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朧気な男

男は不毛な思案に明け暮れていた。先程から、もう何分、何時間、何年と、熟慮を尽くしている。男の前には背の低い安物の長机があり、その机の上に深緑の布生地で覆われた手帳と先の丸い6Bの鉛筆が、丁度手帳と机の段差にもたれ掛かるように転がっている。どうやら今夜も又、全く無意義な、無稽の思惟に没頭しているようである。この男はよく、哲学的思考実験などと、称して、『恐怖と好意の差異とは?』やら、『執拗な憎悪は嫌悪ではなく、最早純愛なのでは?』などといった、よく分からぬ愚鈍で間の抜けた疑問を態々思いついては、自身に投げかけ、毎夜毎夜、肯定否定、自問自答、是非を問いただし、彼の無学で上滑りな知識や思慮でもって、漸く手が届くような、丁度良い塩梅の回答を見つけては、手帳に乱雑に書き留め、それを終えると机に飛び上がって、発狂し、妄想の中の小鳥や熊と共に二時間程舞踏を踊るのである。その後は、一人、馬鹿に乱れた部屋を片付け、傍ら、新たな哲学の誕生、先刻の狂喜乱舞の追憶にふけるのである。そして彼に訪れる、唐突の静謐。一呼吸置いた後、また思考の先を自身が生み出した唯一無二の哲学へと移す。畢竟、自身の創案から生じた疑問を、それまた自らで回答している訳でありますから、別段誉めてくれる点など存在しない筈なのですが、その回答の非の打ち所がないことに自惚れ、狂愛し、愛着が湧きでもすれば、酒の席で、ここぞとばかり、飲兵衛達を相手に、その底の浅い哲学を聞かせたりなどしているのである。反芻思考。それがこの男の恥ずべき習慣であり、依所であり、十八番であり、性状であった。
彼は常に、ある一つのアイディアに取り憑かれているのである。それは、
『我、人生の岐路にあり』というものである。日々、黄金すら霞むような、安寧漂う、極楽浄土への回廊を闊歩する自身を夢想し、それまた実現させるべく、思案思案。ただ、行動は何一つとして起こさないのであった。彼は病的なまでに、それはもう気狂いとしか言いようがない程、この思考にくびったけで、正に恋慕の情とでも言い表せるような、その思考への異常なまでの愛情を常時剥き出しにして日常を過ごしているのである。それは傍から見れば、狂気そのもの。狂気、狂乱、狂人、狂想、などの熟語を人に教える機会があれば、真っ先にこの男を連れてきて、暫時自由にさせて置けば、それらの熟語の未だかつて誰も、賢者でさえ知り得なかった本質さえも、説けるのではないだろうか。とどのつまり、この男は、世間様からすれば、煩わしく惨めな性癖を持った、落伍者、人ならざる魍魎なのである。そんな変人、異端者、呼び方は最早読者に任せようとまで思うが、この変態男の筆が、今日は全くと言ってよいほど進んでいない。これはまた珍しいことなのである。稀有である。稀覯である。非凡非凡。青天の霹靂か。奇妙だ。読者の諸君、明日は雨の代わりに母乳が降るかもしれませぬ。沛然と驟雨が降らず。驟乳です。いや驟糞か、驟豚か。はい?もうよい?あら、そうでございますか。普段ならば、そろそろ出来の悪い穴だらけの、十全十美、純一無雑の哲学が完成し、それに醜怪の笑みを乗せた顔を頬擦りする頃合いなのだが、男は未だ、訝しげな表情で、思い詰めたように、天井を仰いている。どうしたものか、作者も流石に不安になって参りました。

半刻が過ぎ。なに故か、男は徐に着ていた寝衣をそそくさと脱ぎ始め、部屋の隅に小積んである、よそ行き用の衣類を大義そうに掴んで、着替え、玄関の方へ向かった。男は、玄関のドアノブを捻り切るほどの膂力でもって回し、ドアを乱暴に押し開けた。心地の良い外気がドアの隙間から入り込み、家内の澱んだ倦怠の空気と入れ替わる。ドアを開けるとぼんやりとした薄い光が男の視界に入った。蝋燭の火をホオズキで包んだ様な光が彼の半身をそっと撫でるように照らしている。

