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わしおさむ大学受験

不肖ワタクシ、現在でこそ、描いた絵を買って頂いて、集金して生活をしていますが、大学受験を控えた高校三年生の夏休みまで、全くもって、自分の将来像とかいう石膏の型をとる事ができていませんでした。

その夏の三者面談の日、せっかちな母にケツを叩かれながら、三年二組の教室に入った私は、進学先の研究など全く全然していなくて、繰り返し繰り返しある模擬試験の進学先に女子大の名前を書いたりして、スーパーふざけていた事をチラリと脳裏に浮かべつつ、仕方なく、二組の担任の先生の前に、母と並んで座りました。

その先生は、私達と同郷の、尾道市のご出身でしたが、関東に出られて帰ってこられたばかりで、流暢な標準語にて、私の高校の成績などを母に説明したりしていました。私も神妙な面持ちでお話を聞いていたと思うのですが、ハッキリ言って、何が何だかサッパリ覚えていません、そういう耳は持ってなかったのです。

しかし、次に発した先生のお言葉に、親子揃ってビビり上がり、椅子から垂直に五十センチほど飛び上がりました、「筑波大学を受けてみられてはいかがかと思います」。
ハッキリ覚えているのは、そこで目が覚めて「筑波!?」と思ったと同時に、その有名な大学が何県にあるのかも知らない、単なる田舎者である事を自覚しました事です。

ありがたい事に、この高校の先輩方が築いて下さった蜘蛛の糸がありました。
一般入試ではない、指定校推薦入試という道です。一般入試では、私の成績の評定平均はギリギリのラインだったです。しかし、先に筑波大を志望している、二人の同級生が、ありがたい事に、一般入試で余裕で受かりそうなので、この矮小なワタクシめにその空席を譲っていただけるとの事!しかも、その二人とも、顔見知りだったので、後でお礼を言う事までできて、ワタクシ、コリャ〜気が抜けんで。という、一つの筋道が見えました、光って。

それで、学部は、やはり、今まで郷土史とか方言とかの方にばかり興味を示していた自分を顧みると「日本語・日本文化学類」という、聞き慣れない、レアな所を突いて行こうかと、チョ〜ッと策略を巡らせ、自らを納得させたのでした。そこの学類が、本来は日本語以外の言語を母語とする人に対して日本語を教える専門家を育てるために設立されているという点には、見て見ぬふりをしました。卑怯者め。

ある日から、小論文と面接の練習を開始しました。
そこの学類の入試は、その評定平均値と、小論文、面接が、加味・実施され、晴れて合格か、恐怖の不合格かに分けられるのです。18やそこらの鼻垂れ男には少し厳しい現実ですね。小論文の練習は国語の先生から指導され「君の文は、英訳文みたいだな、頭デッカチじゃ、主語が」と言われたのを覚えています。また、面接の練習は、例の担任の先生がお相手して下さりました。慣れ親しんだ仲でしたので、緊張感が出ず、困ったものでした。

そんな中、事件が発生。私の学類は「第二学群」という括りに入るので、そこへの一人の推薦枠、と聞いていたのに、突然「第一学群」志望の、一人の生徒のみを推す事に変更になった、というのであった!!何じゃそりゃ!?

私は諦めが悪くなくて、悪足掻きもできない小心者でしたので、すぐに縮こまって「あ〜あ、終わったワイヤ。もうダメじゃ」と、しょぼくれ返して一気に大友克洋「AKIRA」の老人小学生みたいになってしまいました。いじけて、散歩に行けない雨の日の犬のように心寒く、一足も二足も早い真冬に頭から全身をズボッと突っ込みました。

しかし、ここに友達甲斐のありすぎる英雄が現れます。T君。その高校当局の勝手な変更は、どーなっとんな、バカか、ええ加減にもう一編調べてみい!と、本当にそのようなせりふにて、職員室に怒鳴り込み、カチコミしてくれたのです!
その結果、見事に、学年主任の勘違いだった事が発覚。
私の首の皮はギリギリ、マジでギリギリで繋がり、十二月一日の本試験を迎えます。

尾道から遥か茨城県の筑波大学に、土浦経由で乗り込んだ私は、試験のための宿は二人部屋と聞いていたのに、何か事前の連絡もなく六人部屋に変更になっており、若干ビビりました。仕方なく、即刻布団に入って「つげ義春とぼく」という書籍を余裕ぶっこきで読んでいたら、他の五人の視線が冷たかったです。付き合いで夕食に行くと、ファミレスで、間違えて、オニオンスープとプリンを飲食し、益々、私の変人ぶりが際立ってきます。

初日、小論文。題目は「君にとって、外国語とはどういうものか、書きなさい。」
全然違う方向からのアプローチを受けた私は一瞬たじろぎました、しかし、これは無理矢理、自分の得意分野に引き込もう!と、頭の中で電卓計算。結果的に「日本国内の方言も差が大きいので、外国語みたいなものである」といった結論にこじつけ。

二日目、面接。同室の、隣県出身の男子に、自分のバレー部時代の話をしまくってから控室に入りました。ここは、さすがに緊張感溢れた雰囲気で、何か、先に順番が終わって出てきた女子、泣いてなかったか?とも、見えるような重圧。まあ、皆んな緊張するのが当たり前かな。それが、僕の肩を叩く手があった。そして振り向くと、ちょっと美形の女子が「ねえ君、どこから来たの?」と、聞くではないですか!
「ああ、広島の、尾道いうとこ」と、私は答え、その後三分ほど雑談した。これで、緊張感が全く蒸発したので、私は面接で、全然緊張せず、何を言ったか正確に再現できませんが、面接官の五人の先生方を、相当笑わせて来ました。

しかし、帰りの新幹線の中では「ああ、悪ふざけが過ぎたのではないでしょうか?」とか「後輩達の蜘蛛の糸を切ってしもうた」等と考えて落ち込み、頭を抱えていました。

それから八日後の、十二月十日、筑波大学からの合格通知と、入学案内書が届きました。

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