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チェイテ城とか行ってきたよ【2日目:チェイテ城編】

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(チェイテ城に辿り着くまでと、バートリ夫人と吸血鬼について。あと私の個人的な話とその見解。)


長い旅のひとつの目的地、「血の伯爵夫人」エリザベート・バートリで有名なチェイテ城へ向かう。

村の中心地から城へは一本道で、迷うことはなさそう。村から徒歩1時間弱…とは聞いていたけど、うっかり日本から飛行機乗ったそのままのフェミニンなワンピースとハードな靴で来てしまったなー、歩くための格好ではないし既に道中の疲れもあるから気をつけて行こう。単純に転ぶだけでもシャレにならないしね…。苦い経験…。

村の中心地から進んでいくと、いかにも住宅街といった感じで家々が並んでいた。こういう住宅街は万国共通かな。庭があって車があって、あとやたら犬に吠えられる。なんかどの家の犬もでかいな。人の姿はそんなになくて、閑静な住宅街といった感じ。


ふと、10メートルくらい離れた家の車のそばにいた少年がこちらを見ているのに気付く。小学低学年くらいの茶色がかった短い髪の白人系の少年。するとその少年が声をかけてきた。「〜〜〜〜〜?」…え!?全然聞き取れない。スロヴァキア語だ!とっさにパードンミー?って答えた。少年が不思議そうに「ブリテン?」と聞く。んん?Britain?英国?とっさに思い出した単語で「ヤポンスカ!」って答えた。日本だよ!、と。

少年が一瞬フーン、という顔をして、山の方を指差して「ホラトゥ?」って言った。hrad、お城のことだ!お城行くの?みたいなニュアンス。これくらいはわかるぞ!Yes hrad!お城に行くよ!少年がまたフーンという顔をした。言葉が通じたぞ、嬉しい。じゃあね、バイバーイ、と手を振って、そそくさと歩き出した。

歩き出した後、あれ?これ何かのイベントフラグだったのか?と思った。地元交流的な。でも、私はいま女1人の単騎出陣で、何かあった時に助けを求める術もない。駆け込むところもない。

スロヴァキアの人が優しいのは電車とホテルで十分に伝わってきたけど、その浅はかな期待以上に「私はちゃんと日本に帰らないといけない」。親切を受けることと自己防衛の狭間で、これまでの旅でも何回も悩まされたけど、私の英語力を鑑みてもそのリスクに対応するだけの力がまだない。少し寂しい気持ちを覚えながら歩き出す。帰ったらちゃんと勉強してTOEIC受けような。

振り返ると、もう少年の姿は見えなかった。もしかして日本人を初めて見たんだろうか?もし次に会うとき私に今よりもっと余裕があったら、ここよりずっと東にある島国のことを教えてあげよう。チョンマゲでカタナ持ったサムライが歩いてるんだぜ、って。


いやしかし、東欧、人身売買が多いことで有名なんだよな。ハリポタの監督がそういう映画を撮ってたな…。それも事実としてあるだろうけど、「若い女性がどこかに連れて行かれる」って、『吸血鬼伝説』がイメージのひとつとして定着しているせいのような気がしないでもない。あとここのチェイテ城の逸話とかね。

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ここで私なりのチェイテ城とバートリ夫人と吸血鬼の話を。オタク特有の早口で。一息で行くよー。

歴史によれば、当時ハンガリー領だったこのチェイテ城は、1604年に夫を亡くしたバートリ夫人が居を移した城。それ以降、召使いや領地の者に対する残虐行為がエスカレートしていったという。肌が若返ると信じて若い娘の血を浴びたり、あらゆる残虐行為を楽しんだり。その犠牲者は600人を越えるとされ、ギネスにも掲載されている…らしい。

その悪逆非道な残虐行為がバレて裁判で裁かれることになったものの、国内でも有数の高貴な家系だったバートリ家に配慮する形で、バートリ夫人は死刑ではなくチェイテ城の寝室に生涯幽閉されることとなった。亡くなったのは幽閉されて3年半後のこと。

