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地域のこと

東日本大震災の復興ボランティアで福島に通った。
だが子どもが生まれてから家を空ける事はやめて家族の時間を優先した。
ただ、復興ボラの経験を地元で活かせないかと思い防災士の資格を取った。
それが今の自分にできることだと思った。
「防災士」はただの民間の資格であって、資格を取ったからといってそこから先は何もないが、ひょんなことから公民館の館長と知り合いになり、公民館の防災講座に行った。講師がその地域のアドバイザー会の会長で紹介してもらいその会に入り、市の防災アドバイザーに認定された。その公民館の館長が異動した先から呼ばれ、防災講座をした。そしてその話が広まり、他のいくつかの公民館で話をすることになった。

この地域は大きな河川があり低い平野が広がっていて、洪水時には広域避難が必要な場所だ。避難所が遠いので、自治体からの避難指示を待っていては遅い。そして逃げる場所は避難所でなくてもいい。そんな話をした。
いわき、南相馬、閖上、亘理、荒浜、気仙沼、陸前高田、大船渡、釜石、
各地で見たあの風景は、今でも忘れられない。
公民館の担当者が言った。
「この地域で、逃げ遅れを一人も出さない」

近くのこども食堂の活動に興味があって、全く知り合いもいないがいきなり話を聞きにお手伝いに伺ったことがある。その時、代表は神様のような笑顔で話してくれた。
「この地域の子どもの貧困を少しでも軽くしたい」

私が子育て関係の団体の運営委員をしているのは、
父親同士つながりを持つこの団体が、地元の新たなネットワークになればと思ったからだ。
「この地域の子育て中の父親たちと一緒に、喜びや苦労を共有したい」

個人や家族という単位では不可能なことや解決できない問題は世の中にはたくさんあって、例えば災害や貧困や育児のことなど、たまたま問題の当事者になってしまうかもしれない。でもそんな時「地域」という人て人とのつながりが、衝撃を和らげるクッションになるのではないか、と思うし、
お互いの信頼や信用という他人との関係性が、この現代の生きにくさみたいなものを消してくれる、ような気がしている。

日本はとっくに先進国ではなく、経済が縮小し続け人口は減少し高齢者は増えていく。

「地域」というコミュニティを少しずつでも育てるこそ事が、未来へ続く道だと信じている。

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