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三畜生


ベランダの手摺に恣意的な猿が無数に

荒涼の地に理屈っぽい飼い犬が1匹

処女の鎖骨の上に生き上手な狐が1匹

天使の御心

『犬ころや、君のそれは本当に理なのかい?いや、ただの卑屈さ、責任感に欠けてるだけなんだよ。利己的な懇切さ程醜いものはないねぇ。いいかい?臨機応変にさ、博打さ!思いやり?それなら行動に起こす身勝手さも身につけなきゃね。後手後手だと疎まれるぞ。要はね、自分が一番に救われようとしてるのよ。他人を助けるのに自分の生死を考える勇者が有るかい。ほら、あいつが泣いたぞ、あの子も泣いたぞ、右顧左眄、遅疑逡巡、優柔不断、まだ言い足りないか?そのおつむにわかるように言おうか?グズ?いや言い足りないね。己の遷延性に阿呆みたいに依存しやがって、卑劣だなぁその保留癖は。また委ねるのかい?他人に?環境に?偶発性に?自発性?笑わせるなよ、無い無いお前には。はたまた運命か?落ちぶれたもんだなぁ、無知は怖いねぇ、いやここまでくると可愛らしいか。あのねぇ世間はマクロでも、お前の人生はミクロもミクロよ。何も影響なんて起こせないさ、事象の喚起、届くまいよ、愚鈍なお前じゃあね。お前の嘆息一つなんぞ、蝶の羽ばたきの風圧にも及ばないさ。こりゃあ桶屋も遂には尻に火がつくだろうな。滑稽滑稽。哲学だって?そんなものたかが知れてるさ。とうに昔の暇人共が解き明かしてるだろうよ、お前がやってるのはどうせ翻案さ。はぁ、オリジナリティねぇ、お前にあろうがなかろうが、信じてやってもそうでなかろうと、世間は相対的思考に囚われてんのさ、評価は相対的だと何度言えばわかるのやら、結局は不出来な贋作よ、お前の試行錯誤なんてものは。お前はね、誰かの轍を踏んで、はしゃいで、悦にいってるだけなのさ。虚しいねぇ、侘しいねぇ、空虚な実情、でもそれが事実よ。悪いのはお前。俺たちの数を数えてみな、火を見るより、と言った所だ。裁判してみるかい?無様だねぇ、1匹。お前たちは何匹居ようと一匹さ、一匹の集団、その寂しさに享楽さえ感じてるのだから、救われないねぇ。まぁ少しでも俺達の言った事に頷けるなら、更正の余地も有るってもんよ。さもなくば、わかるね?』

魔女の懐柔

『犬さん、貴方の気持ち、私にはちょっとわかる気がするんです。ただ少し考え過ぎじゃないかしら。他人はねそれほど、他人に対して興味がないのよ、私にはそんな気がするのよ。貴方はね、思慮深い上に、見境の無い大きな優しさを皆に与えてしまうから、疲れてしまうのね。全ての所作言動に気を遣ってしまうなんて、そんな事お釈迦様にだって出来やしない事よ。いいえ、その筈よ。だからね、自分を大切にしたっていいじゃない。100回に一回、いえ、10回に一回ぐらいはね。自分を守るための優しさだなんてあの人達は仰るけれど、私にはそう感じないわ。優しさっていうのはね、一体にそんな一朝一夕で扱えるものなんかじゃないのよ。だから、貴方はちゃんと誇るべきよ。貴方自身を愛すべきよ。良いわね?時には自分勝手になったっていいじゃない。それが誰かを傷つけるような行為、傍若無人な態度は良くないけれど、貴方の意思が誰かを喜ばせる事だってあるのよ?本当よ?有ります。あら、私の事は信じてくれないの?あんな酷い事を仰る方々の事は間に受けてしまう癖にして。焦る事はないわ、ゆっくりその過小評価する癖をよしていきなさいな。私はそもそも、貴方は自尊心の高い人のようにも見えますけれども、ふふ。』

愚者の譫言

『狐さん、貴方のそんな深い愛情に私はいつも溺れてしまいそうで、貴方の言葉にいつも救われているんです。こんな慈悲の篭った言葉を投げかけられる人なんてこの世に幾人も居ないでしょう。実に優しいお方だ。只、時々怖いんです。貴方の底知らぬ懐が怖いんです、貴方の他者を許す大海の千尋が如く深い優しさが怖いんです。何をしたって、何を間違えたって、貴方は全て許してしまいそうで、その疲れを知らぬような微笑みを映す表情筋が、決して途切れぬような口端の鋭さが、私を執拗に脅迫するんです。貴方は孤独ではないかしら。それでいて、その言い知れぬ孤独感みたいなものを微塵も苦にしていないような、疎外感さえ物にしているような、強さ?を貴方から感じるんです。私は到底貴方を救うなんていう場面に出くわせないのです。貴方は誰にも救われて居ない。誰にも凭れない。涙も流さなず、黄昏に恍惚とすることなど一度も無く、深い悲しみも、喜びも全く理解していないのにも関わらず、言葉の絡繰を使って、他人の共感をかっているのではないかしら。貴方の姿を見ると、慄然とするんです。貴方は、貴方の血は誰よりも重く、血中には夥しい濃度の鉄分が含まれていて、それでいて肌は冷たく、皮膚は玄人のかんな削りのように薄く、光が透けて煌めく程に純白で、その瞳は他人を惹きつけ、取り込み、最早意志すらも取り去ってしまう。面向不背の堕天使。お粗末な形容などではなく、そうなんです。私が死んでも、いえ、誰が死のうが、どんな不幸が立て続けに起ころうとも、貴方の人生には何の揺らぎも起こらない気がしてならないんです。けれども、私はそんな恐怖に、もう魅せられてしまっているんです。恐怖と愛情を混同してしまう程に、貴方の死は私を崩壊させる程に、私の中の貴方は、それ程までに特別なもよに膨れ上がっているんです。もう怖いんです。』