…というのが、バートリ夫人とチェイテ城に関する一般的な歴史。

最近の説では、当時のハプスブルク家などの周辺貴族による権力争いに起因するでっちあげ説が上がってきていて、そもそも有名な拷問器具の「鉄の処女」はおろか「血の風呂」すら作り話という説…などもあるんだけど、これはひとまず置いておくね。ヨーロッパではこの後に魔女狩りも始まったから、その影響も少なからずあったはず。


このバートリ夫人の話が"吸血鬼"として広まったきっかけのひとつは、1872年にアイルランド人の作家レ・ファニュが書いた短編小説『Carmilla』。邦題は『女吸血鬼カーミラ』。内容は、貴族の少女が謎めいた美少女に出会う物語で、なんとも儚く美しい美少女純愛百合悲恋小説なんだけど、いや〜〜〜レファニュ生まれる時代が早すぎる。現代でも書いてほしい。二次元ドリーム文庫とかで出して。…ハッ脱線しました。僕の悪い癖。百合小説としてポイントが高すぎるのは置いといて、この美少女百合小説のモデルが、東欧で若さと美を保つために多くの少女の血を求めたとされるバートリ夫人とされています。

そしてこの美しい吸血鬼のイメージが、もともとヨーロッパにあった狂犬病絡みのぼんやりとした伝承と繋がり、ミステリアスで美しい"吸血鬼"という概念に昇華していくこととなり、後の吸血鬼モノの超ビッグネーム、1897年ブラム・ストーカー著『Dracula』(吸血鬼ドラキュラ)に大きな影響を与えたとされる。あっこれは諸説あります。『Carmilla』の前にも吸血鬼モノあるしね。でもドラキュラ伯爵というキャラクターと、後世に伝わる吸血鬼のミステリアスなイメージは、レファニュが書いた(美少女百合悲恋)小説の陰鬱で美しくて官能的な感じが生きているように思う。しかし同性愛とかタブーだっただろうに百合は万国共通なんだな…。いえ私の個人的な感想ですが…。

ちなみに『ドラキュラ』の直接的なモデルはルーマニアの串刺し公、ヴラド3世。1462年のオスマン帝国との戦いの中で数百人の敵兵を串刺しにして林立させたという逸話があまりにも有名。私は漫画『シャーマンキング』で知りました。バートリ夫人とは親戚だそうな。


ともあれ、吸血鬼モノの元祖の元ネタと言っても過言ではないのがバートリ夫人。今や吸血鬼モノに触れたことがないオタクいないでしょう。まず『ジョジョの奇妙な冒険』で通るし、『ポーの一族』で涙するし、RPGの中ボスで不死身キャラみたいな感じでだいたい出てくるし、現代の日本においてハロウィーン期間ではコスプレ衣装を見ない日ない。あとドール業界でも秋とかにこぞって企業が吸血鬼メイクの限定ドール出すし。RINGDOLLさん、そろそろ吸血鬼組の復刻お願いします!

(ここまで一息)

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私、自己認識は30〜40代の百合好きな武士だけど、外面は一応フェム系の妙齢のアジア系の女でやってるので、今の状況をハタから見たら「いわく付きの城にひとりで喜んで乗り込む異国の女」に違いなく、この城の伝承にある、

“連れてこられた娘達はピクニックにでも出掛けるかのように嬉々として城の門をくぐったが、生きて戻ることはなかった…”

みたいな感じじゃん?やばい、燃える。絶対生きて帰ろ。

自分の尊厳のために申しておくと、バートリ夫人を推しているからといっても別に被虐趣味もなければ加虐趣味もないし、どちらかというと「その人」に興味のあるオタクであるがゆえ…フォカヌポゥ…うーん今更何言っても遅いか。あっでもそういう趣味の人をどうこう言うわけじゃないよ。好きなことがあるって素敵だ。多分私、前世が非モテの百合男子だったんだと思う。多分ね。


