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漫研を作った事

高校1年生の時、くじで決まった席順・・・最も廊下側の前から3番目・・・に座って、早速新しい同級生の似顔絵を描きました。それをすぐ前のS君に見せると「こりゃ凄い」という事になり、S君はそのもう一つ前の席のT君に似顔絵をパス。このT君が、前項の記事に書いたように、私の大学進学の門扉を開けてくれたのだから、運命とは、全く予想もつかないものでありますね。

大学に入り、英語の最初の授業で、偶然、最も廊下側の前から3番目の席に座っていると、丁度端っこだからという理由で、私までの3人が、課題を割り振られる事になりました。それで、夕食後に集まって勉強しようかと約束して、学生宿舎の共用棟という建物の2階で待ち合わせをする事になりました。そこへワタクシが1番に到着して、時間を過ごしていると、共用棟の一室から、美しい人に手招きされました。

何かな?と思い、子犬のように何も疑わずにそちらへ行くと、そこは園芸クラブというサークルの勧誘をしていたのでした。
ここの大学のある茨城県は、方々から「田舎」だの「秘境」だの「陸の孤島」だのと散々な言われようをしていましたが、私にしてみれば、デパートがあってスーパーも沢山あってバスもブンブンいわして走り回っている都市部にしか見えなかったので、これは渡りに船、都会暮らしの中で、土を手で触ってこねくり回して作物を収穫できるのか、素晴らしい、と思い、即刻「入部します」と言おうとした寸前、その手招きした人が「ソフトボールは好きですか?」とおっしゃるものだから、ワタクシは「ア、ア、まあまあです」と答えて、次の水曜のミーティングに行きます必ず行きますと言い、その場を後にしました。

結果、ソフトボールというのは、文化系サークルの連合会が毎年2回主催する、サークル対抗の大会があり、それの戦力としてと言うか、楽しめるかどうかという事を質問されたという訳だったのでした。

そりゃあ、もう入部の意志は決定的絶対に固まりました。園芸クラブは、なぜか強豪で、ワタクシめ達、1年生の若手から順番に打ちや〜とばかりに優遇された上、何か余計な事にワタクシ不肖にも野球・ソフトボールが大好きだったのです実は。

一気に、その後の事まで記します、詳細は別の場所で。
その入部直後の春には優勝していきなりビールかけ、秋も優勝、2年生の春も秋も優勝、3年生の時だけ春が準優勝で苦杯を舐め、秋に再び優勝。何じゃこのサークルむちゃ楽しいじゃあなあかあ。と、尾道弁で思っていました。

ですが、慣れというものは恐ろしい魔物で、一体私は、大学の勉強もしてサークルで芋作ってソフトまでして酒も飲んで、それでもなお、足りない何かを渇望し始めたのでした。

それはもちろん、絵の事でした。
この頃、一枚絵よりも、漫画を描く方法を手探りで研究し始めていて、でも分からん、何もかも分からん、大体、1人で漫画の勉強などどうやってやるんきゃ?と、文化的に露頭に枕し、木の根でこけ、素足で犬のクソを踏んだりと、散々な心持ちになっていました。渇望、渇望という言葉しかなかったのです。

このままではワシはダメになるとばかりに、この大学には無かった「漫画研究会」の設立を企むようになり、ひとまずチラシの絵を描く事から始めました。しかし、納得のいく絵を描くのは、富士山頂の雲を掴むような話で「アレ?ワシ、こんなに絵が下手だったかのう?」と、思わずホヨヨ?とかわいく首を傾げる事態に陥りました。

そんな3年生の頃、学内の掲示板に、無許可で貼ってある、おそろしくカッコいいチラシを目にします。
ここではそのサークルの詳細な描写はしませんが、まあ、涸れた井戸が一気に洪水になる位の、濃ゆい、文化の吸収ができたのです。その設立者は4年生の先輩でした。よって、1年足らずで解散となりました、先輩の卒業により。

そこで自信を付けた私は、正式な文化系サークル連合会への加入を目指した、新しい漫画研究会を発足さすべく、顧問になって頂きたい先生に挨拶に行き、書類も整えて、ポスター貼りもやって、遂にめでたく、男ばかり4人のメンバーが集結したのでした。

ここの場でも、同い年の漫画の手練れが色々教えてくれて、同人誌を作ったり、コピー本を作ったりと、なかなかできない勉強が沢山できました。

それで、今はイラストばかり描いているオジサンになってますけど、漫画は?と聞かれると、ちょっと歯切れが悪くなる傾向にあります。
でも実は、ちょっとずつ、ひそかに描いているのでございます。
イラストの方がメインになって、身一つのため、全然時間が割けてませんが、漫画はおそらく一生描くと思います。面白いからだよ、描くのが。と、自分に言い聞かせ、最早誰に見せるというわけでもなくて、自己満足、愉悦、自己陶酔のためだけを目的にして描いています。

その後、漫画研究会がどうなったかと言うと、何だかすごく発展して、部員同士で結婚して子宝授かるという事例もあると聞き、うわ、ワシの作ったサークルがこんなにも人様の運命を変えとんか!と思うと、気持ちビビって尿漏れしそうになります。

最早、関東の地から遠く離れて永く、尾道の片隅で、息を殺したり吸ったりして生きていますが、夜布団に入ると、その頃の事が鮮明に思い出されるものですから、ちょっと目頭が熱くなるのを抑えきれません。

と、振り返ってばかりの記事を立て続けに3本も書いて、ワシはバカか、絵の方も描けよと、自分で自分に言い聞かせています。でも、たまにはこういう日があっても良いと思うよ。拝読ありがとうございました。また、書きます。

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