我が家のお砂場理論
我が家には小学校2年生になる男女の双子がいます。
ちょうど2年前の8月にnoteを書き始めた頃、双子はまだ保育園児でした。
この2年の間にすっかり小学生になってしまい、今まで「育児」について書いていたのに、ふと気がつくとnoteに書けることがあまりないのです。
そんなことを感じながら、実家の母と、最近は昔ほど子育ての悩みがないんだよね。あるとしても、悩みのステージが変わった感じ。という話をしていたら、「そりゃそうよ、もう2人は自分たちで出来ることも増えて、自分たちで悩んだり、考えたりしているんだから」と言われました。
なるほど。かつての母も私にそんな気持ちを抱いたことがあるのかもしれない。
そう思いながら、今朝noteを見ていたら、「育児」記事まとめにこんな記事が。
ブランコで遊びたい2歳の娘さんとお母さんの葛藤、そしてお父さんのお話でした。
そうそう、こんな子供にまつわる悩みが、今の私にはないのです。
小学生になった今、2人は自分たちで公園に行き、色んなことに自分たちで折り合いをつけている(はず)。ケンカはするけど、もう私がモヤモヤすることはだいぶ減りました。(とはいえ、子供だけで遊びに行かせて大丈夫か? とか、Switchで遊びたいと言い出した。とかそういう悩みはあります。)
今朝この記事を読んでいて、双子が2歳だったころの出来事を思い出しました。
我が家は双子なので、「一人がブランコに乗りたい」となると、「もうひとりもブランコに乗りたい」という現象が家庭内で起きます。
さて、こんなとき我が家ではどうしていたか? というと、お砂場理論を使っていました。
お砂場理論とは
当時、週に1回プレ幼稚園に通っていた2歳だった双子と、一緒に遊んでくれるというママ友とその息子くんと一緒に5人で公園の砂場で遊んでいたときのこと。
最初は仲良く遊んでいたものの、一つのおもちゃをめぐって双子が取り合いをはじめました。
この時、私は貸してと主張している方には「これ使ってもいい?」と言うように伝えました。
そして今使っていて、貸したくないと主張している方には「今使っているから後でね」なのか、「使ってもいいよ」なのかを言うように伝えました。
これを双子が取り合いするたびに、間に入って伝えていました。
その流れで、よその子が双子のおもちゃを取りに来たときも、同じように接しました。
その子は、双子より小さくて、双子が遊んでいるおもちゃを貸してほしかったようで、力づくで持っていこうとしました。
そのときにも、その小さい子に対しては「これ貸して」って言うんだよ。と伝えて、双子には「貸せる? 貸せない?」と聞いた上で、貸せる場合は貸す。
貸せない場合は、「今遊んでいるから後でね」とか、「こっちのおもちゃなら貸せるよ」など別の提案の仕方を伝えました。
その様子を見ていた友達から「びっくりしたよ! そっか、今使っているから後でね」って言えばいいのか。と言われたのです。
友人曰く、砂場で遊んでいると、知らない子におもちゃを取られることがよくあって、その時どうしたらいいか悩んでいたんだよねー。とのこと。
そもそも我が家は意を決しないと公園に行かないので、あまり公園のお砂場の作法が分かっていませんし、双子の間のいざこざの仲介をする方法をとってしまっただけだったのですが……
でも、これが常に同い年が2人いる我が家のスタンダードでした。親の私としては、「もう長く遊んでいるから貸してあげたら」とか「うちより小さい子だから貸してあげたほうがいい」などの気持ちがあったとして、
同じよう双子たちにも気持ちがあるはず。言葉にできなくとも、「まだあそびたい」とか「これはお気に入りだから人に触られたくない」とか。
でも「こっちなら貸してあげられる」「遊び終われば貸せる」ということもあると思います。
なので、双子たち自身の内なる声を言葉にして伝えることを意識していました。
ブランコで待っている子がいたらどうするか?
これは、我が家の場合はまず、人がいない時間にしか行かない。が鉄則なのですが(そもそも私一人でブランコ2人見れないので)
その上で、双子が遊んでいるときに、他の子も遊びにきたとして、まずは私は諸々の空気を察したとしても、子どもたちが意思表示するまでは放っておくことにしています。
それは、今使っている方も、今から使いたい方もどちら側でもです。そしてどちらかが使いたい、となった場合はお砂場理論を用います。
「お友達が遊びたいって言っているよ? どうする?」
と話した上で、まだ遊びたいという場合……
・あと10回こいだら交代する?
・◯回づつ交代で一緒に遊ぼうって言ってみる?
→この場合は、相手の子を巻き込んで一緒に遊ぶかたち
・他の遊具に遊びに行く?
こんな言葉で双子たちと話をしていました。
小さい子どもは言葉がわからない。かもしれません。でも、例えば私が全く言葉がわからない国に言った場合、この人は言葉がわからないから、というスタンスで対応されるのと、言葉がわからないかもしれないけれど、話しかけられたり、説明されたりするのでは、全く違うのではないかと思うのです。
あくまで個人的な考え方ですが、たとえその時は話すことはできなくても、その後の子どもたちの言葉になっていくと思うので、自分の心の中の言葉を声にして伝える術を伝えたいと思っています。
そんなことを書いてみつつ、泣いて泣いてどうしようもないときも何回もあったので、育児ってやっぱり大変だよな、と思いました。
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