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第三部集団心理 第3章1節 精神分析(無意識、自我、超自我、リピドー、防衛機制、スキゾイドポジション、抑うつポジション)を解説

益:ということで、あと精神分析の話をちょっとだけ続けます。

こういうことが起きているものを指摘することを「転移解釈」といって、その転移解釈をもって治療が進むというのが精神分析の基本的な考え方です。


■意識・前意識・無意識

あとは有名どころで言うと「意識」。

自分たちの扱えるものが「意識」であり、ギリギリわかるものを「前意識」と言ったりして、自分たちが理解しようと思っても出ないものを「無意識」と言ったりするという局所論です。

自分たちが考えてるのは表面上の意識だけであって、頑張ってわかっても前意識までだよ、と。

本当の深層意識、自分たちの行動を決めている深層意識、無意識というのは分からないよ、わかり得ないものなんだよ、というのがフロイトが言ったことです。

心とは何かというのは、こんなの科学的でも何でもないんだけども、ある種のデザインとしてこういうものを想定した方が臨床をやりやすいよねとか、人間の心を理解しやすいよね、というファンタジーというかデザインなんですけれど。これも結構重要な概念だったりします。

■自我・超自我・リビドー

あとは有名なのは「自我」。

わかりにくいんですけど、「自我」と「超自我」と「リビドー」の三すくみの構造です。

人間がどうやって意思決定してるかというと、超自我と呼ばれる親の教えだったり、社会のルールだったり、哲学でいうところの構造ですね。

構造によって意思決定したり、あと本能的な欲望(リビドー)、性欲、睡眠欲、食欲とか。

超自我とリビドーのバッティングを自我が調整することで、僕らというのは心が成り立っているという、この三すくみ構造を精神分析はよく使います。

本当にこれがあるかどうかわからないです。

本当にこれがあるかどうかわからないし、どこからが自我で、どこからが超自我で、そもそも僕らは感情や本能と自我と意識を分離できるものなのかと言われたら、それはできないですけれど、あくまでデザインというかファンタジーとしてよく使うという感じです。

よく誤解があるのは、自我というのは意識にあって超自我やリビドーは無意識のものだとか、超自我は前意識にもあるとか、意識に上ってくることもあると言ったりするんですが、自我はどこにあるんですかとよく聞かれるけど、これはナンセンスなんです。

自我の中にも意識的なところ、無意識的なところもあるし、超自我のところでも意識的なものと無意識的なものがあるので、縦切りと横切りみたいな感じで、もう全然違うスライスなので、あまりそれを一個にまとめようとするとダメということです。

ここで初学者の人が教科書とかで間違ったことが書いてあったりしてつまずいたりとかよくあります。

超自我というのも、親の教えだったら無意識にあるとかよく教科書に書いてあったりするんですけど、間違ったやつとか。そうしたらじゃあ意識できないんじゃないかとなるんだけど、そんなの意識できるじゃないですか、超自我も。だから誤っている。

かといって大部分は無意識にあるんです。

僕らは今まで経験した全ての小説でも本でも覚えてないわけだから、無意識にあるわけですし。

でもある種のエッセンスは前意識や意識にあるんで。

リビドーだってそうですよね。

何となく好きだなというのは、何となくこの異性が好きだな、目が大きくてハスキーボイスが好きだな、スラッとした人が好きだな、グラマーな人が好きだな、かわいい声とか綺麗な落ち着いた声が好きだなとか、それはわかっているようでわかっていないので。

だから意識から無意識まで全部におよぶという感じです。

というのが三すくみ構造かな。

■防衛機制ほか

有名なのはフロイトの娘のアンナ・フロイトがやっている「防衛機制」というのがあります。

これは結構色々な種類があるんです。

成熟した防衛機制から未熟な防衛機制まで色々あって。

例えば、不都合な真実がなかったものだと思い込むことを「否認」と言ったりします。

あとは、イソップ童話で出てくる「すっぱい葡萄」みたいな形で、手の届かなかった葡萄を食べたいなと思ったけど、手に入らないとわかった瞬間「あれはまずい葡萄だ、すっぱい葡萄なんだ」と思って、自分の心を落ち着かせようとするものを「合理化」と言ったりする。

甲子園に行けなかったから、じゃあ今度は大学受験で頑張ろう、ビジネスの世界で頑張ろうと、フラストレーションをそういう形で解決することを「昇華」と言ったりします。

こういう色々なパターンもあります。

有名なところはそんなもんかな。

あとはアンナ・フロイトとメラニー・クラインが、精神分析についてフロイトが死んだあと喧嘩するんですね。

二大派閥になって喧嘩するんですが、正確には三大派閥になって、その中間派というのもいるんですけれど。

クラインは何を言ったかというと、妄想分裂ポジションと抑うつポジションという2つの人間の心の状態を言うんだ、みたいな言い方をして、この行き来でしかないんじゃないかということなんです。

妄想分裂ポジションというのは、心を発散する、アウトプットし続ける状態。

フラストレーションが溜まったときに怒ったり、悲しんだり、声にしたり、行動したり、旅行したりというのが妄想分裂ポジション。

抑うつポジションというのは溜まってる、ずっと悶えてずっと考え続ける、この行き来でしかないよという風に言ったんです。

妄想分裂だけだと学習がなく成長がないし、抑うつだけだと何か成長するかもしれないけど、へばっちゃうよね、という形で、このいい感じのバランスが大事だよね、みたいなことをクラインは言っていて、臨床的には結構よく使うんですよ。

この人妄想分裂ばかりで全然学びがないよね、抑うつになれないよね、とか。

別の人は抑うつになりすぎていて貯金好きだよね、何か我慢しすぎだよね、みたいな。

発散がなくて、それじゃあ息苦しいよね、とか言ったりします。

「肛門期」とかそういうのはあまりもう言わないですね。使ったことないですね。

人間の発達段階を「口唇期」「肛門期」「男根期」とか言ったりする言い方はフロイトは言ったんですけど、初期に。

それは何かあんまり臨床で使ったことないです。

あとはラカンは鏡像段階と言ったりしてますけど、それも何て言うのかな、あんまり哲学的すぎて、ラカンの世界はあまり臨床的には使っていないんですね、僕は。

ラカン派の人もいるので、そういう人たちは使ってるかもしれないですけど。

あまり先に行き過ぎちゃうと、概念が難しくなり過ぎて使いこなせなくなりますから。

患者さんも理解しにくいから結局僕も使ってないですね。
ここら辺で落ち着いているという感じですね、僕の中では。

ということで、一回終わります。

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