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私が地域の魅力にハマって移住に至るまで ~その2~

前回は岐阜県郡上市の魅力にとりつかれたところまで書いたので、じゃあなぜそこから数年経って、、、岐阜県美濃市へ?!みたいなところを書けたらと。

今の仕事をやめてまでやりたい!と思える仕事がなかった

何度も郡上に通い、郡上カンパニーの銭湯復活プロジェクトのWSにも参加し、、、郡上への移住も本気で考えていました。
でも、当時やっていた食品商社の仕事も面白かった為、それを辞めてまで移住する踏ん切りがつきませんでした。
郡上が面白すぎて、一番お世話になっていた会社の先輩を会議室に呼び出して、郡上カンパニーのリーフレット片手に郡上のことを説明し、半分泣きながら「会社辞めようと思ってるんです」と言ったこともありましたが。。(迷惑な後輩w)
郡上カンパニーでは銭湯復活プロジェクトに関わっていたので、銭湯の番頭もいいかも!と考えたこともありましたが、銭湯について地域の声や経営体制を調査していくと黒字化するのが相当厳しそうということが分かりました。
また、プロジェクト自体が本採択されると地域おこし協力隊を募集して実際プロジェクトが動き始めるという段取りになっていましたが、銭湯復活プロジェクトは本採択されなかった為、一旦銭湯の番頭は見送りになりました。笑
その後、あれよあれよと結婚・出産、そして世の中がコロナの渦に巻き込まれ、自分も世の中も大きな変化があった2020年前後。

岐阜県郡上市石徹白(いとしろ)地区にある白山中居神社にて

たまたま知ったコミュニティマネージャーの募集

育休を1年数カ月とり、久々に職場復帰。育休中にコロナが来て、オフィスの場所や働き方も変わり、、、仕事内容もなんだかなあ、違うことに挑戦してみたいなあ、、、と感じていた矢先、郡上関係の友人から、「美濃に新しくシェアオフィスができるらしい。そこでコミュニティマネージャーを募集してるらしい」との情報が。
その後偶然facebookでその投稿を見つけ、なんとなく応募してみることに。コロナ禍で夫もある程度リモートワークOKになったし、移住してもなんとかなりそうだ、じゃあ応募してみるか、と最初はそんな軽いノリでした。もし本格的に進んだら夫の会社のこととか住む場所とか保育園とか真剣に考えようと。
そしたらあれよあれよという間に話は進み…6月に一度家族で美濃へ。
美濃に来たことがあるのは一度のみ、しかも数時間の滞在だったのであまり町並みの記憶とかはなかったんですが、改めて来てみてまあいいんじゃないかな、と。
美濃に惚れ込んだというよりは、まあなんとか暮らしていけるかな、郡上も近いしな、そんな感じでした。保育園もどこかしら入れそうだし、美濃のメンバーも楽しそうだし、先輩移住者も何組かいるみたいだし、なんとかなりそうだと。

まちごとシェアオフィスWASITA MINO 芝生スペース

子供が生まれたばかりの地方移住、というとなんとなく「いい子育て環境を求めて」と思われがちですが、橋元家の場合は「私の仕事」がきっかけでした。そしてもう一つの大きな理由がずっと「地方暮らし」に憧れていたこと。
前回の記事に詳しく書きましたが、社会人になって東京に出てから知ってしまった地方の魅力。人生一度切りだし、東京を離れて一度は地方暮らしをしてみたいとかねがね思っていたので、いつ?じゃあ今行っちゃう?というような気持ちでした。

とにかく不安ばかりが膨らんでいた移住前

お世話になった職場に恐る恐るやめる宣言をし、親や友人、保育園にも引越する旨を伝え、、、着々と美濃への移住が近づく中、私の心は新天地への期待というより不安が大きく大きーく渦巻いていました。
改めて考えると、東京での暮らしは何ひとつ不自由ない。。
中古リノベマンションを購入したばかり、
家のすぐ近くに遊具やグランド付きの広い公園がある、
家から徒歩10分ぐらいの場所にある保育園に無事入園、
私の友人や夫の飲み仲間も多くいる、
仕事も週3リモートOK、時短もOKでママに優しい、、、
こんな恵まれた環境を捨ててまで、美濃に行くという決断をしてしまったけど本当に良かったんだろうか、、、
答えのない不安は大きくなるばかりでした。

東京で住んでいた大所帯マンション
美濃の家。いい家が見つからず、とりあえず長屋の片側に仮住まいすることに。築約100年。

こうして2021年10月に家族で引っ越してきました。
裏話をすると家探しにめっちゃ苦労したんですが、ここら辺の話は長くなってしまうのでまた別の機会に。笑

実際移住してみてどう?という話は次の投稿で。

↓ 次の記事


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