見出し画像

絶対観、って?

自信なんていうのは相対的価値観だ。だれだれよりも自分は上だ、とかいうものでしかない。そうじゃなくて、人間は生死を超えた絶対観によって生きなければ駄目だ。
「自分の中に毒を持て」岡本太郎


僕は大学3回生で、体育会サッカーをしています。最近、うまくいかないことが多いです。自分のプレーは全然思ったようにいかないし、チームのことについて考えることも学年が上がって増えたし、チームは負けが込んで地獄の残留争いしてるしでめちゃくちゃ苦しいです。


こんな時に出会った言葉がこの言葉でした。


最初見た時、絶対観ってどういうこと、と思いました。言葉の意味は知っているけど、あまり腑に落ちませんでした。


人間、他人と比べるのは当たり前だと思います。ましてチームスポーツ、結局はチームメイトと比べられ、良いと評価された者が試合に出ます。相対観の中で生きる運命なんです。


自分のプレーがうまくいかなくなると、周囲の目を気にするようになります。自分がミスをするとびくびくするようになるし、同じポジションの選手が褒められているのを聞いて焦ります。


当たり前ですが、こんな時にするサッカーほどつまらないものはありません。今は本当にサッカーが苦しいし、試合がくるのが怖いです。
やっと一試合終わっても、一週間が過ぎて週末が来れば、またリーグ戦がやってきます。前日の布団でいろいろなことを考えます。
勝ち点の計算は数えきれないほどやったし、もし明日負けたら、降格したらと想像するとみぞおちの奥のあたりがきゅーとなって、息が苦しくなります。今も書いててなりました。
この緊張感を、真剣さを求めて体育会に入ったことは事実なのですが。


逆に、サッカーが楽しいのはいつでしょうか。
自分の思い通りにプレーできるとき。これは間違いなく楽しいです。
試合に勝ったとき。あの全身が揺さぶられるような興奮。あれはたまりません。最高です。


この瞬間を増やすためにはどうすればよいのでしょうか。
ただ毎日を過ごすだけでは神様のご機嫌次第です。それ相応の行動が必要になります。
このための行動の軸になるのが冒頭の言葉の"絶対観"である、と気づきました。


この行動の部分に関しては他人と競う必要はなく、競う相手はまさに自分です。妥協が、楽なことが好きな。


どう思われるかとか、他人のプレーとか、自分にコントロールできる範囲外のことを考えても仕方ありません。相対観は自分にとってどうしようもないことが含まれています。
反対に絶対観は、すべて自分でコントロールできる範囲のことです。良いか悪いか、評価の主体が自分だからです。


絶対観で生きる。
自分がありたい姿でい続ける。
これが現在の苦しい状況を打破するための、自分にできる唯一のことなのかなと思います。ありたい姿でい続けられても、良いプレーができるか、まず試合に出られるのか、残留という目標を達成できるのか、わかりません。
でも自分にできることはそれしかないのだから、少しでも理想に近づくために、最終節までの約2週間、過ごします。



では、ありがとうございました。


この記事が参加している募集

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?