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地域からの発信―集う喜び・学び合う悦び・生み出す歓び―(『報徳』2024年6月号巻頭言より)

 今、「食と農」をめぐって大きな危機が訪れている。農業後継者がいなくなり、耕作放棄地が爆発的に増え、地域社会も崩れていく懸念である。しかも食料自給率は37%。米が過剰で減反政策の只中、1993年、急にコメ不足になってタイ米を買いに走った記憶がよみがえる。
 新しい農業基本法を読むと食料自給率への言及はあるが、輸入農産物の確保と並列され、そののほほんさ加減には呆れてしまった。数値主義と市場原理に頭を直撃された秀才たちのデスクプランで、食っていけない農家への顧慮はない。大規模化はその通りだが、国連も推進している小規模農業の充実発展こそ、環境問題解決も含め、人間が全体性をもって生きていく在り方の基盤であろう。
 地域に入ると問題の所在がよくわかる。そこでは、その地域に即し、地域と共に生き生きと活動している人たちがいる。地域の活性化なくして日本の未来はない。そんな地域活動を三つほど取り上げてみよう。

『百年ごはん』

 生活改良普及員の皆さんは、まさに地域活性化の推進者だった。県の職員として農家の相談にのり、農村の新しい生活スタイルへの展望を切り開いていった。そのOBの皆さんが、各地の食文化の伝統を収集して、2019年、『百年ごはん』(静岡新聞社)を出版した。
 「親から子へ食べ継がれてきた食文化を更に百年先まで伝えたい」という思いが込められている。2020年の『報徳』3月号には、皆さんの思いのたけが語られた熱い座談会が載っている。
 あれから4年、本の出版だけでは物足りない。やはり実際、若い世代に繋げたいと、改良普及員の皆さんがスタッフとなって、「遠州土方くらし塾」が立ち上った。
 応募者30名、同じ地域にいても初めて顔を合わるなど、新しい繋がりも生まれる。第1回は3月、「摘み草・野草茶の会」で始まった。

暮らしの技を楽しむ

 毎月の第4日曜日に開かれ、4月には味噌づくり、5月には新茶の会、夏には流しそうめんの会、秋にはスモークハム作りと開かれた。子供づれ参加もあって、古民家の五右衛門風呂を焚いて入るなど、多彩な内容になって、季節の郷土料理を学び、最先端の和紅茶なども味わった。
 2年目に入った今年は、シイタケの「ほだ木打ち」に始まり、「蜜源花ごと味わう」はちみつ講座、「竹細工」作り、版画家による「アートは楽しい!」の時間もある。
 そば打ち、お正月飾りの実技指導も入っており、実際に体で覚え、技を身に着けることが目指される。
 学びの最後は、「いもこじタイム」(自由なお話し時間)である。問題提起がされ、胸にうずいていることを語り合う。自己解放の時であり、明日へのエネルギーを養う場でもある。
 集うことで知識を分かち合い、学びと体験が日々の生活に智恵となって自然に組み込まれる。スタイルとして定着すれば、それは新しい文化といえよう。日々の豊かさは、この生活文化の向上にある。「くらし塾」での学びはピタリこの文化形成に照準を合わせている。
 知らなかった蜂蜜農家を知り、少し車を走らせれば和紅茶のお茶工場に行けることを知る。地域はあらゆるもののそろった宝庫であることにも気づこう。

地域ゆかりの素材

 人が集まると、地域の豊かさが結晶化する。2009年にスタートし、今年で15年を迎える「かけがわ栗焼酎プロジェクト」はその典型である。
 里山に多くの栗の木があり、掛川の栗は名産として全国に出荷され、著名な栗羊羹、栗鹿の子、栗落雁になっていた。惜しむらくはこの地域での活用が、栗きんとん、栗蒸し羊羹にとどまっていたことである。加えて近年、栗農家の後継者の不足やイノシシ被害もあって、栗畑の荒廃が進む事態となってきた。
 心機一転、地域の財どう生かすのか。栗焼酎で付加価値つけ、里山保全も目指すプロジェクトが始まった。
 栗畑の下草刈り、栗の収穫、皮むき、蔵元への搬入、そして蒸留、蔵出しと進行し、皮むき作業で苦労したものの、地域有志の尽力もあってスムーズに進んで栗焼酎となった。