『猿さん、貴方の仰る事は至極真っ当で、何も間違ってなんていないんです、それが正解に近いのかもしれない、そんな事は重々承知なんです。ただ世間ってのはどうしてこんなに、人当たりがきついのか、私の背負った重荷が見えないのかしら。疲弊しているんです。大変なんです。満身創痍なんです。逃げ場がないと知りつつも、行先行先が行き止まりだと知りつつも、逃げなければ廃人になってしまうんです。延命治療なんです。これも一か八かの、千番に一番の兼ね合いなんです。謂わば博打なんです。光明がチラチラと誘惑するんです。届かないことなど知りつつも、爪先掠める程の距離に成功の尾が揺れているんです。それに、自分本位に身勝手に、本能の赴くまま?そんなもの、猿と変わらないじゃないか。俺は人間なんだ。誰よりも人間なんです。純粋を追い求める修行僧なんです。つましい、いかがわしい、不埒な、人間もどきなんぞに全く興味をそそられないんです。私は自身の決めた理にずっと従っている。貫いている。一貫性だけは、歪んだ一貫性でも、意志を貫き通しているんです。それが尊いと、気づかなくなった馬鹿どもが溢れかえる世界にいては、私の美しさなんて光っても、ドブの重く厚い体表に覆われて、ダメなんです。もう希望なんてないんです。競争で他者を蹴落とし、嘲り、騙し、欺き、それでやっと掴み取った頂点、それで尚、他者からすれば愚の骨頂、天上から見ればそんなものは醜い底辺の争いじゃないか。努力?そんなもの自分の為にする自慰行為と何が違うんです。自己愛に溢れて、溺れて、他人を蹴落としてさえも、自己を愛でたいのかね。くだらない。浅ましい。世の中全て競争、競争経て競争、一位は偉く、ドベは白痴。才能が偉く、無才は落ちこぼれ。金持ちが偉く、赤貧の国民はせいぜい奴隷。髪が多いか、少ないか、艶があるか、ないか、癖があるか、ないか、目は大きいか、細いか、まつ毛は長いか、短いか、眼球の色は何色だ?黒か?青か?赤か?白か?腕は長いか、短いか、脚は長いか、短いか?色は白いか?浅黒いか?競争競争競争競争!
かけっこも競争、芸術も競争、恋愛も競争、稼ぎも競争、衣服も競争、詩も競争、小説も競争、家も、家柄も、人脈も、発想力も、性交も、優しさも、優しさも競争?優しさも競争かしら。優しさはもう無力ではないでしょうか。優しさは有って当たり前みたいなえらく厳粛な顔をしてみんな過ごしていらっしゃる。自分達には優しさがあるのかしら、甚だ疑問です。優しさは受けるものだと勘違いしているのではないでしょうか。優しさは自発的に誰かに無償で与えるもの、その考えはおかしいのでしょうか。皆が皆、『あの人は優しくないから、優しさが大切、優しくない人は嫌い!』とは言いますけれど、貴方達はどうなんです?貴方達はどれほど優しいのです。私は、私は果たして優しい人間なのでしょうか。いえ、優しさとは何でしょうか。叱るべき時に叱る事が出来るのが大人の優しさ、怪我をした子供を介抱してあげるのが優しさ、他者の思いを受け入れるのが優しさ、突き放すのが優しさ、殴るのが優しさ、無視するのが優しさ、話を聞くのが優しさ、自由意志を与えるのが優しさ?強制してやるのが優しさ?優しさを履き違えているのは私の方かもしれません。薄情な人は皆、菩薩が長年の修行の末、やっと辿り着いて、手入れた優しさ、アルカイックスマイルなるものを心に秘めていて、私がただ盲目で気づいていないだけなのでしょうか。そう思うと、私の縋っていたわたしの優しさは、桜貝の如く脆く、何の役にも立たないもので、それを信仰していた私は、ただ地団駄踏んでいただけのうすら馬鹿のように思えてもう虚しいのです。私にはもう何もない。ともすると、私は人間に丁寧に育てられて、毎日決まった時間に餌を与えられ、適度に可愛がられ、適当な躾をされて、ケージの中で生きてきた、畢竟生活能力の実に乏しい飼い犬に過ぎないのでしょうか。蔑視に晒されながらも自分の人生を身勝手に生きられる猿さん、貴方達が羨ましい。狐さん、貴方は、皆に羨まれる筈だ、嫉妬、言われもない噂、その中でも貴方は強かに生きている、道を外れることもなく、自身を見失わず、強かに、羨ましい。
私も貴方達の様になりたかった。』


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