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#85 何かをやり切った人は輝いて見える。

仕事がら沢山の若い女性と会う機会が多いが、学生時代にスポーツをある程度極めた子は、どこか輝いている気がする。

男女に関わらず、体育会系の人材は大企業でも結構人気だと聞く。特にそのスポーツで優秀な成績を収めた実績はかなり評価されるらしい。

多分そこまでの結果を出すためには、しごきに耐え、体力と共に精神力も強くなければならないからなのだろう。

そう思っていたところ、下の記事を見つけた。

どこの学校でもありそうな、代々引き継がれてきた伝統行事が、ブラックだという内容だ。

この中で私が気になったのは、太字の部分だ

「部活と同じで、そもそも朝早い時間や、放課後の活動を生徒に強制してはいけません。授業ではないのに、生徒に応援歌練習を強制するのは大問題です。そのうえ、練習は暴力的な管理方法で、明らかなパワハラ。淘汰されてしかるべき伝統です」 バンカラ文化継承のために、パワハラが許されるはずはない。

生徒への授業以外の強制はパワハラだと、この大学の先生は指摘しているのだが、そうなると授業以外の、掃除、委員会活動、クラス代表、それにそもそも制服の着用もそれが性同一性障害でなくても、嫌な生徒にとってはパワハラになり、それに従わなくても良いのではないかと、どんどん幅が広がっていくような気がする。

ならば、学校で授業さえ真面目に受けていれば、後の事に対するルールや罰則は、国の法律を適用すればすべて良いのではないか。

学校内で喧嘩が起きれば、警察を呼び、学校が法的に義務のない髪の色だとかスカートの長さとかに注文を付けてきたら、人権を裁判で争えばよいではないか。

しかし簡単にそうはならないのは、大人たち教師がいかに手を抜いて、楽をしようと学生を利用し、それに対して学生が本気で抵抗しなかったからだと思う。


私が問題にしているのは、パワハラをされて文句も言わずに従い、被害者意識の蓄積を、2度とは来ない短く大切な青春の時にする事だ。

応援歌の練習をやりたくなければ、とっとと家に帰ればいいのだ。そんな事をすればイジメに遭うので、怖くてできないという意見は当然出るだろうが、そもそもこの高校にはこういう文化があるということぐらい調べてから納得して受験すべきで、それでもこの行事には参加したくないと思えば、参加しなければいい。後の事はこの国の法律に準ずると腹をくくればいいのだ。

部活も同じである、顧問の教師が暴力を振れば、警察に被害届を出しに行けばいいのだ。そもそも練習がきつい、もう嫌だと思えば取りあえず休めばいい。それではレギュラーから外されると心配するのなら、それはそもそも実力が他者より抜きんでておらず、後は顧問の気分で変えられる程の実力差なので、顧問にすり寄ってまでレギュラーなったって、自分が出せる結果はたかが知れてるという事だ。


一流になる人は、他人の事などそもそも眼中に無い。悪い言い方をすれば、自分の事で精いっぱいなので、他人の言動や他人の評価など、意識する余裕がない。それを他人から見れば、とても冷たい嫌な奴であり、協調性がなく自分勝手だと見えるだろう。

それだけ、集中的に、何かに没頭できる。没頭することの快感を知ってしまった人なのだ。しかし、それでもその中の多くの者が、結果的には頂点に立つことはないだろうが、今までの自分の行動に満足を覚え、何事もやれば出来るという自信が身についてくるのだと思う。

他人との比較ではなく、自分が本来思っていた実力よりも上に行った時、それまでの道のりの過酷さなど、まるで思い出せなくなっているのだと思う。

その自信が表情や言動に現れ、私には、特にその様な女性が眩しく輝いて見える。




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