貴方は、読者はここで、光源の正体が一体全体何かと、気になっているに違いない。私作者もその限りである。否、そうでなくとも、興味をそそられたような様子をみせてくれたまえ。傲岸不遜、我関せずと、我が道を行く生き様、姿勢は素晴らしいと言える。だが、時にその様な態度は他人に孤独感や疎外感を与える。そう私は考えている。ですから、どうか、ここは、阿諛迎合に徹してみては如何か。決して悪いようにはしません故。

男は自分を照らす光芒の正体、その疑問に一瞬思考を支配されそうになったが、結局、その正体を確かめようとはしなかった。
その光が、今の彼の重い首をあげるに値するかどうか疑わしかったのだろう。どうやら男は思い悩んでいるように思われる。毎夜毎夜の傑作誕生の日々を裏切るように、滑稽哲学が中々に尻尾を出さぬからだろうか。傑作とは全く名ばかりであるが。彼の外出の要因、その謎を紐解く手掛かりは、そこにあるのかもしれない。

男は、玄関まで続く傾斜のきつい階段を流れるように慣れた調子で降り、眼前に現れた道を無表情で歩きはじめた。彼が歩き潰す靴の下には無機質なコンクリートがよく統率された軍隊のようにただ敷き詰められている。

『全くつまらない。凡そ気分が良ければ誰もが頷くような情緒ある感想が思いつくのであろうが、今の私には、転んだら痛そう、だとか、汚い上に温かみがない。と言ったつまらない批判ばかりしか浮かばない。』とでも言いたげな顔を添えて、男は、その漆黒のコンクリートを睨めつけながら、のそのそと歩いている。彼の表情からは憤懣と退屈を感じる。大方その通りであろう。

いくらか、二百メートル程か、男は歩いた。こじんまりとした商店街を抜け、大通りを越えると、森林公園がある。大きな池を木々が囲んでおり多少なりとも自然を感じられる、喧騒溢れる殷賑な都市部と較べれば、風情のある場所と言えるだろう。鬱陶しいほどの緑葉が空を覆い鬱蒼としているが、そんな閉塞感が現在の彼の心情とうまく調和したのか、男の表情からも嬉々とした何かが、未だ僅少ではあるが、その顔面に滲み出てきている。ほら、貴方も目を凝らして見てみたまえ、この男は異端児ではあるが、まずまずの容貌をしているとは思わぬか。あら、思いませんか。そうですか。すみません。

中々この男の行動から、装飾的な、所謂ハイカラな一面が見えず、私も退屈してきました。この男は一体何をしたいのやら、どんな教訓を私達観測者に与えてくれるのか、いや、もしも、そんな俗な事など全く気にも止めて居なければ、どうしてくれようか。たった今、此処でこの物語を読むのをやめる読者の如く、私の元を粛々としゃなりしゃなり、離れてゆく貴方のような、この男がそんな傲岸不遜の人格の持ち主ならば、私の思惑は全て覆される。このまま徒然なるままに書いてゆけば、面白い傑作が生まれると信じて、やれここまで来たのにも関わらず、あぁ、どうしてくれよう、寂しい寂しい。どうか、貴方、嫌わないで下さい。あぁ。そんな憐れむような目で見ないでください。どうか、貴方の中の恒常の慈愛よ、振り向いてくれたまえ。私は貴方を見捨てることなどしません故。どうか。

何やら吃ったようなか細い声が聞こえる。

一筋の光明ここに差し込んだか!

『しかしながら本物とは言い難い。これは偽りの自然。その木々も池も全ては誰かに管理、整備されているのだろう。小姑が呟きそうな小言を喉に絡む痰で抑え、私は目的もなく進む。』と、男は呟いた。私はほっとする。痰で抑えたはずの呟きが抑えきれぬ自意識からか溢れ出ているではないか。笑止千万。後に手帳に書き留めようと思い、放った言葉なのかどうか知らぬが、助かった。コップ一杯の創作への胆力。そう、このように、少しでもこの男の狂気の一面を垣間見ることが出来なければ、この物語は、眇眇たる無味乾燥の、つまらない物に成り下がってしまう。それも今、只今、狂気を掴み取らねば。悠長に下らぬ譫言を呟いてる場合ではないのだ。どうか、救世主よ、私の筆を滑らせる潤滑油を、此処へ垂らし給え。

