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夏の幻影

9月17日 木曜日

私がこの手帳に初めて付けた日記の一節に、このような事が記されておりました。

"自身の思いを書き留める事が、私の憂鬱を形作るもの一部になるのは、当分先であろうが、"と

しかし、明らかに、この現在書いております文章が、紙の上に乗るのは久しいことでありまして、私は全く口が上手いものだと、感心さえしております。さて、このようなナマケモノの私が再び日記をつけようと思い立ったのは、どういう風の吹き回しかといいますと、これまた腑に落ちる回答もないのですが、文字を書くことにどこか恋しさを感じていたのかもしれません。思い返せば、私が学業で誉められたことといえば、芸術と文章と裁縫ぐらいでありますが、またどれもこれも金に直結しないものばかりで、いつもそのことを考えると、全く気落ちしてしまいます。加えて凡庸、凡夫、中庸のそのまた平均点。
これには流石の孔子も苦笑間違い無し。失笑の方が些か適切でしょうか。

あぁ、ただ、あぁ、と呟いて、一歩進んで、あぁと嘆いて、2歩下がって、あぁあぁと落胆して、走って、躓き、これまた、あぁ、あぁ、あぁ、はぁ

私の本質は凡そ、世間様から見れば、透き通る絶品スープの底で沈殿する髪の毛のようなもので、すぐに油虫を見た時のような侮蔑の表情を顔へ浮かべながら取り除かれるべき異物なのです。ただそのような不衛生な混入物にさえ、私は愛しさなるものを感じてしまっておりますから、もうどうしようもないのです。

逃避、懶惰、虚言、モタモタ、グズ、
虚偽、遷延、遷延(せんえん)こんな熟語もあるそうです。今まで幾人の人間が、遷延という言葉に出逢えずに死んでしまったのでしょうか。
遷延が為に新橋で扇形の千円拾う。無表情で書きました。

『こうやってね、駄洒落で覚えたら何年経っても忘れんものなんよ。次からそうして覚えてみんさい。』

はい、泥。猿ファイト!ハイドロサルファイト。

幼年、夏季休暇中、祖母の家で私が宿題をしている際に、母がそう教えてくれたのを覚えております。

アブラゼミが耳がつんざく程にやかましく、あの不細工な求愛の鳴き声が響く度に、自身の五臓六腑さえも同時に共振しているような気がしてならず、どうしようも無い鬱陶しさを感じておりました。

アブラゼミは何処へとまっとるんじゃろうか。

私は、宿題の気晴らしに、宿題が先よ。と引き留める母を無理矢理説得して、小走りで、たったった、と、本当に、そんな可愛らしい足音をたてて、縁側に行きました。祖父と祖母のつっかけが二足、庭の玉砂利の上にありましたので、私は祖父のつっかけの方を選んで履きました。私の足が後二つは入ろうかというような大きな、重いつっかけでした。後で祖母に靴の重さがどれほどかを喩えてやろうと思いましたので、
『両足に鉄球括りつけとるんか。』と脳裡に思いついたその形容を忘れぬよう、丁度、周囲の人間に聞こえない程の声で呟きました。

空にはやけに立体的な入道雲がどっしり、ほかの雲と上手に間隔をあけて浮かんでおり、その上に炎天が太々しく居座りながら、私を睨んでおりました。
灼熱。表面温度六千度の恒星が放つ光線が、ひとたび瀬戸内海の潮風に降り注げば、清涼な風は一変して、気鬱な生ぬるい風と成る。正に此れが温暖湿潤気候そのものである。
この地を知らぬ気象学者は、温暖湿潤気候を語るべからず。日本の気候の真髄はここにあり。
人類は、エアコンや扇風機といった小手先の技術無くしては、この光の眼前を歩くことすらできないのだ。と、そんな事を暑さゆえに想っておりました。

汗の飛沫をあげながら、5分ほど、半ば疲労が故に諦めながらも、蝉を探しました。
全く見つけられないのです。じっと、木を眺めても見当たりませんし、隣家の壁に目をやっても、家守が1匹、じっと、歪な凹凸の壁に、干物みたいにじっとり張り付いているだけで、それ以外は何も見かけませんでした。
四方八方、私を囲うようにして奴らは鳴いているはずなのに、私の視界には、1匹たりとも姿を現さないのでした。

