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4月15日 なぜかさみしい気持ちになっている(2013)

『【04月15日(月)】晴れ。
起床:5時30分(6h)  就寝:23時30分
・起床すると、なぜかさみしい気持ちになっている。週末が楽しかった、今週は忙しいと分かっていることへのプレッシャーのせいかもしれない。ひとつひとつ片付けていくことでしか、私は対応できないのだから、心配し過ぎはカラダに毒だぜ。
・気を取り直して、歓送迎会は出席しようとおもう。一次会だけだけどね。
・きょうは、かなりテンパっていたらしい。じっさいSさん対応、Yさん対応、お客さん対応、システムエラー対応に追われていたから気持ちもささくれだっていました。
・どうやらさみしい気持ちも、テンパりも風邪による体調不良も原因のようだ。精神にも影響がでているみたい。いまは注意して行動する必要があるな。』

2021/04/15
今朝は、目が覚めたとき、さみしい気持ちになることはなかったけれど、気持ちに余裕はありませんでした。それは、ただ二度寝したからなんだけどね。それくらいのほうが余計な心配をするひまなんてなくて、身軽になって、ちょうどいいかも、だなんてときもあったりします。

心配し過ぎはカラダに毒だぜ。”とか言いながら、私は心配し尽くしたら、すっきりして、自由でテキトーになります。

同僚にイヤな顔をされるくらい、最悪のシナリオを用意したり、思いついたりします。だいたい、いつもそこからはじめます。

おもいつく最悪への対策はできるだけ用意します。でも、おもいつく最悪にすべて対処、対策することはできません。そっちにそれたらあんなサイアク、あっちにもれたらこんなサイアク、いろんなサイアクを想定だけはしておきます。(なんとも、かなり軽く扱われている「最悪」なわけですが。)

このやり方には、良いところと悪いところがあるとおもっています。

悪いところは、いろいろな人から指摘されてきました。

「ネガティブすぎる。もっと肯定的に考えることはできないのか?」と。

「そんな考え方じゃ、新しいことも、挑戦も、うまくいくわけない」と。

そのとおりだとおもいます。( ̄▽ ̄;)

でも、私は、このネガティブで暗い考え方にも、ほんのすこしだけ良いところがある、とおもっています。

最初から、上手くやってやろう、上手くやれて当然だなんて、全然思わない、思えない状況にしちゃうので、心配し尽くしたら、ある意味気楽に動けているような気がしています。(たぶん私の勘違い)

ただ、このやり方は仕事のときと、お金の損得が発生する可能性のある比較的大きめな決断をしなくちゃいけないとき限定なので。

ふだんは(も)、本当にぐだぐだで、テキトーで、いきあたりばったり。
( ̄▽ ̄;)

もうちょっと、上手に加減して過ごせるといいのですが、不器用に過ごしております。

(またあした)

#日記 #さみしい気持ち #心配 #取り組み方


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『朝起きたとき、どんな気持ちですか?』