見出し画像

「東京生まれ早稲田育ち」 4年・紫竹隼也

同期のブログを読んでいると「みんな本当に素晴らしいこと書くんだな」って思います。
今、伝えたいことを精一杯書いたので最後まで読んで頂けたら嬉しいです。



私は早実出身者が多いア式蹴球部の中でも
初等部から早実にいる純粋な早稲田っ子。
16年間続けてきたサッカーと共に早稲田を生きてきた。


サッカーではボールを蹴る楽しさを知り、
チームを救うヒーローのようなGKをかっこいいと思い、
試合に勝つ喜びを得た。
そしてプロサッカー選手に憧れ、練習に取り組み続けた。


そんなサッカーを夢にして走り続けた日々があと2週間で終わろうとしている。



めっちゃ寂しい。もっとサッカーをしたい。
こう感じることが強くなっている。



16年間続けてきたサッカー。
なぜここまで続けることができたのか。
それはサッカーを通じて沢山の人と出会い、自分が支えられて成長することができたから。
そしてサッカーだけじゃない。今の自分があるのは早稲田で私に関わってくれた人、全ての人のおかげ。私には大切な繋がりです。


人との関係がサッカーをする上での原動力だったと気づいた。


いつも口下手な私ですが、
この場を借りて想いを伝えます。



[元チームメイトや友人へ]

部活で主将や主務になったり、試合出て活躍して優勝したり、はやくも仕事をしてバリバリ働いてる人がいてみんなめちゃくちゃ熱い人生送ってんじゃん!
たまに会ったりして話聞くと刺激しか貰わないよ!
頑張ってる人を見ると俺も負けたくないって頑張れるし、ほんとに応援したくなる。
ア式でサッカー続けようって思ったり、4年間頑張って来れたのはみんなのおかげ。
ありがとう。
これからもお互い刺激しあって頑張ろう。



[今まで私を指導して頂いた方々へ]

大学に入ってから沢山の人が私のサッカー選手としての頑張りを見守ってくれていることを知りました。
「よく大学まで続けたね、凄いことだよ。頑張れ。」と言わることも多く、応援して頂いたことは嬉しかったです。しかし、試合に出ている報告が出来ず悔しい思いも強かったです。
サッカー選手として、人として成長を支えてくれた人たちに頑張っている姿だけじゃなく、結果としてピッチで表現することが恩返しだとずっと思い続けてました。
「試合に出てチームを勝たせる」という結果が残せず悔しかったですが、自分にない価値観や技術などを知ることができると同時に人としても学ぶことが多く、ア式蹴球部に挑戦して良かったです。
いつかお酒を酌み交わしながら「紫竹サッカー物語」を聞いてください。
これからもよろしくお願いします。



[同期へ]

1年の時、サッカーも上手くいかずにふてくされて人としてまだまだ未熟だった。
「本当にお前、このままでいいの?」って正面から向き合ってくれた。
すごい響いたし、どのくらい変われたかはわからないけど、今の自分があるのはあの時があったからだと思ってる。
本当にありがとう。
どんなにきつい時でも明るくて優しく面白いみんながいたから乗り越えられたことが沢山あったよ!
みんなが大好き。
このメンバーの中で笑顔でいられることが幸せ。
あと2週間、俺たちでやってやろう。
絶対に歴史的残留を決める。
笑顔も忘れずにね。


もっともっと伝えたいことは沢山あります。


喧嘩したりわがまま言ったりすることが多くて、それでも私が出る試合には写真を撮りに来て応援してくれる母。
どんなに遠くにいてもずっと見守り続けてくれている父。
そんな常に私を支えてくれた家族には言葉にしきれないので直接伝えることにします。(笑)
あと少しだけ私のサッカー人生に付き合ってください。



最後に
[サッカーへ]

自分より上手い沢山の人に憧れて、成長を目指しサッカーに打ち込むことができた。
多くの瞬間に心が揺れ、心から尊敬できる方々と出会わせてくれてありがとう。


早稲田で過ごせて、サッカーを選んでよかった。
今、素直に思います。


これからは自分が沢山の人の憧れの存在になりたい。
そして、残りのア式蹴球部の活動で少しでもサッカーを好きになってくれる人を増やすことがサッカーへの恩返しです。


今まで支えてくれた方々や早稲田のためにこれからの私の生き様で応えていきたい。



紫竹 隼也(しちく しゅんや)
学年:4年
学部:社会科学部
経歴:RIO FC(早稲田実業学校中等部)→早稲田実業学校高等部

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?