この旅の中で、どうしても自己認識とかそういうナイーブな部分に触れざるを得ず…というか、そもそも触れるつもりで来たのだった。ごくごく小さな覚悟みたいなものを懐に持っていて、それは自分の腹部を刺すことになるかもしれなかったし、はたまた、自分自身を縛っている何かを切り落とすことになるのかの賭けでもあった。少々大袈裟だけど、もう少しで何かに気付いたり、どこかに辿り着けるような気がする時ってあるじゃん?そんな感じ。


それに私ももう30万年近く生きてきたけど、手垢まみれのジェンダー論とかに酔いしれるための時間の持ち合わせはもうとっくになく、今の私にできることは、こういう人間として明るく楽しく懸命に生きていくことだと思ってるよ。

私自身、もともと人に理解されることにあんまり興味がないから、というか、簡単な言葉で片付けられるのがシャクだから、だから、こういう捻くれた人間であるからこそ見つけられる何かがあるかも、と心のどこかで信じようとしている。これまでいろんなことを見て、諦めて、ほんの少しのことを知ってきたうえでの、微かに祈るような気持ち。


だから「その人」のことをもう少し知りたいと思ったのだった。自分の欲のために600人以上の少女を殺したとされ、極悪非道で残虐で官能的な美しい無辜の怪物、吸血鬼伝説に影響を与えたという逸話のある人が、地元ではどういう扱いになっていて、どのように思われているのか。やりたい放題してたっぽいけど大丈夫?と。


それがどこに繋がるかはわからないけど…。でも、現にこうしてチェイテ城に繋がる山道を歩いている。

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電車からも見えた黄色い花畑だ!綺麗だなー!規模がすごい!あの丘一面なんじゃないだろうか。


もう結構、山を登ってきた感じがする。景色はもうずっと森の中で、同じような木々がずっと続いてる。新緑が美しいけれど、今にも雨降りそうな天候で少し薄暗い。実はさっきちょっと降ってた。折り畳み傘を持っていて正解。


城の方向から歩いてきたご夫婦に出会った。50代くらいの2人ともブロンドの髪のご夫婦で、ザックにノルディックポールのしっかりしたウォーキングスタイル。「今からお城に行くの?」みたいな感じで話しかけられた。スロヴァキア語だったと思う。そうです、今から行きます、と英語で返す。「この先結構アップダウンあるから、頑張ってね!」みたいな感じで身振り手振りで教えてくれた。ありがとうございます、どうかお二人も良い日を。言葉全然わかんなかったけど、「伝わった」感じがする。ほんの些細なことだけど嬉しいな。


ご夫婦とすれ違った辺りから更に森が深くなった。ずっと坂道を歩いてる感じがする。登る前から思ってたけど、下からはお城はおろか全然この山の全貌が見えなかった。木々が多くて、ひとかたまりの大きな森みたい。日本の山だったら何となく全貌が見えるのにな。標高自体はそんなに高くないのかな…。

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もうどれくらい歩いたかわからなくなってきている。ずっと同じような景色の森の中の一本道を歩いていて、聞こえる音といえば賑やかすぎてうるさいくらいの鳥、鳥、鳥の声。ヒバリとかモズかなあ。日本でも聞く声だけど、こんなに大合唱するもんなのか。全然不快じゃない。むしろこの森の感じで静寂だったら普通に怖かったと思う。

ただただ、ひたすら森の中を歩いていく。

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おおー!!!駐車場の案内だ!もう近いのかな。

少しずつ森が開けてきたような気がする。

お?

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おわーーー!!!!急に現れた!!!!!!!

「森が途切れて、突然現れた」に近い。全然見えなかった。いきなりだ!!!ビックリした!!!

