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【交換日記】虚構と非虚構の間で語ること

2019年8月2日(土) 早乙女ぐりこ

こんにちは、ぐりこです! 回ってきました交換日記! 交換日記ってほかの人が書いたのを読むのが楽しみで楽しみで、自分の番が回ってくるまでは永遠のように長く感じるのだけれど、自分の番になってしまうと、時間があっという間に経って気づいたら何週間か止めてしまったり。もう大人だからそうならないようにがんばる!

小学校のときにやっていた交換日記は、人数が多ければ多いほど内容が薄まって(○○ちゃんには私がAくんのこと好きなの言ってないからそのことは書かないでね! 的な)退屈だったけれど、中学時代に本当に仲のいい子と二人きりで大学ノート何ページ分も書いてやりとりしていた交換日記はめちゃめちゃ面白かった。まさか二十年近く経って、また交換日記するとは思わなかったよ。それもネットで、全世界ダダ漏れ公開で。だけど、書けないことより書きたいことの方が次々思い浮かぶから不思議。

トップバッターのふしぎちゃんの日記を読んで、子供時代、読書が何よりの楽しみで、母親に「ご飯だよ」って呼ばれても気づかないくらい物語の世界に浸っていたことを思い出した。

ふしぎちゃんは岩波派だったのね。私は青い鳥文庫が好きだったよ。「パスワード」シリーズとか「名探偵夢水清志郎」シリーズとか。倉橋燿子『いちご』『青い天使』はお守りのように大事に読んでいた作品。『大草原の小さな家』シリーズも全巻持っていて繰り返し読んだな。定番のプディングやグレイビーソース、ムクドリのパイ、バニティケーキとかジンジャーブレッドとか、見たことも聞いたこともない食べ物がとにかく美味しそうで。

大人になってから読み返した児童文学作品ってほとんどないのだけれど、ここ数年で唯一再読したのが『赤毛のアン』。二年前に物語の舞台になったカナダのプリンスエドワード島に旅行に行くことになって、それで改めて読み返したよ。そしてさらに、先月末に本屋に行ったらタイミングよく日本初の全文訳・訳注付き『赤毛のアン』(松本侑子・文春文庫)が発売されたばかりだったからそれも買ってしまった。
かつてはアンが引き起こす様々な事件にわくわくどきどきしながら読んでいたんだけれど、今読んで思うのは、アンは空想の翼を大きく広げて「語る」ことで、つらい境遇や理不尽な出来事を乗り越えてきたんだなってこと。そして完全にマリラ目線でアンの言葉を受け止めてしまう。

アンもそうだと思うのだけれど「語る」ことで得られるカタルシスって絶対にあるよね。同人誌作ったりイベントやったりnote更新したりする早稲女同盟の活動を通して、自分なりのストーリーを組み立てて自分で語ることの効用はずっとわかっていたつもり。だけど今は、語られた物語の受容のされ方っていうのが気になっている。若い子に漱石や芥川の小説のストーリーを話して聞かせると「それって本当にあった話ですか?」って聞かれることがけっこう頻繁にあって(衝撃!)今は爪切男さんとかこだまさんとか「私小説」と呼ばれるジャンルの魅力的な書き手がたくさんいるけれど、それが実話かどうかっていう観点からしか感想を述べていないコメントも見たことあるし。私自身も自分の作った同人誌の感想で「作者のぐりこさんは○○な人ですね!!」みたいなコメントをもらったり。あれ、実際の私別にそんなじゃないと思うんだけどなあ、みたいな。読者が語り手と作者をイコールで結べるように語るのが私小説だけど、それが本当にイコールなのか、語り手が作者の真実を語っているかどうかなんてわからないのにね。

そんなこんなで、最近読んで興味深かった本が、千野帽子『物語は人生を救うのか』(ちくまプリマー新書)。同著者の『人はなぜ物語を求めるのか』の続編だよ。人はストーリーなしには生きられないということを書いた前作に次いで、「実話」と「虚構」と「嘘や間違い」の違いについて言及している。あとは偶然と必然について、みたいなあげは嬢の好きそうなテーマも。

筆者は、物語というものは、あるアングルから出来事を意味づけたものだ、と言っているのだけれど、その「意味づけ」は、もちろん時間が経ったり別アングルから見れば変わるわけで。だから、「早稲女同盟で語りたいことは全部語り尽くした」って思っても、またこうして改めて企画を立ち上げたり、みんな各々日記を書いたりしているのだなあと思って、なんだかしみじみしたよ。
あと、最近の疑問に答えをもらった気がしたのは次の言葉。

「僕たちは作品が実話かノンフィクションかという判断を、作品本文の文体やそこに書かれた内容よりも、作品・作者に関する外的情報で判断している」
「虚構言説と非虚構言説の違いが、本文の内容ではなく発信者の意図にある」

正直なところ、まだ本に書いてあったことを全然理解しきれていないのだけれど、なんで自分たちが語るのか、それがどういうふうに受け取られるのか捉え直すきっかけになったので、また悩んだときには読み返したいなと思います。

はい!ここで次回指名です! グアテマラ・R・マヤ! 大学時代一緒に過ごしてきて、マヤは古今東西のいろんな文学作品を読んでいてすごいなあと思って勝手に尊敬していたのだけれど、虚構と非虚構の境界にあるようなおすすめ作品があったらぜひ教えてくださいな。


【追記】8月5日(月)

掲載時、本文中で〈この記事は「交換日記」を謳っているわけだから、非虚構言説〉〈まったく事実と異なる自分をこの場で語ることを意図したら、それは読者の知らないうちに虚構言説にもなり得る〉と書いていましたが、これは『物語は人生を救うのか』の内容を理解していないが故の勝手な解釈でした。該当段落を削除し、併せて全体に修正を加えました。この場を借りて、ご指摘くださった著者の千野帽子さんにお詫びとお礼を申し上げます。筆者の書いた文章をきちんと読みとろうとせず自分に都合よく解釈して、自分の物語に合わせてその本を語ってしまう自分の愚かさを省みたいと思います。

#交換日記 #早稲女交換日記 #赤毛のアン #読書 #本 #いばら道

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