男は未だ、その大きな森林公園の外周を歩いている。公園の入り口から、少しばかり歩くと池にかかる小さな八つ橋がある。これといって歴史あるような物では無いだろうが、なんとも言い知れぬかすかな味わいをその橋から感じる。

『幼少の頃繰り返し観た映画を思い出させるようなフォルム、橋を形取るいい塩梅の曲線、私はそれらがどことなく好きなのだ。』男はまた呟いた。今更指摘することでもないだろうが、この独り言にまるでキザな口調、流石の珍妙さである。それに、喜んで良いのか、悲しむべきか、私は初めてこの男と意見が一致した。『橋からそこはかとなく感ぜられる趣。』あれは確かに良い。どうやら、私は、無意識にこの男の哲学に追従しているのではなかろうか。そうならば、恐ろしい。私もいつか、彼のように譫妄に浸かり、水々しい草原の上で、草木や動物とタップダンスでも踊る夢をみる羽目になるのではないか。それだけは避けなければならない。

この男はよく此処に訪れる。今日のように鬱憤が溜まった日や、漠然とした焦燥感に苛まれる時、男はこの橋の上に立って何をするわけでもなくいつも池を眺めるのである。なにもこの池が面白いのではない、泳いでる鯉は暗い汚い色であるし、集って口をパクパクひくつかせている姿は食べ物をねだっているようで卑しい。ただ、男は、たった今も、橋の上から、穴が空くほどにじっとその澱んだ池を覗き込んでいる。

自身がすこし現実から遠のくような感覚、底のない大きな井戸から意識だけが落ちて行く、広い入り口の穴は見る見るうちに小さくなり、黒い画用紙をまち針でつんと、突き刺して開けたような穴から小さい光が一つ。そんな少時の感覚を求め、男はよくこの橋に訪れ、又、その幻想に縋っているのだ。

公園内には様々な人間が居る。ランニングをする者、筋力トレーニングに励む者、ベンチに座って話し合う男女と様々である。それら全ての人々の人生など私が到底知る由もないが、大凡彼らにとってはとっては、この男が普段享受する幸せなど、幼児が大人へ向ける忿懣程の凡庸でみみっちい物なのだろう。この男の生活は、そう言っても過言では無い程に見窄らしいものなのだ。

『幸せには重さは無い、それぞれ環境、性格、価値観と多くの要因によって変わる。大半の人に共通する普遍的な幸せは存在するかもしれないが、それが幸福の主軸となるかどうかは分からないものだ。つまり、比較できるものではない。』この男は、自身の人生に於いての幸福をこのように捉えているそうだ。しかしながら、分かったつもりでも、隣の芝生は青いのである。道中すれ違った恋仲と思われる男女の、仲睦まじそうな会話を小耳に挟んで、男はまた、陰鬱な思考に囚われてしまった。

『隣の芝生は青い。青い?青いどころか黄金、石油に加えて温泉が沸き上がっているではないか。かくいう私の庭は汚物で溢れ、草木は全て枯れている。あぁ、こんな考えが浮かぶ自分が忌々しい。残念な人間性。論理的に俯瞰で物事を見ているようなフリをして自分を甘やかしているだけではないか。』

彼の悲観的な考えは、泉が如く溢れ出し、滝の様に流れゆく、枯渇をまるで知らぬ憂愁の泉水。ほら、彼の鬱々たるあの姿を見たまえ。首の座っていないような様で項垂れ、両腕を脱力させて、のろのろと、足も絡まり、屍人のそれではないか。こうなってしまっては、今の彼では、中々この泥臭い思考の中から抜け出せまい。この男の躁鬱と変動激しいバイオリズムのお陰で、この物語も迷宮入りになってしまいそうだ。作者としても大変心苦しい。面目ありません。しかし、最早我々は、運命共同体なのです。今は、この男の行く末を雁首揃えて見守る他ないのです。賭けた馬は最後まで信じ切らねば、無作法というもの!