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これがいわゆる城壁。これをくぐるとお城なんだ。さすがにドキドキしてきた。


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看板。もちろんスロヴァキア語だね。ちょっと慣れてきたぞ。

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城内MAPだ!何においても攻略にはまず地図が必要です。(ゲーム脳) こうして見ると結構な広さだな…。

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看板はくまなくチェックしないとね。(ゲーム脳) 後でGoogle翻訳してわかったけど、土地のこととかかなり細かく説明してあった。もちろんバートリ夫人の逸話も。

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これが一番目の門。いよいよ敷地内って感じ。

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手すりに何か貼ってあったけどこれイベント情報?えっ花火とかあんの?え〜〜〜楽しそう〜〜〜。

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二番目の門。トンネル状になってて柵がある。

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おわー、中世に迷い込んじゃったみたいだ…。


このトンネルを抜けたすぐの所で案内所を発見。よかった〜、誰もいないのかと思った。ここで入城料を払う。案内所のお姉さんスマホで電話中だけど器用に対応してくれた。

何か、人の気配が全くしない。前に写真で見たときはかなりの観光客が歩いてる様子だったんだけど、マジで人の気配がしない。これは…まさか…貸し切り状態なのでは…?

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貸し切りだ……………。

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静かだ。私の足音しか聞こえない。あんなに賑やかだった鳥の声がすごく遠くて、今はすごく静かだ。

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あんな逸話があるから、もっとおどろおどろしい場所かと思ってた。こんなに美しい場所だったのか。

ここからは大きな河と、近隣の山々が見える。地平線は海でもビル街でもなく、山と森でできてる。雨上がりの柔らかい風が吹いてる。この景色はいつからのものだろう。きっとこれから先も当分変わらないような、絵葉書みたいな穏やかな景色だ。さっきまでちょっとドキドキしていたのに、こんなに綺麗な景色に囲まれたら落ち着かざるを得ないじゃん。

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こういう気持ちを言葉にするのは難しいんだけど、来たかった場所に来た時、世界に私以外誰もいなくなったような気持ちになる。アユタヤの遺跡群の中の広場、ドブロヴニクの戦争歴史館の屋上の花畑、イギリスの湖水地方で迷い込んだ山の上の草原。いろんなことがある旅の中で、ひときわ忘れられない風景に出会う時って、いつもそういう気持ちになる。

こういう、忘れられない場所に立ち会った時の感覚を「メロディーを集める」にした『MOTHER』シリーズの糸井重里氏マジで天才だと思う。エモすぎる。マジでそれ。私メロディー集めてる!それ!

世界に私1人だけになった場所で、ただぼんやりと「ここに来たかったんだな」と思う。こういうことがあるから旅は好きだ。


おおっと現実に戻ろう。ここはチェイテ城。

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相変わらず世界には私1人だ。天気も相まってPS2ゲームの『ICO』の「霧の城」みたいだぞ。テンション上がってきた。

この旅行を計画してた時から思ってたけど、こういう血腥い逸話のある場所って、もし日本ならとっとと取り壊して石碑の一つでも建てとくか、もしくは中身はコンクリートな名古屋城みたいに再建しといて観光資源にしちゃうかすると思うんだけど、ここは廃墟のままなんだよね。危なくないよう補強はされてるけど再建というわけではない。スロヴァキアをはじめ、ヨーロッパの地方の方ってこういう廃墟のお城いっぱいあるんだろうな。「敵に侵略されて壊された状態」で保存しておく、というような。単純に予算的な関係かもしれないけど…。日本の伏見の寺田屋とか焼失して場所移して再建してるのに「これ当時の刀傷でーす!」みたいにやってるの清々しくてかなり好きなんだけど、そういうことはしないんだろうな。…いや逆にめちゃくちゃ見たいな再建チェイテ城。絶対泊まりに来るね。お風呂赤そう。

ともあれ、今のチェイテ城は何とも美しい廃墟になっているのでした。この感じ見ると本当に「そのまま」なんだろうか。日本人、ニュー寺田屋とかコンクリート名古屋城のスタイルに慣れてるからさ…ちょっとにわかには信じられないな…。本当に作り直してない?ないのか…。そう…。

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どんなお城だったんだろう。石造りの壁だ。昔コンクリート打ちっぱなしの部屋に住んでた時、冬場めちゃくちゃ寒かったけどあんな感じかな。

