washiosamu

広島県尾道市出身、在住。絵を描いて細々と生活しています。実家が農家であるので、農繁期に…

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広島県尾道市出身、在住。絵を描いて細々と生活しています。実家が農家であるので、農繁期には作業の手伝いをします。主な移動手段はカブ。趣味は食べる事、よって少し肥満気味、泣。右投げ右打ち、カープのファン。ゆくゆくは犬になりたいと思っている。音楽はテクノ、ハウスが好物。よろしく!

最近の記事

実は漫画が上手でない

不肖ワタクシ、名刺の肩書に「漫画・イラスト制作」と、堂々と記載しているにもかかわらず、実際のところ、他の人に「漫画描いているんですか?」と問われると、少しばかり伏し目がちになり、自信なく「ええ、つまらないものですが」と、贈答品を差し出す時の謙譲したような、恐縮したような感じになってしまいます。 もっと、元気よく「ハイ、描いてます!」と、小学生の時のように、素直に認めればいいものを、もうその頃の純真な眼差しやウソのない赤い頬は失われている模様です。 どうすればいいんだ。 最

    • スモーキーブルー

      わしおさむ

      • 漫画「ドラえもん」を買い直す

        漫画「ドラえもん」に育ててもらったと言っても過言ではない程、何回も何回も、それを読み返しました。 幼少の頃、右の頬の中に、何かシコリができている事が発覚し、近くの病院から紹介をされて、倉敷市の大きな病院に通うようになりました。そのシコリは良性腫瘍であると、幼い私に分かるように、病院の先生と両親が説明してくれました。 それで、その倉敷市までは山陽本線で通っていました。病院からの帰りに、決まって、父と、うどんか何かの軽食を取って、その後、駅前の小さな書店で、漫画の単行本「ドラ

        • ミニコミ(今で言うジン)への参加

          大学時代、と言うか、正確に言えば、大学を出て就職もせずにフラフラして土気色の顔面で街を徘徊していた頃、私にお声掛けしてくれたのが、表題にありますような、当時はミニコミ誌と呼ばれていた、小冊子の編集長でした。 編集長との出会いは古く、大学の書籍部という小さな書店の中での事でした。当時のそこには「ガロ」をはじめ、青林堂の書籍がふんだんに陳列されていて、文化的渇望を孤独に感じていた私には、心のオアシスとなっていました。 そこのコピー機に、だいじなレポートの原稿を忘れてきてしまっ

        実は漫画が上手でない

          「尾道市営地下鉄」

          丁度西暦2000年から私は漫画などの絵を本格的に描き始めた訳ですが、この年、何かのキッカケで、E社の芸術作品のコンテストがある事を知りました。何のキッカケだったか全く覚えてないので、今歯ぎしりをして悔やんでいます。ともかく、そのコンテストの募集要項の冊子を手に取って「コリャア、アレしかない」と、薄気味悪くほくそ笑んでいました。 当方、関東圏に親族がいるので、何かと上京した際にはお世話になっていました。高校1年生の時に、中学2年の弟と、初めて子供だけで、夜間高速バスにて上京し

          「尾道市営地下鉄」

          漫画の持ち込み、初受賞

          丁度西暦2000年から、私は正規の規格である、B4漫画原稿用紙に向かい、gペンというつけペンを使って、漫画を描き始めました、商業誌への投稿のために。 それまでは、幼少のみぎりから、広告やカレンダーの裏に、ボールペンで漫画を描くクセが完全に身に付いていて、高校生にまで成長しても、まだそのスタイルを崩さずにいました。楽ですからね、その描き方は。 ある日、このままではいけないですと思い立って、自転車で隣村の文具店に、画材を買いに行きました。しかし、その頃はつけペンは廃れていたの

          漫画の持ち込み、初受賞

          漫研を作った事

          高校1年生の時、くじで決まった席順・・・最も廊下側の前から3番目・・・に座って、早速新しい同級生の似顔絵を描きました。それをすぐ前のS君に見せると「こりゃ凄い」という事になり、S君はそのもう一つ前の席のT君に似顔絵をパス。このT君が、前項の記事に書いたように、私の大学進学の門扉を開けてくれたのだから、運命とは、全く予想もつかないものでありますね。 大学に入り、英語の最初の授業で、偶然、最も廊下側の前から3番目の席に座っていると、丁度端っこだからという理由で、私までの3人が、

          漫研を作った事

          わしおさむ大学受験

          不肖ワタクシ、現在でこそ、描いた絵を買って頂いて、集金して生活をしていますが、大学受験を控えた高校三年生の夏休みまで、全くもって、自分の将来像とかいう石膏の型をとる事ができていませんでした。 その夏の三者面談の日、せっかちな母にケツを叩かれながら、三年二組の教室に入った私は、進学先の研究など全く全然していなくて、繰り返し繰り返しある模擬試験の進学先に女子大の名前を書いたりして、スーパーふざけていた事をチラリと脳裏に浮かべつつ、仕方なく、二組の担任の先生の前に、母と並んで座り

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          わしおさむ初note

          不肖ワタクシ、WEBサイトもBlogページも持っておきながら、ここnoteの世界に漕ぎ出したと言いますのも、上記のどちらも、操作の専門性が高く、ちょっとついて行けなくて涙目になる事が多々ありまして、巷説で、ここの世界が快適であると小耳に挟んだものですから、くどいと言われます事承知で、遂に最初から長たらしい文章をば、打ち込んでいる訳です。 小耳に挟んだとは言いましても、実際には私の耳は上下に長く、また、口語での一人称は尾道弁に従って「ワシ」を使用しています。しかし、いきなり「ワ

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