栗焼酎――『自ら(みずから・おのずから)』

 日本の四季は「おのずから」移り行き、私たちは「みずから」の力で大地に働きかけて自然の恵みを受け取る。尊徳のいう天道と人道の融合である。お酒の名前は『自ら(みずから・おのずから)』となった。
 「おのずから」生まれた後継者不足、イノシシの被害、栗畑放置の現実に対して、「みずから」進んで人々が集い、栗生産に勤しんだ経緯がここには含意されている。
 市民と地域の新しい結合である。身近な農産物が魅力的な商品に変身し、新しい活力が生まれた。掛川駅の「これっしか処」で販売している。

出会い・ふれあい・新たな交流

 3つ目の紹介は「花の香楽会」である。出会って夢を語ることは大切である。きっかけは2006年、知事時代の石川嘉延さんが母校の130年祭で講演するので聴きに出掛け、その帰り道、数名が『開運』で知られる土井酒造に寄ったことに始まる。
 昔話になって、社長から「明治の初め〈花の香〉という名酒があった。〈開運 花の香〉で復活させると面白い」というので、話がはずみ、「折角の復活なら田植えから始めよう」と発展した。
 ネット時代の情報伝達には驚く。予定された田植えの田圃に、時間になると、どこからともなく湧いて出て来るような感じで、100名を超える皆さんが揃って、田植えが挙行されたのである。
 その後の交流宴会では、初顔合わせながら、以前から知り合いのような親しみにあふれた交流となった。

田植え・ぐい飲みづくり・稲刈り・仕込み・陶酔の宴

 こうして「花の香楽会」が生まれた。お酒を造るのだから、「ものづくり」にもこだわろう、「新酒を飲むには自分の焼いたマイぐい呑みで飲みたい」となり、「ぐい呑を焼くなら薪割りから」となって、窯をもっている会員の協力によって、「薪割り」、「作陶」「窯焼き」のプロセスが生まれ、秋の「稲刈り」、冬の「仕込み」と進み、三月の新酒を味わう「陶酔の宴」となった。
 郷土愛、歴史愛、物づくり愛のドラマを経て、古くて新しい酒『開運 花の香』が誕生した。
 「陶酔の宴」には、土井酒造に集まるきっかけとなった石川知事も参加。300名の皆さんに石川さんは、「がっかい」という命名が素晴らしい、「学会」のような重みがあって、実は「楽しむ会」、プロセスも楽しんで粋そのもの、「花の香祭り」として定着させ、この地域の名物に、と励まして下さった。

ものづくり・人づくり・地域づくり

 田植え〜稲刈り〜仕込み〜新酒の蔵出しが、毎年のサイクルとして定着し、田植えと稲刈りの時には、100名を超える皆さんが集まり、作業後は、ノミニケーションの交流会となり、世話人が手作りの料理と「花の香」でもてなす。季節の摘み草、駿河湾の魚貝、打ちたて・ゆでたての手打ちそば、等々、会員の知恵と想いが結集する。宴では、音楽、演劇、踊りなど、その時々、いろんな催しが織り込まれる。
 オリジナルTシャツ、花の香ぐい呑みもある。口コミで、いろいろな人に広がり、北海道からも、関東からも、関西からも、そして中国、韓国、台湾、インドネシア、ドイツの皆さんも参加している。『花の香』の縁で、結婚されたカップルも何組かいる。
 出会いと交流を喜び、お酒づくりを通じて地域の歴史や文化、農や食を見つめ、人の繋がりを新たに創り出されているのである。

喜ばれることに喜びを

 コロナ禍で中断したが、今年は田植えを復活させた。会員は150人ほど。年会費として1000円で、印刷費・通信費・事務費にあてている。イベントごとに、実費プラスアルファの参加費をいただき、それを資金に運営をしている。精神は「喜ばれることに喜びを」
 ひとりひとりの力は小さい。しかしそれが新たに結びつけば、思いがけない世界が広がる。それが文化の力だろう。その力が更に人々を結び付けていく。
 地域における活動を3つとり挙げた。地域興しの参考になればと思う。

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