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実は漫画が上手でない

不肖ワタクシ、名刺の肩書に「漫画・イラスト制作」と、堂々と記載しているにもかかわらず、実際のところ、他の人に「漫画描いているんですか?」と問われると、少しばかり伏し目がちになり、自信なく「ええ、つまらないものですが」と、贈答品を差し出す時の謙譲したような、恐縮したような感じになってしまいます。

もっと、元気よく「ハイ、描いてます!」と、小学生の時のように、素直に認めればいいものを、もうその頃の純真な眼差しやウソのない赤い頬は失われている模様です。
どうすればいいんだ。

最早、幼稚園のみぎりからコマを割った漫画を描き続けてきているのに、全然、箸にも棒にも掛からないまま、齢を重ね、すっかりオッサン化してしまった、そのうら寂しい人生は、まさしく光陰矢の如し、少年老い易く学成り難し、なのでした。コワッ!

この記事のタイトルにしましたように、実は私は、漫画が上手でないのです。
この事について、ダラダラとピスコピーしても、誰の得にもなりはしないと考えられますので、ちょっと前向きになって、自己分析というか、自分の漫画を描く事について、文を書いてみたいと思います。

そもそも、いきなりですが、私の描く漫画は、その自己分析と俯瞰が全然できていない点が致命的であると考えられます。

漫画を描く上では、構想を練ってから、大体の話の組み立てを決めるプロットを作り、それでようやくラフな作画、すなわちネームを描いていく作業に入ります。その後、正規の紙に下描きをして、ペンを入れて、後はベタ塗りとかトーンとか貼ってから、作画も完成させるという工程を経ます。それでようやく編集部に持ち込みに行ったり、郵送だけをしたりして、プロ編集者様のご意見と顔色を窺いつつ、事ここに至ってやっと、自分の工程が間違っている事に気づき、後悔及び赤面する訳です。

私の場合、プロットをあまり作らずに「やったるで!」という勢いの任せるままにネーム作業にいきなり突入して、それを描き切った時のテンションの高さのままに、作画の下描きを開始してしまいます。下描きも、違反並みのすごいスピードで描いていくので、もう、止まろうとか休もうとか寝ようとかという、大切な、最も大切な「自作を顧みる」事を全く忘れて、作品世界に没入しています。それで、再びその下描きが終わると「いや〜、スゲえの描いてしもうたの〜」と悦に入り感慨に浸り、ここでも、自作をもう一回見直そうとか一切せずに、検挙率100%のスピードで、スーパーハイテンションのままペン入れに入ります。もちろん、見直しをしないがために、絵のデッサンも、パースも狂っています。その辺、若干気付くところはあるのですが、まあ頭の中がドーパミンやアドレナリンでいっぱいになり一部漏れ出している位ですから「少々ええわ」と、そのだいじなデッサンやパースの狂いを無視します。そしてまた帝都高速度交通営団の電車並みの速さで仕上げをして、持ち込みはいつ行こうか?などと、ウヒフヒ言いながら原稿に向かいます。

こうして見事に出来上がった漫画原稿は、たたかいの痕跡が多く残り、素晴らしい朝を迎えたとかと感動に打ち震えながら、遂に東京行きの段取りまで済ましてしまうのです。

そんな漫画原稿の中身、最も重要な要素であるcontentと、それを支えるべくあるデッサン、パース等の作画全部全部が、何もかも発狂しているので、編集者さんは困惑するのです。ここで、私という一漫画家志望者は、やっと、やっとやっと自分の浅はかさと自作の稚拙さに気付きます。

遅いんじゃ言うのに。

これを、20年間ほど続けますと、まあ、人生50年とか、夢幻の如くなり、という心境にも達する事が、お分かりかと思われますが、いかがでしょうか。

このような感じで漫画を量産したのは本当の事で、今書いている文章みたいに、立ち止まり読み返ししたらば、こんにちの枯れそうな私は形成されていないのです。今頃気付いたか、バカめ、と、今になって自嘲しても、何もいい事はありません。ただ思うに、後進の、現在の若い衆生にあられましては、反面教師・悪い前例としてこの事を心に刻み、自分はこうはならないぞ、と、思って頂ければ幸いです。

そんな、汚泥のような私のまんが道ですが、野球の打率に換算すると、1割台にも達しません。
しかし、その下の桁の8分5厘とかに着目してみると、その漫画は、まあまあ上手い事いっています。フロックかも知れません、初期の作風のものばかりなので。
あまり、肩に力を入れずに、流すように描いた方がいいのかも知れません。

それで、恐ろしいのは、いまだに漫画を描き続けている事でしょうか。
去年の3月から筆は止まっていますが、未完の原稿はいつも身近に置いてあって、再開の日を待っています。だいじょうぶなん?とは思いますが、こうしないと納得しないのが私の悪癖といいますか、矜持でもあるのでしょうか。なんなん?漫画を描いて、何を表現するつもりなのか?何を結論付けるのか?

そこに光を当てるのは自分だけだ、とも言えますし、もう少し落ち着いて作話と作画をしてから、沢山の友人知人にアドバイスをもらう事もできようと思います。

そういう事すらしてこなかった人が私という人物であり、結果は、封筒に入ったままの大量にあるボツ原稿という、目に見える形で残ります。ああ。恐ろし。

ただ、幸運なのは、私がバカである事かも知れません。
失敗してひどく斃れても、起き上がって次に進んだのは、決して失敗ではなかったからです。漫画作品の一つ一つは大失敗かも知れませんが、人生そのものに失敗はないと思っています。そう思わないと、やってらんないでしょ?

ではでは、また書きます。

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