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我々がこのワークショップを思いついた背景

こんにちは。
皆様いかがお過ごしでしょうか。
今回は年内最後の投稿になります。

前回は我々がなぜワークショップというやり方を採用しているかについてお話ししました。

前回の記事はこちら↓

なぜワークショップなのか?:尺八といけばな|ワークショップ二人展わする|note

今回は、前回とやや重なりますが、我々がこのワークショップを思いついた背景についてお話していきます。
大きく2つの側面から考えていきたいと思います。

①一定の距離を保ちながら他のジャンルとの間で比較考察する視点
日本的芸事に携わる人々はだいたい幼少期から始めていますが、我々は大学の学部に入学してから始めました。
それによって得た視点として、一定の距離を保ってその対象と向き合えることが挙げられます。
言い換えれば、それは日本的芸事を他の芸術ジャンルとの間で相対化する視点です。
我々の長所は、尺八やいけばなといった日本的芸事が他の芸術ジャンルとどのように異なるかに目が行くことにあります。
それによって、他の芸術ジャンルと異なる日本的芸事の特徴として、学校教育において経験することが少ない点に着目することができました(詳細は前回の記事をご参照ください)。
このように、我々の場合日本的芸事を一定の距離を保って見ることでワークショップを思いついたわけです。

②日本芸事に共通するいわゆる「自演文化」
他の芸術ジャンルとの間で相対化して見ることによって、さらなる問題点にも目が行くようになりました。
それは「自演文化」というものです。
日本的芸事にはしばしば共通する文化としていわゆる「自演文化」というものがあります。
端的に言えば、おさらい会ないし発表会のようなものです。
これは実践者が普段の稽古の成果を披露するのに、自らがお金を払ってお客さんに来てもらうということを意味します。
もちろん、ピアノやバレエなどにも似たようなことはありますが、だいたいは小中学生によるものでしょう。
日本的芸事においては、自身の教室を開くレベルの人々においてもこの文化があります。
実践者としての能力としては「プロ」のレベルにもかかわらず、お客さんからお金をもらうのではなく、自らがお金を払って演奏会ないし展示会を開催するのです。
これは一方で実践者が謙虚であることを意味するでしょうが、他方で財力のある実践者しか活動を継続できないことを意味します。
「プロ」のレベルにある実践者がいつまでもお金を払って稽古の成果を披露する文化は実践者の経済面に重い負担がのしかかるため、人口が減っていくのは必至です。
この実践者の経済的負担が問題になる点に加えて、閉鎖的な世界も同時に問題点として挙げられるでしょう。
つまり、おさらい会の性質をもつ「自演文化」は、特定のコミュニティに属している人にしか開かれていません。
それゆえ、その実践者と直接関わりのない人が、演奏会や展覧会に足を運びにくくなってしまうのです。
この2つの問題を解決するには、実力のある実践者がお客さんから入場料を取るようにして、より開かれた鑑賞文化を作っていくことが必要です。
そこで我々は、自らが日本的芸事をやっていなくても鑑賞者としての一歩を踏み出せるようにするためのワークショップを思いついたわけです。

来年はより様々な角度からも投稿していこうと思っていますので、これからもよろしくお願いします。
皆様よいお年をお迎えください。

(柳川)


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