ものを生む技

ものづくりを仕事にしている人のインタビューを見ると、「こどもの頃からものづくりが好きだった」とある気がする。自分はそういう子どもではなかった。一つのことを長年続けたこともない。

こどもの時、親は仕事で日中いないので友達と外で遊ぶか、一人で家で遊ぶかだった。なけなしのお小遣いで月刊漫画や人形を買ってきて楽しんでいた。

何かをつくるという意味では、小学校の図書館にあった、わかったさん・こまったさんシリーズをみてお菓子づくりにハマった。しかし、父にスノーボールのクッキーを作ってあまり喜ばれなかった記憶を最後に、いつの間にか作らなくなった。

中学生になればテレビが大好きで、幽遊白書やスラムダンクなどの再放送を観ては学校に遅刻することもあったし、カートゥーンネットワークやMTVを観て洋楽、海外の感性に惹かれた。

高校からは英語や海外への興味一直線で大学まで。自分は手にスキルはないから、将来は国際協力の中で人と人を繋げるような仕事につきたい。そんな風に思っていた。


先日、木工スクールの応募書類として卒業証明書が必要なため、母校(高校)に訪問してきた。証明書を発行してもらう間、ロビーをウロウロしていた時に驚きのあまり目を見開いてしまった。

そこには、高校生がつくった陶芸、デッサン、油絵、考古学、デザイン習字など、クリエイティブなものがぎっしり飾られていた。ガラスの棚には自分もいった海外研修の写真やお土産品もあったが、その20倍ほども高校生がつくった制作物で溢れていた。

母校は総合学科で、普通科では出来ないような様々な授業を自分で選択できる学校だ。高校受験期、自分は英語科や国際教養科などを志望していたが、受験直前に総合学科のことを知り急展開で志望校を変更したのだった。

自分が通っていた頃も多くの作品があったはずだが、見ているようで見ていなかったのだろう。ショックを受けると共に同時に思い出した。この環境で、たった一コマさえ、そういった授業を選択しなかった理由を。

自分には全く向いていないという強い思い込みがあったのだ。

遡ること小学生の夏休み、風景画を描けという課題があった。友人が一緒に描こうというので、その子の家の2階から見える家に決めた。パステルイエローの家でそれを真横から見ていたので平面的で簡単そうだった。絵の描き方を知らない自分は、線を数本描いて薄い黄色い絵の具でのっぺらに塗った。

夏休みあけ、課題を提出する時に周りの子のをみて強烈に恥ずかしくなった。木々をグラデーション使ってうまく描いた子、同じ家を描いた子でさえ色の変化や線の複雑さなど表現していた。自分の紙を丸めて隠すように提出したが、でも周りにバレて笑われた。

嗚呼!自分にはセンスが無い!

何かを生み出す際に、センスはある方がいい(それが何かは分からないけど)。だが、それよりも、技術、つまり知識と努力と経験、あとは受け取り手との相性やタイミングが大切だと今は思う。当時の自分は下手だから練習しようではなく、向いていないから徹底的に避けるを選んだ。描くだけじゃなく観ることさえしなかった。

それなのに、今年に入って今まで苦手意識があった美術館に行った。無職でもて余す時間に、リベラルアーツの本からスタートして、哲学や歴史、文学と読んでいた影響だった。神話モチーフにした絵が見れるのなら、観ても良さは分からないけど行ってみるかと。

美術館では絵の技術は分からないものの、作者は何を伝えたかったのか、観る人にどういう影響を与えたのかを考えさせられた。愛だの恋だの嫉妬だの神だの天使だのと、人間くさいものが繰り返し美しく描かれていた。

人生100年時代といわれ、自分はこのまま何の技術を持たない人生を50年、下手したら70年続けるなんて想像したくない。

よし、ここからでもいいから自分も技を身につけよう。まずは昔から劣等感と共に憧れがあった絵をかけるようになろう。この夏から近所の絵画教室に通い出うことにした。


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