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早稲田卒ニート137日目〜「青春」の奪回〜

大学4年の3月、富山に移る直前である。いつも通り新宿で泥酔した私は、自宅近くの車道に面して立っている電信柱に向かってタックルを繰り返していたらしい。そんな記憶は無い。が、酩酊してターゲットから逸れたタックルでもして車道に飛び出し轢かれでもしたら大変である。そのとき偶然、歌舞伎町のホストが仕事終わりに通りかかった。助けなければいけないと思いはしたものの、1人ではどうも心許ないからと応援を呼んで助けてくれた。私は、「ありがと〜!」と言って抱きついたらしい。そのまま、コンビニで酒とツマミを買い、私の家で一緒に酒を飲んだ。冒頭の画像は、帰り際にそのホストの彼女が残していった書き置きである。朝起きて昨晩のお礼のLINEを送ったところ、その夜もまた、今度はそのホストの家で一緒に酒を飲むことになった。互いに徒歩5分の距離であった。

そんなこんなで、奨学金のほとんどをバーで使うほど大学時代は酒に専念し、その分だけ勉強は疎かになってしまった。財布も口座もスッカラカンである。ただしそれでも、自分の内部までカラッポになっちゃった、なんて虚しいことにだけはならなかった。辛く苦しいだけの学生生活であったから、自分の内面は常に何かに圧し潰されてしまいそうだったが、その代わり切実なexpressionの動機を持つことができていた。「青春」だったのだと思う。

ところがその切実な動機は、富山の会社に入社した初日に音を立てて崩れ去った。それ以来何も回復させることができぬまま、毎日カラッポの自分を生きている。虚無である。こんなに辛いことはない。教師になることそれ自体が、自分の人生を意味づける決定的な動機を含んでいたはずなのに、その動機も今となってはどこにも見当たらない。思いがけず自分を喪失することになった。それでも、どこかでもう1度、あのときのように自分の内側から湧き上がってくる強く切実な動機を持って生きる自分を取り戻すために、教育と向き合おうとしている。いわば、「青春」の奪回。そうでないと、ろくな授業にならない。

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