見出し画像

「今までのやり方を変える」正体を考える

「今のままじゃ駄目だから、やり方を変えなきゃいけない」
このセリフを言う人から、2019年によく聞いた言葉が「シェアリング」、「イノベーション」、「AI」、「クラウド」。これらを活用したやり方で、今までとやり方が変わって時代に乗れる! どこにどのようにこれらを組み込むことで、何が変わるのかについて理解されていないことがわかった1年間でもありました。

じゃあ、いつものごとく歴史を見てみよう。

それぞれの言葉については説明されているサイトや書籍など多数出ているので割愛。「ことほむ」が得意としているのは、歴史上の転換点で同じことが起こっていなかったのか? を探ってその後まで追いかけること。振り返れば技術的面が違うだけで過去にも似たようなことは何度も起こっています。

シェアリング=お裾分け?」。この感覚を持っている人が話した中では多いように感じました。現代でも農家の多い地域では割と当たり前に行われているし、都市部でもたまにあるため感覚的にそのような理解をしても不思議ではない感じです。ただ実際のシェアリングってデータ(IT)の世界で行われる「同期」のことなので、絶対的なオリジナルがなく単数ではなく複数同じものが存在すること。つまりお裾分けではなく、近いものは「印刷」です。日本国においても過去、印刷技術は社会に対して様々な影響を与えています。よく知るものでは江戸期の文化形成にも大きな影響を与えた商業木版印刷。浮世絵として広く認知されていますが、現代におけるグラフィックデザイン=イメージ広告のマーケティング手法が生まれたと考えても大きく間違ってはいないはずです。(参考文献:情報媒体としての浮世絵― 浮世絵とグラフィックデザインは同じ ―.池田 竧、前中 妙 著

では当時どのようなことが起こったのか。一つ一つを挙げていくとキリがないほど広範囲に影響があったわけですが、その中から一つを切り抜いた部分に「旅行」が挙げられます。現代と違い江戸期は気軽に移動ができませんでした。移動手段が徒歩であることに加え、寺社仏閣への参詣や湯治のため(参考文献:温泉情報の流通からみる江戸後期の「湯治の変容に関する研 究.内田 彩 著)といった目的が制限された旅行、さらにはそれなりの旅費が必要ですから庶民はおいそれと旅行にいけません。そこに五十三次名所圖會などの風景版画が版元・蔦屋吉蔵などから刊行されます。この状況は現代だとSNS(特にInstagram)での拡散に似ています。この結果、旅行へ行けない人の為に旅行先から持ち帰る「お土産」が発達しました。(参考:ニッポンおみやげ博物誌)今でもお土産産業として残っているほどの影響を与えたわけです。

お土産の歴史はとても古いと言われています。それこそ狩猟の時代からあったとも言われており、行為自体は江戸期に突然できあがったものではないと考えるのが自然でしょう。これは現代でも言えることで、イノベーション起こそうと発想している人たちは「今までになかったもの=認知範囲になかったもの」を想定している傾向にあって、なにかアイデアが出てきても「今までになかったのか、自分が認知していないだけで他に存在しているのではないか」という確認作業を行う傾向にあり、なかなか次の一歩へ踏み出せないルーチンに陥っている場合があります。

歴史から学ぶことは哲学を磨くこと

今までになかった確認作業というのは、ただ安心感を得たいだけの行為であると思えます。歴史を見ても商業木版印刷は広告という分野においてある意味大きなイノベーションを起こしました。しかし過去にまったくそうしたものがなかったわけではなく、当時存在していた技術を組み合わせ、ある一定の考え方の上に組み立て直した結果だととらえることが重要で、決して無から有の技術が突然生まれた結果ではないと考えることが大切です。

信じるに足る考え方、自らの哲学を磨くこと。言葉の印象だけに踊らされず、どういう考え方のもとに何が起こっているのかを探求する。

江戸時代の商家も家(商い)の存続に関する哲学(理)が存在しており、やはり現代まで残った大店にもなってくると勉学にも励み努力していた痕跡はいくつも見つかります。(参考文献:企業倫理の源流と現代における意義──江戸中期の石田梅岩の思想を中心にして──.萩原道雄 著)やっていることは現代と殆ど変わらないですし、びっくりするような誰も見たことのない商いを考えることはしていないと伺えます。ただ周りをよく見て、流れを感じ、自らの立ち位置を確認しながらやれることをやれる範囲で行っているだけと捉えられますが、哲学を常に磨いていたであろう商家は数百年を経た今でも顕在しています。(参考文献:ようかん

今までのやり方を変える正体

今までに無いものを探す作業でも、最新テクノロジーを使いこなすアイデアでもないことを認識するところからはじめないと、この正体を掴むのは難しいかもしれません。無いもの探しなどしていないとか、最新テクノロジーの知識はそこそこあるので、アイデアに自身があるとか思っていると見過ごす可能性が高そうです。

今までのやり方を変える正体とは妖怪のようなもので、姿はないからこそ存在して行動に移そうとする瘴気みたいなもの。その瘴気に當てられると、自らを特別な存在だと思い込み、何かしら目新しいものを取り込み、古いものをやたら否定するようになります。しかし残念ながら瘴気は気体。纏うものであって実態がありません。反骨こそできても何も生み出せず、負の連鎖を引き起こします。結果的には何も変わらないどころか、負の環境を構築してしまいます。昔の人はこうした状況に陥った場合、呪(まじな)いをかけてもらったり、憑き物落としと称して理を再構築する儀式を執り行ったりしています。現代では非科学的と一蹴されがちですが、それこそ哲学に基づく智慧の一つだったのでしょう。(参考文献:現在までの憑きもの研究とその問題点 - 早稲田大学リポジトリ.酒井貴広 著

ようするに自分の考え方を急に変えることなどできないが、今までサボっていて、言葉が急浮上してきたために焦りを感じ、よくわからないままに過去を否定することで自分がサボっていたことを正当化する行為なのです。また小さな社会に自分が置かれているときほど陥りやすい状態です。

さて、この妖怪じみた反骨の思考へ陥らないためにも、普段から自らの哲学を磨く行為、基礎となる哲学を見つける行為はとても重要なことだと、ある経験を元にここに記させていただきます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?