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働けない人の価値、お金信仰について考える(思考実験)

今日はちょっと雑談をしようかなと思います。
僕は結構思考実験というか、哲学的な議論とかは好きなんですよ。
頭の中で何なのかなと色々考えちゃうのが。

例えば「トロッコ問題」です。
あなたはトロッコに乗っています、と。

片方には若者1人、もう片方には老人5人。どっちかに行かなきゃいけない。
どっちかに行ったらそのトロッコで轢いてしまう場合、どっちの命を助けますかという実験ですね。思考の議論というか。

命の選択をしなければいけない時にどっちを選択するかというのがトロッコ実験で、色々な流派によって色々な考え方があるわけです。

老人の寿命は残り10年だとして×5だったら50年、若者が20代で残り60年生きるなら、残りの寿命を合算して長く生きられる方を選択しようということで若者を選ぶとかね。

もしくはそうは言っても、悲しむ人の人数だと老人の方が多いから、若者にトロッコで行ってしまおうとか。色々な議論のやり方があって、功利主義や道徳主義などがあります。思考実験の一つですね。

■働いていないと価値がない?

僕が最近よく考えている思考実験の一つが、よく聞かれるんですよ、「働けない人の価値」ですね。働いていない人の価値とはということでです。
これは臨床上もよく聞くので色々考えたりするんですよ。

働けない人に価値がないと皆さん言うんですけど、僕はあると思っていて。
例えば人権という意味で。人は誰しも命を持っているから、人権というのも一つの答えなのかなという気がする。

ただそれだけで無条件に人間には価値があるという考え方もある。
命そのものに価値があるんじゃないかと。
あとはお金を生まない労働もあるんじゃないかという説もありますよね。

人間の価値とは何なんだろうということを色々考えますけど、色々なパターンがあります。でもなんかピンと来ない人は多いんですよ。色々なことを投げかけても。色々考えていった末に思ったのは、お金を信仰しているからなんじゃないかと。

現代人はお金を信仰している、資本主義を信仰しているというのがちょっとピンと来たんですよね。

■お金を信仰している

皆お金に価値があると思っているし、意味があると思い過ぎているんじゃないかということに気がついたんですよ。かつての人は、日本人もそうですけど、神様に対して信仰していたんですよね。
こう言うとすごい不謹慎だし、無神論が多い日本だからこんなこと言えますけど。
海外でこんなことをYouTubeにしちゃったら絶対ダメですけどね。

でも現代人は日本人もそうだけど、無神論者なんですよ。
かといって目に見えないものを何も信じていないというわけではなくて、お金に対しては信仰心があるんですよね。だから、お金を稼いでる人は偉いとかお金を稼ぐことに意味があるとか。

お金のことをすごく信仰してるというか。
SFとか漫画とかでも自然を崇拝している人もいれば、魔法を崇拝している民族だってあるだろうし、部族とかね。

色々あるんですけど、現代人はやっぱりお金を信仰しているなという感じはしますね。だからお金を稼げないことに対することの罪悪感が半端ないんですよね。

タダでお金をもらっている生活保護の人の敵意というか、それは信仰心が足りないとかとすごく似ているなと思いました。

そう言うと色々問題ありそうですけど、鉤括弧付きの「信仰」と言ったらあれですけどね、そう思います。

これを言うと、「いや益田は」とか怒られそうですけども。信仰心が厚い人からはすごく叩かれるんだろうなという気はします。

■どんなものからも自由

ただ僕らは、精神科医という科学者は、どんなものからも自由じゃなきゃいけないんですよね。科学も宗教だって皆さん言いますけど、もちろんそうだと僕も思っていて、科学さえ僕らは疑っているんですよ。

科学さえ疑っているから僕らはカウンセリングをやっているわけですね。
エビデンスさえ疑っているからエビデンスにないこともやっている。

かといってエビデンスの重要性もわかってるから、エビデンスに基づいたこともしているんですよ。本当に僕らは全て疑って、懐疑主義とは言わないですけどそういう人達の集まりですね。

常識のせいで苦しんでいる人たちもいるんですよね。常識にとらわれている。
こうあるべきだ、こういうものなんだ、人間が作ってきた常識や言語、カルチャーによって苦しんでいる人もいるんです。

脳の病気で苦しんでいる人もいる。過去の記憶やトラウマで苦しんでいる人もいる。人間同士の関係で苦しんでる人もいる。人間が作り出した文化や社会、そのカルチャーによって苦しんでいる人もいるわけですね。

人間が作ったものですから。常識とか社会とか物語は。それは多くの人にとっては幸せにするかもしれないけども、だけどやっぱり例外も存在するんだよね。

その例外になった時にすごく苦しんでしまうこともあるなという気がします。

だからこういうものにとらわれない。
そのためには、こういう見方をする。お金にとらわれないのも治療ですよね。
じゃあ益田はお金はいらないのかと言うとそういうわけじゃなくて。

僕は無神論者ですけど結婚式は教会で挙げたし、ウェディングの写真を撮ったりとかするし、初詣や七五三も行くしで、神様には祈るし聖書も好きだし、仏教も好きだし。

そういう教えを読みながら感動することもあれば、自分を戒める時もあるし、全然そういうのもあるんですよ。

だから無神論者だからといって、そういうわけでもないし、じゃあお金のことをそんなに信仰してないからといって、お金が嫌いなわけでもお金を利用しないわけでもないので、そういうバランスを考えてもらえたらなと思ったりします。

こういう思考実験はすごく重要なので、頭を柔らかくするトレーニングになります。

常識にとらわれない訓練にもなりますし、そして常識にとらわれなければですね。こういう自由な心、水の心を持つことによって僕らはですね。不安とかうつを減らすことはできますから、ぜひ皆さんもこの視点からですねちょっといろいろなこと考えてもらったらなと思います。


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