四面楚歌 蝉が敵なら 我万事休す

祖父のつっかけをわざと擦らせて、庭の玉砂利を鳴らし、蹴飛ばしながら、縁側の方に戻りました。

『鳴きよるんじゃけど、何処におるかわからんわ。烏に食べられんように必死なんかね。ワシは烏じゃないんじゃけど。』部屋に戻ってから祖母にそう伝えました。

『まぁ、おるわいね!うちが取ってきちゃろうか?素手でピシャッと捕まえてから。』と目尻に皺よせて、大きな声と、からかうような自然な笑顔を添えて私に言いましたので、

『いらんいらん!気持ちが悪りぃけん、どうするん?捕まえてから、家が蝉だらけでぶんぶん飛ぶようになるわっ』と言ってやりましたら、

『まぁ、男の子じゃに、虫が怖いんじゃね。』とさっきの私への揶揄いの笑顔の余剰、とでも言いましょうか、そんな表情を顔に乗せて、また私を揶揄うのでした。それから二、三、やりとりを続けたような気がします。それは、いつもの祖母との所謂お約束の会話みたいなものでした。私は昆虫という生物に嫌悪以外の感情を向けた事がありませんでしたから、祖母は油虫が出た時も同じような事を私に言っては、私を揶揄っておりました。しかし、私はその"お約束"に一切の退屈を覚えることはありませんでした。祖母もそうだったに違いありません。母も度々そのお決まりの会話に入っては、失笑したり、祖母に突っ込んだりしていて、抱腹絶倒、という程ではありませんでしたが、なにか、親縁の幸福というような、絶対不可侵の領域がその会話の中にあり、私はそれが文字通り"大好き"であったと、後年気付きました。ですから、祖父の家では、所謂偽物の、贋作の笑顔はあまり見ませんでした。

宿題を済ませるべく、母の隣の椅子に座り、学習帳ののどに挟まったえんぴつを取ってから、小馬鹿にしたような算数の問題を眺める傍ら、ふと想いました。

広島の夏は、日照りも強いし蒸し暑いけん、木も壁も瓦も電柱も、それは辛うて金切り声で泣いとるんじゃろうよ。

恐ろしき純粋なる子供の想像力。これは蝉声の轟きではなく、暑さ故の、家屋の悲鳴、呻吟だと。苛立たしき蝉の鳴き声すら幻影と化してしまうものか。

そう考えると、先程までの空転の憤懣が、夏の夜、ふと熱気が引くように、薄らいできましたので、そう思い込むようにしました。

『実は蝉はひとつも鳴いとらんのかもしれんね。暑いけん壁も屋根も…』

そっと、慎重に投げかけるように、炊事場の祖母にそう言いかけ、やめました。後に続く言葉があまりにも鼻につく、キザな空想だったのです。それをまた言葉にしようものなら、襲いかかる赤面と煩悶、優美な白蛇が妖艶な所作でするすると小柄な私の背を這い上がるように、一つ二つと増えてゆく鳥肌。その様な忸怩たる難儀が私に襲いかかることを幼いながらも私は予見しておりました。色白のけつの青い小僧がそのような禍々しい二頭龍から逃げ果せる術を持ち合わせている訳が無いのです。そのことを当時の私は過去の失態から身に染みてよく理解しておりました。愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。私は愚かな前者なのかしら。
モザイクのガラス戸で遮られた食器棚の中に卵状の形をした楊枝入れがあり、淡褐色のボストンのようなその楊枝入れの薄いガラス蓋を開けると、何十何百の楊枝が隊列を成すように束になって詰まってありました。赤面も程々に、私は、その整頓された軍隊楊枝の束中から一本、細く、ささくれた二等兵楊枝を取り出して、ほじくる食べかすなどありはしないのに、伊達な台詞を思いついてしまったが為の小っ恥ずかしさからか、その痩せ細った楊枝を咥えて、唾液で、てろっと濡らし、綺麗に生え揃った門歯でそれを挟むようにして、噛み、時々、器用に、顎を引き、戻しと、上下に楊枝を振ってみたりなどして、唐突の辱めから逃げる様に、幼き私は、一時の体裁を取り繕うのに必死になっておりました。

幸か不幸か、祖母には私のその羞恥の籠った声は届いておりませんでした。

炊事場からは、水道の水が延々とステンのシンクに跳ね返り、ツーという静閑な音色。乾いた米粒の張り付いた茶碗がまた別の皿にぶつかり、かちゃかちゃと、戯けた音色。祖母の、シリアルキラーか残忍なブッチャーの如く小松菜を乱雑に切り刻む、ザッザッ、という厳かな音色。それらが只、こじんまりと家の中だけで響いておりました。
夕陽に一般家庭が奏でる、晩餐の為の序曲、レノオーレ、または、ワルツでしょうか。祖母は間食をよく好みました。ショパンの書いた子犬のワルツ。あれは謂わば、決して飽きぬ間食。あどけない少女性、軽快かつ優美な旋律。私も此れを書きながら小腹が空いてまいりました。
その時祖母がなにを作っていたのかはもう、覚えておりません。ただ、鰹のよい香りがひとつ。

リビングの赤茶けた長机に目を向けると、麦茶が注がれた机の上のコップがしっとり汗をかいており、滴り、コップの淵から底へと繋ぐ直線をなぞるようにして水滴がツーっと垂れ、コースターのコルクがそれを、スッと吸い込みました。

『まぁどうでもええけん、あんたはよう、宿題を終わらせんさい。休みはあっという間よ。』と、母が言い。

ぼけたようなか細い声で、『うん…』と付け足すように私は返しました。


飽き知らぬ 喉は枯れぬかアブラゼミ 

落ち葉と散れば 秋はすぐそば


ミーンミンミン…あぁ、哀愁と望郷。

















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