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草稿

早春の東雲 晩夏の暮夜 晩秋の薄暮 杪冬の明昼、往年の四季に惑わされ醜くも生きてきたけれど、生きる事が人生に於けるプライオリティだというある偉い人の陳述を読んで、それでも四季のあることに感謝しなければならないと思うと、窮屈な気持ちで、僕はやるせなくなります。

早春の東雲 晩夏の暮夜 晩秋の薄暮 杪冬の明昼、冴えない小説の書き出しの為に生涯をかけて製造した銀弾四発を空に向けて放ったような思いである。可能性の芽を自分で潰している。けれども、そうしなければならないのだから、四面楚歌なのだから。
嗚呼、うらぶれた我が生活、浮世の波に洗われて、流れ流され辿り着くは、鬼ヶ島。我の人生の軌跡、是かくの如し。
不細工ながらここは及第点という形である。
退屈な道を緊張しながら歩いて、歩いて、血豆ができても歩いて、声援は規制され、声も出せず、涙も出ず、ただあの人の勇姿だけを頼りにあんよあんよ。

『俺たちだって短く見積もって50年幾許かの人生か、近しい人の葬儀に俺は二度と参列したかないね』

学友の西村は平常そうに僕に呟く。彼は先日実父方の祖母を亡くしたばかりなのである。声色は沈んでいた。

『50年!長いよ、50年は長過ぎる、生き地獄よ』

『何言ってんの!?ダメダメ!春には俺より長生きしてもらわないと!先に死なれたらだるいぜぇ?無気力状態!何も出来なくなるよ、あれ、ほらなんだっけ?』

『アパシー』

『そう!アパシー。アパシー嫌だよ俺アパシーは、アパシーなりたく無いもん、うんうん。』

彼、西村にはある癖があって、自身の発言の最後にうんうん、といつも自分の発言を首肯する。僕にはそれが自信の無さの現れなのか、発言の誤りがない事の確認なのか、未だに分からないけれども、彼の性格から前者ではないと感じている。彼は謂わば楽観的主義者みたいな所があり、また楽観的でいられる為の社会での生活能力を備えているから、僕は羨ましくも尊敬している。

『残念ながらね、先に死ぬと言う奴は大往生するものと相場が決まっとるのよ。どうせ俺の葬儀の方が早いんだからね、鼻の穴にセブンスター詰めといてくれたら助かるよ。』

『ぶん殴るよ、春の死体をね。何やってんだ!馬鹿!ってね。』

『いやいや、ごくせんの世界観。倫理と道徳前世に置いてきとるじゃん。流石に生き返るわ』

人生残り五十年、長いと思うのが幸福か、短いと思えるのが幸福か。身近な人、それも思い当たる十人足らず、彼等が死んだら僕は本当にアパシー極まれり、である。人の死なんて物語にも何もなりはしない。第一、そんな小説下卑ている。いやらしいよ。

祖父が逝った。葬儀は今年に入って二度目である。つまらない、冴えない、暗い行事は嫌いである。過剰な苦しみと飴玉一個の幸せの連続。浮世の全ては其れである。

『幸せになりたければ先ず不幸になりなさい、頑張った後の褒美は嬉しいものでしょう』

それじゃあ僕たちは何の為に生きてるだよ馬鹿が。泥水を美味しく飲む為に水を絶って砂漠を歩くなんて馬鹿な真似、僕は絶対にしないね。
今ある水を飲み切って、堕落して、強烈な日向ぼっこに興じて、何としても醜くも生き延びて、愛しい人とたまゆらの安寧を過ごすわい。

通夜の日、僕は祖父の遺体がある部屋で寝た。床に就く前に棺桶を何度覗いたけれど、祖父はもうそこに居ない感じがした。空虚な感であった。全くの別人の気配さえ遂に感じた。思えば祖父は、葬式など長ったらしいのは嫌いそうである。もうええ、長い。と言う祖父が容易に想像つく。

挨拶、着席、遅刻する坊主、南無阿弥陀仏、お経、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南ー!!!
そして、説法。

遅刻して説法とは殆どコントである。祖父も笑っていたに違いない。下手くそなお経に母と苦笑し、弔えているのかそうでないのか頓珍漢な葬儀は幕を下ろす。

『香奈は葬儀って本当に意味があるんか、って思うんよね。あれで爺ちゃんを弔えとるんかどうかも分からんし、いつの時代からどうやって葬式って始まったんかね。』

従姉妹のこの発言には驚いた。僕も全く同じことを思っていたからである。

『じゃけんね、わし葬儀中に勝手に爺ちゃん婆ちゃんの馴れ初めを空想しとったんよ。二人でここで出会って、こんなデートをして、あんな言葉でプロポーズをして、そんなことを考えたら勝手に涙が出て来たんよね』

『死ななくてもよかったよ、爺ちゃん。もっと死ぬべき人が居るはずなのに』

本心だった。心からこの言葉が出た。

『葬式になると親戚一同みんな集まれるのに、誕生日だとか、結婚式とか、そういうポジティブな会には、皆んな集まれないのも香奈は不思議なんよね。またあるとしたら葬式ってこんな感じで一瞬にして始まって、終わって、そんな感じゃろうなって思ったら、変よね、なんか変よ。』

血かね、僕はその時従姉妹との血縁をしみじみ感じた。

祖父の襟元に煙草を一本忍ばせた。出棺の前のことである。火葬炉に送り込まれ、焼き場の喫煙所で初めて祖父と煙草を吸った。従姉妹よ、こういう気取った行為が許されるという不可解さを葬式が含有している。それも葬式がいかにいなげなか、という項目に付け加えたいね。この文章もその限りである。

祖父の家に帰って祖母と二人で話した。換気扇の下で僕は煙草を吸いながら、祖母が洗い物をする姿を横目に見ていた。代わろうと思ったけれど気を遣ってやめた。少し酩酊していた。

『あんたは何回も来てくれて、お父さんも嬉しかったじゃろうて、ありがとうね。何回も病気する人生じゃったが、別に死なんでもよかったのにねぇ、ほんまにつまらんねぇ』

目頭が熱くなった。マグマのように熱かった。

ほんとうにつまらないことになった。残念である。これはただ寂しさから書いた見切り発車の文章である。一人だけ読んでくれれば良い。

未完

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