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夜が好きで嫌いな話

一人でいられる夜が好きだ。

朝は一日が始まるのを感じて、たまに気が重い。
昼は言わずもがな、いろいろなすべきことがあって大変。

夜は…自分の時間がある。

夜自体が好きというわけでもないかもしれない。

ただ、日が落ちて、外の世界が見えなくなって、自分の想像だけに没頭できる時間が大好きで…それがちょうど夜だった。

みんなにとっての夜は、
幼い頃に親と寝たり、家庭で家族や部屋でパートナーと一緒に寝たり、お仕事をしたり、趣味をしたりする時間かもしれない。

自分も当然生きていれば、一緒に寝た人間はいた。

けど、夜まで誰かと過ごすというのは、私にとって耐え難いものだった。

久しぶりに自室ではない場所で寝た時、

なぜか居心地が悪くて、同じ寝室に誰かがいるというだけでストレスに感じて、ベッドの上で一睡もできず、結局一人ホテルの洗面台の床でうずくまって寝ていた。

とにかく誰かといる環境で寝れなくなっていた。

誰かと同じ布団に入ることなんて出来なかった。

それがどれだけいい布団で、フッカフカだとしても、
私は一人で固い床の上で寝る方が良かった。

その時、私はあくまで「一人の夜」が好きなことに気づいた。

夜、自室に自分以外の誰かがいるだけで、
まだ昼の感覚がする。

「寝ちゃいけない。人がいるからまだ“夜”じゃない」と脳が錯覚してる。

明かりが消えると同時に、自分が社会から切り離されて、完全に一人になれる夜が好きだ。私にとっての夜は、皆から切り離される時間だ。

明るい昼の社会から切り離されて、暗い夜の思考のみに没頭できる。

瞼と鼻、口を布団で覆い、目を闇の中で閉じる。耳はヘッドホンで塞ぐ。

そうすることでようやく、一日の最後に自分だけの空間が得られる。

夜、布団の上だけは、そのままの自分でいられる。

何をしても、何を思っても、許される気がする。

夜を迎えるたび、強烈な感情に頭がやられる時もあった。

ベッドの上で酷く安心することもあれば、辛くて涙を流したこともあった。
明日が来る恐怖に怯えて、ベッドの上で苦しんだ。

明日が怖くて、寝れない夜もあった。

ベッドの中でも息苦しくって、深夜に起きて謎に部屋を歩き回ったこともあった。息苦しくなったのはただのパニックだったから、違うことをして気を紛らわそうと思った。

そういや幼い時は、寝るのが怖くて親に手を繋いでもらいながら、寝に入ったことがあったのだっけ。その時どんな感情だったのかは、もう忘れてしまった。

今も寝るとき怖くなる。このまま一日寝れなかったらどうしようという不安で、動悸がする。寝る寸前まで勉強や仕事をしないと、スマホを見てないとうまく寝付けない。

一人うずくまって、袖で顔を擦った。

暗闇の中では、自分が何者かすらもわからなくなる。

目で自分や相手の顔や体を見なくて済む、想像する以外に見るものが全くない。

もし感情的になっても、誰にも気づかれない。自分の目にも見えない。
自分の顔も腕も足も、形が何も見えなくなる。

夜は自分だけしかいないから。

どれだけ感情的にになっても、夜闇の中なら許される気がして。
世間から自らを切り離す術が、唯一そこにあるような気がして。

夜、一人でベッドの上にいる時と、紙の上で文字を書く時には、やっと自分は自分でいれた。

一人の夜と一人の文章は似ている。

どちらも、そのままの自分でいれる分、数倍強い安心感と痛みを感じる。
感情の波に飲み込まれそうになる。

やっぱり私は一人の夜には思い入れがある。
夜は私にとって、苦でもあり楽でもある。
一概に好きとは言えない。

そしてきっと、同じ人間と毎日同じ空間で寝るというのは、自分にとっては耐え難いことだ。

なんか、そこで寝れたとしても、本当の意味での夜を迎えられてないような気持ちになる。

そんな自分がおかしいのかなと思う夜も多々あるが、今一人の夜を迎えられることが案外気持ちがいい。

この先、
自分がもし友人や恋人と寝るとなっても、全く寝た気がしないというか、きっとまた一人の夜が恋しくなってしまう。

自分の思考と感情で、頭がひったひたになっている夜が好きだ。

なんだかんだ、そっちの方の夜を追い求めるのだと思う。

この痛々しい夜を一人で乗り越えるのは、時に本当に生きづらく感じる。

朝起きた時、ああ、また今日も迎えてしまったという気分になる。

夜は好きだけど、別にそこで感じること、考えたことが別にいいとは言えなくて、時に最悪な気分にもなって。

そんな気持ちで私は、
あと何度この夜を一人で乗り越えることができるのだろうか。

猶予はいつまでだろうか。
1人で夜を迎える幸せは。

なるべく長生きしたいから、
あと何度でも夜を迎えに行きたい。

『夜よ、待ってろよ』の気持ちで一日を過ごそうか。


でも本当は。
私はあの時、一人で苦しんで涙を拭った夜を、
忘れたくないだけなのかもしれない。

あの時の自分を許してやるために、今なるべく心地の良い一夜を送ろうとしているのかもしれない。

そんなんだから、

今寝る直前まで、
文を書いたり、音楽聴いたり、運動したり、
感傷に浸ってるのかもしれない。

これが結果的に良いのか、悪いのか分からないけど、
なんだかんだ今こうして文を書けているのだし、
文章と共に夜を過ごせて嬉しいわ。

今日の夜も幸せだ。