そもそもここ、人がたくさん亡くなってるとされる逸話のある城だから、あまりはしゃぐのもおかしいかなとは思うんだけど、でも犠牲者の数を気にしてたらフランス革命後の街中とか歩けなくない?と…いやごめん失言だった。こういうのは数ではなくて、そこに残った歴史の方が大事とされるからね。「もしチェイテ城で被害にあった美少女の幽霊に遭ったら全力でインタビューするね!!!」という野望も秘密裏にあったのだけど、いやほら私生まれつきゼロ感だし…それにチェイテ城、思ってたよりめちゃくちゃ綺麗な場所で、怖い感じも嫌な感じも全くない。むしろそういう意味で言うなら横須賀の猿島の方がちょっと怖かった。でもこれは土地に根付いた宗教観もあるんだろうな。あと繰り返しますが私に被虐趣味も加虐趣味もないです。ええ。そろそろ不謹慎罪で怒られそう。

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麓の小さな村が見える。ドラクエみたいだ。ザッザッザッ(村に入る音)

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廃墟ではあるけれど、ゴミが落ちてたりも全くないし、草とかも整備されてる。木枠で補強されていたり、歩きやすいようにしている箇所がある。観光客のためというよりも、純粋に人が歩くのに危なくないよう整備している…ような印象を受ける。もし観光客向けだったらもっと随所にデカデカと看板立てたり飾ってあったりしてるけど、そういう感じがあまりない。悪い意味ではなくてめっちゃ良い印象。さっき見たイベント情報もそうだけど、どっちかと言うと「地元に根付いた、大切にされてる場所」みたいに見える。あれだ、日本の地方の田舎にある、地元でお祭りとかする歴史のある古い神社。あの感じと一緒。静かで厳かで、そこは必ず誰かに守られているんだ。文化ってそういうものだよね。なるほどなあ…。

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とか言ってたらあるじゃん観光客向け施設う〜!

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ユーロ…えっユーロじゃん。ユーロ?どしたんユーロ?うわ〜めっちゃ欲しいなこれ。記念硬貨的な…?

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飾ってあるアンティークなでっかい鍵。作家さんとかの作かな?カッコ良すぎる。

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城壁沿いに建てられた一戸建ての館内にある説明。これこれ。観光客向けってこういうやつ。このドレス、リビングデッドドールズで見たな。

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これそんなに忠実設定だったのか。急に愛おしくなってきた。いつかお迎えしよ…。

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スロヴァキア語読めないけど、不思議だ…だいたい言ってることわかる…。笑

写真の血の風呂人形はチェイテ村にあるホラー施設的なところに飾ってあるって聞いた。明日行くつもりだけど…。しかし『HOSTEL2』観た時も思ったけど、確かにアイアンメイデンよりはああいうスタイルの方が効率良さそうでは?そういえば小学生の時に見た再現VTRでは「灰に血を吸わせておいて風呂に入れる」ってしてた気がするな…。皆さんいろいろ考えるのね…。

そういえば明治大学の地下の拷問博物館で見たアイアンメイデンのレプリカは結構中が広々していて、「今朝泊まってきたカプセルホテルより快適そう」と素で感じたのでそれ以来あんまりアイアンメイデンに夢は抱いてないです。でもそれも合わせて拷問博物館楽しいからオススメだよ。↓は明大地下のアイアンメイデンの前でダブルピースキメる嬉しそうな私。

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とか思ってたらちゃんとアイアンメイデンの説明あるじゃーん!

