご両親に協力してもらい、
妻の家事の手間をすこしでも減らす作戦です。

なので、我が家には「おふくろの味」のお味噌汁が、
二種類あります。
ひとつは、妻の味付けのお味噌汁。
もうひとつは、妻の実家の味付けのお味噌汁。

じつは、もうひとつ、私の実家の、
私の母の味付けのお味噌汁というものもありますが。
(毎週土曜のお昼ご飯は、私の実家でいただいてます。)

味付けだけじゃなく、具材も異なりますね。
どれも違ったおいしさで、好みの違いはあっても、
それぞれに優劣があるわけではありません。

だから、子どもたちは、お味噌汁をはじめ、
それぞれ異なる味付けの「おなじ料理」を食べて
大きくなりました。

私は、これはとてもよいことだとおもっています。
「〇〇」といったら、当然「△△」でしょ!って
単純にひとつの自分基準だけで、決めつけられないかも?
ってことを、分かってもらえる機会になるとおもうのです。

「おなじ料理」でもいろいろな味付けがあって、
どれが好きで、どれがいまいち、とかはあったとしても、
どれが良くて、どれが悪いとかはないわけだから。

料理だけではなくて、もっといろいろなこと、
それぞれの家で、それぞれの「味」というか、
「やり方」とか「ルール」とか「価値観」とか、
本当に家の数だけあるとおもうので。

子どもたちが、ほかの人たちとのかかわりのなかで、
そういうこと(それぞれの「味」というか、「やり方」…)も
あるんだねと、気持ちに余白を残せるような人になってくれたらうれしい。

私たちの子どもたちにとって「心の拠り所」というのは、
「我が家」や「私たち家族」だけではない、とおもう。

学校や塾、習い事などでの友人関係もあるだろうし。

ほかには、
私たち夫婦が、それぞれの時間を過ごしてきた場所で、
私たち夫婦のそれぞれの実家で過ごす時間や、
それぞれの祖父母やおじやおばとのかかわりのなかで、
笑ったり、泣いたり、怒ったり、すねたり、仲直りしたりする、
面倒でも大切な時間を、それぞれの場所で過ごせていること。

いつか、子どもたちがもっと大きくなって、
なにかにとても悩んだり、とても困ったりしたとき、

その頃にはもう、私たちは直接なにかをしてあげられないとおもう。

だから、子どもたちには、
「心の拠り所」はひとつじゃない、
そう簡単に行き止まりにはならない、
いつだって、
自分を支えてくれた場所や、
自分を受け入れてくれた場所があることを、
自分の体験で「知っている」、「分かっている」と
気づいてほしいと、おもっています。

いつか、子どもたちが
私のまだ知らない、いつかの、どこかで、

自分やだれかのためにお味噌汁をつくったとき、
だれかのつくってくれたお味噌汁をのんだとき、

いつかの小さい頃の「おふくろの味」を思い出してくれたら、

それは君たちの「心の拠り所」になれていたってことで。

私…というか、君たちのお母さんやおばあちゃんたちは、
きっと、とても喜んでくれるとおもうのですよね。

…でもそれは、まだまだ、ずっと先の…
…いつかの楽しみ…まずは私が元気でいなくちゃ、ですね。