踏みつける道がコンクリートから砂利道に変わってもあいも変わらず何処か不満そうな顔をしながら、男は歩きにくそうにフラフラと素面の癖して千鳥足で、園内をあるいている。
『この石!この大きな石が私を転ばせようと躍起になっている。どいつもこいつも、私の周りには薄情な輩ばかりが付き纏う。あぁ、こんな落ち込んだつまらない気分では砂利道に面白さなど見出せるわけがない。思いついていたとしても眼を背けてしまうのが人というものよ。』石に怒る男。客観してみればなんと滑稽か。この男が怒ると何やらこの物語にすこし躍動感が生まれるようだ、ずっとそうして憤怒の罪を背負って生きてゆくのが良い。そうしていれば、中々の喜劇役者にでもなれるのではないか。良い兆候だ。一時はこの文章が暗く面白味にかける、不男のような雰囲気を漂わせていたが、案外上手く収まるのかもしれない。ただ、ここで気を抜いてはいかん。断崖はいつも足元にあるのだ。

男の背に汗がじんわりと滲む。

『こんな時期に厚着などするべきでは無かった。蒸し暑くてしょうがない!』男は怒りの籠った声で、語気を強め、砂利道の上の落ち葉に向かって、そう罵った。今度は道端の枯葉に腹を立てている。こんなにころころと情動を変えては、疲れないのかしら。情緒不安定とはこの男の為にある言葉なのかもしれません。

男は、そんな生産性の無い考え事をしている間に、地面がまた無機質な黒に変わっている事に気がついた。いつしか公園を抜けてしまっていたのである。そして、木々が邪魔して見えなかった夜空がふっと現れる。男の視界に入った光の正体が空に浮かぶ。そろそろ潮時でしょう。この男にその正体を明かしてもらわなければなりません。男は、渋々といった態度で、いかにも大儀そうに首を上げ、夜空を醜く睨んだ。

優美な月であった。

『あれは月光か。』

男は純然たる気持ちでそう言った。丁寧に図ったような円から温かみのある光が溢れている。
『きっと地上に落ちてくれば高い値が付くに違いない』月の光線を浴びながら、空を仰ぐ男に、そんな考えがふとよぎった。
彼はどこか、守銭奴のような、吝嗇家の一面を持ち合わせているのかもしれません。どこまでも救われない人間性の持ち主だ。他人に嫌われる為に生まれてきたのかしら。流石の作者も彼には憐憫を覚えます。

月の周りには絹のヴェールのような雲が控えめに装飾されている。男がそれに見惚れていると、風がひゅうと吹いて雲はゆっくりと何処かへ流れていった。

『主役の邪魔をしない謙虚な脇役だ。あれが二度と見られないと思うと、雲というものはとてもアーティスティックなものなのかもしれない。』

男はそう思いながら、流れてゆく雲の端をひたすらに目で追っていた。伊達な台詞しか思い付かぬ、駄目男である。

家に着くまでの間、男は一度も首を下ろさなかった。空に浮かぶ丸い光を阿保面で眺めていたからである。さっきまでのまごついた足取りが嘘の様に、軽々と地面を踏みつけながら歩いている。しかし、男の軽快なステップも100歩を過ぎた辺りからなりを潜めた。男は帰路に居るのである。求める回答は手に入らず、手持ち無沙汰のままである。男のした事と言えば、凡そ2キロ程の道を歩いて、池を間抜けつらで眺め、男女の色欲に満ちた性活を妬み嫉み、小石と喧嘩し、落ち葉へ怒りを撒き散らし、月を眺めて、浅い芸術論を語り、束の間の一喜一憂に勤んだだけである。男は、

『はぁ、あぁ!!!はぁあぁ!』

と感嘆し、嘆き、呻吟して、発狂に至るのをぐっと堪えた。そしてまた、ぽつぽつと縮こまって歩き始めた。

男の陰鬱な気持ちを呼び起こす寝床がずんずんと近づいて来る。楽しい逃避行もそろそろお終いである。男は、玄関まで続く険しい階段を一度見上げ、落胆した。男にはその階段がロダンの傑作、地獄の門の様に見えたに違いない。仕方なく、と言った表情で、男は、階段を一段一段踏みしめて、登りきり、ドアノブに手をかけた。外出した時程の膂力はもうその手には残っていない。男はまるで空き巣がそうするように、ゆっくりとドアを開け、人目を憚る様子で、抜き足差し足忍び足、家に入った。、狭まってゆくドアの隙間から男は名残惜しげに空を少し眺め、カチャン、丁寧にドアを閉めた。

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