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最近の説では実在しなかったことになってるけど、地元的にはあった方がいいの?そりゃ〜多方面に一人歩きするくらい世界的に大人気な拷問器具だもんなあ…。何よりビジュアルがいいよね〜わかる。私は漫画『シャーマンキング』で知りました。あと『ベルセルク』でも見たけどこれは後から気付いた。

ちなみに超余談ですが私のiPhoneはFGOのスクショを撮りすぎてカーミラさんの後ろのアイアンメイデンちゃんがピープル認定されました。

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フフッかわいい。さっき夢抱いてないって言ったけどうそうそ、全然大好きだわ。

館内には他にも地理的なことや、他の城主についての説明、あと抽象画とか飾ってあった。時間あったらゆっくり見たかったけど、ボンヤリしてたら閉城時間過ぎちゃいそうだったので先を急ぐ。

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館内から外へ。これ撮ってたら入り口にあった木造のバートリ像にぶつかりそうになった。あ、あぶなーい。申し訳ない。あ!?木像スベスベですね!?ははーん、これみんな触っていくやつだな?大阪のビリケンさん的な…?笑

外に出た所で、遠くで作業してある体の大きなおじさんの姿が見えた。あの有名な作業人のツェルコかと思った…!と、言うのは失礼だな。きっとあの人がここを綺麗に整備してくれているんだ。お疲れ様です。おかげさまで私も綺麗な景色を見ることができました。

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高台が広場みたいになってる。今はここでお祭りとかイベントとかするんだろうな〜楽しそう。

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歴代城主一覧かな?真ん中はバートリ家の家紋だね。この1人ずつの城主に、どれだけの人が付き添っていたんだろうなあ。

このエリアは他より比較的壁が残っていて、中に入れるようになってる。

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おおっと、なんか冷んやりしててゾクっとするな。お邪魔するのはこのくらいにしておこう。


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1番高く残っているのが居住棟。バートリ夫人が最期まで幽閉された所。

ここの景色は美しいけど、でもその内側が孤独だったらさぞかし寂しいだろうな。

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よく見ると自然のお花がたくさん咲いてる。初夏だな〜。

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午後5時が近い。そろそろ出ようか。ううっ寂しい。十分見たような気もするし、まだもう少しここに居たい気もする。でもほらここ5時までだし。案内所のお姉さんにも悪いし。そろそろ行こうか。

貸し切り状態で落ち着いて見られて、本当にラッキーだった。感謝感謝。

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美しい場所だったな。また来れるだろうか。

ああでも、日本にもこことは違うたくさんの美しい景色があるんだった。世界には、それよりもっとたくさんの。だからずっとここに居るわけにもいかないな。私、まだこれからたくさんの物を見に行くんだ。


午後5時。ふとTwitterを開いたら、「令和おめでとう!」の文字で溢れていた。あー、そっか。いま日本では2019年5月1日0時だ。平成から令和になった。私、さっきまで1600年代にいたから全然ピンと来ないな…。笑

平成から令和に代わる時にチェイテ城にいた日本人は世界で私だけということかあ。え!?ちょっとヤバい人みたいじゃん!?(2回目)(令和初)

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城壁を抜けて歩き出す。行きの道とは違う、この山の頂上から続く道。これは勘だけど、この先にいい感じのフォトスポットあるんじゃない?

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ほらやっぱり〜!!!ナイス勘!!!

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は〜〜〜〜〜〜〜かっこいい。私の推しの居城最高にかっこいいな。マジで来れてよかった。

FGOの中ではコンサート用のアンプになったりチェイテピラミッド姫路城になったりネタにされつつ愛されてるけど、実物めっちゃいい所だったじゃ〜ん。よかったよかった。

ただ、そういうネタ的な扱いでも根底にあるのは「この場所から最期まで出られなかった城主」がいるってことなんだよな。やっぱりちょっと寂しいね…。(※なおこの杞憂は3ヶ月後にFGO内で開催されるイベントにて受ける致命傷への大きなフラグとなりました。これはまた別の話。)


あと、ここからは私の個人的な持論ね。

若返りのために600人以上の少女を惨殺したと言われる「血の伯爵夫人」バートリ夫人は、14歳で政略結婚のうえ嫁入りしている。ただ旦那さんの家よりもバートリ家の方が位が上だったため、本人はバートリの姓を名乗り続ける。誇りのある家に生まれて、その誇りのために人生を費やす。きっとそれは「歴史の中で当たり前に行われてきたこと」。その渦の中でできることは、その誇りある高貴な血を絶やさないこと。

もし私がその立場だったら。そのことに誇りを持って一生を費やせるだろうか。絶対無理。絶ッッッ対無理。生理的に無理。でも、そういう時は、絶対に、無理とか言えないんだ。それは女性に限らず、男性もそう。生まれた時から決められていた道筋の中で、気がついたら既に渦の中にいた14歳の少女が、大人になった時に何を思うだろう。

そんな人が例えば、自分より若い女性が自由に人生を謳歌しようとしているのを目の当たりにしたら?そこに生まれる感情は、「その渦の中で生きざるを得なかった多くの人達」の想いの塊なのではないだろうか。

立場は全く違うけど、私も捻くれて生きてきたからそういう気持ちはちょっとだけわかる。「"普通"に生きている人」が何より怖い。それは唯一、自分の中に在り得ないものだからだ。それにそういう人が居るからこそ、今の立場が成り得るのだしね。

羨望とか怨恨とか、そういう気持ちが別の形で昇華するのは不思議なことじゃない。それはバートリ夫人だったか、はたまた、名も残さぬ別の誰かのものだったか。「領地の民を人とも思わず酷いことをする」、そういう事を誰かが望んだのかもしれない。純粋な鬱憤晴らしのひとつとして、もしくは別の理由を携えて、「そういう人なら、そういうこともあるだろう」、と。

今、私の場所から見える歴史は、きっとそうやって誰かが望んだ形なんだろうと思う。その断片から見え隠れする、あまりにも人間的な、血の通ったイレギュラーな人達のことを想う。なぜなら私はもう知っているんだ、"そういう"人達が作るモノはとっても面白いってこと。

1人や2人の人間の単純な想いじゃない。歴史ってそういうもんだよね。バートリ夫人の歴史は、多分いろんな人の想いで出来てる。それを今、この場所から見ている。

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そんなことを考えながら、チェイテ村に向かって歩いていく。足取りは自分で思っていたよりも軽い。

途中、後ろから車が通りかかった。おや?と思ったら、あ!?さっきのチェイテ城の案内所のお姉さんだ!サッと片手を上げて挨拶してくれている。私も思わず右手を上げて応える。お姉さん…爽やかだったな…。笑

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帰り道は本当にあっけないほど、行きの道が嘘みたいに、あっという間に村に戻ってきた。それでも、人里が見えてきてホッとした。帰ってこれたー。

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教会が見える。それだけでもなんだか安心した。少しの時間だったけど、まるで別世界に行ってたみたいだった。

そういえば、飛行機で機内食を食べてから何も食べてない。そういえばノンストップで来たんだった。安心したらお腹が空いてきた。宿に戻る前に何か調達していかないとね。

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お…おお…帰ってきた。間違いなく現実。何度見ても存在感がすごい。


さて。よーし!ピザだ!ピザ食べよー!ピザ!これはよくわからないまま頼んだコーラ風の飲み物!

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バートリ像がある広場に面した所にあるピザ屋『BATHORY』……強い…………笑

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フカフカ系のピザだ!黒いのはオリーブ。美味しかったよー!食べ切れなくて持ち帰りにしてもらって明日の朝食用にした。

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ホテルに戻る。8時ごろになると日が暮れてきた。

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わー!ユーロニュースで天皇交代のことやってる!こんな感じだったのね…。へええ…。


よくよく部屋から窓を見ると、バートリ像が見えるのがわかった。

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うーん、近寄り難みがすごい…。

さて、今日は無事に大きな目的を果たした。ここから先はもはやボーナスステージのようなもの。明日はチェイテ村を少し観光して、首都のブラチスラバに向かうぞ。

久しぶりにベッドでゆっくり眠れるような気がする。長い1日だったなあ。足もそんなに痛くない。明日からも頑張れそうだ。悪夢にうなされないことを願いつつ…。


→【3日目:チェイテ博物館編】

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