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「らしさ」 3年・清水駿

早稲田大学ア式蹴球部

ここには、大学屈指の歴史と伝統がある。
1924年に創部してから、関東リーグ最多優勝回数を誇り、天皇杯でも優勝したことがある。
先輩方も、元日本代表監督やサッカー協会の重鎮。サッカー以外においても日本をリードしている方々ばかりだ。
そんなずっと縁もゆかりもないと思っていた場所に、私は身を置いている。


最近、“早稲田らしさ“というものを考えることがある。

監督や先輩方の話を聞くと、「愚直」「泥臭さ」といった言葉がよく出る。
「愚直」とは、正直で一途なこと、ばか正直、という意味らしい。
局面ごとの球際や走力で圧倒し、ひたむきにゴール・勝利を奪いに行く。
現代のサッカーにおいては、そういった考えは薄れてきているかもしれない。
いかにボールを回し、ゲームを支配するかというほうが現代的だと思う。

しかし、早稲田はそれで多くのタイトルを獲り、歴史を紡いできた。
その影響もあって、私はこの「愚直」や「泥臭さ」が早稲田らしさの1つだと思っている。

今シーズン、私たちは苦しんだ。
勝てない日々が続いた。
私自身も何試合かに出場したが、1つも勝てなかった。
苦しかった。
残り5節あたりで「降格」というものが、頭をよぎった。
一瞬そう思ってしまった。

それでも自分たちを信じ続けた。
いや、信じ続けるしかなかったと言うほうが適切かもしれない。

そして最後の2節。
関東リーグ優勝を決めている明治大との早明戦、引き分け以上で残留が決まる専修大との大一番に勝ち残留を決めた。

プレーする選手は身体を張り続けた。
応援の選手は声を出し続けた。
運営の選手は自分の役割を全力で全うし続けた。
部員全員が、愚直に、そして泥臭く戦い続けたのだ。

ホイッスルが鳴ったとき、今までの辛さが少し報われた気がした。
ベンチに入りながらも試合には出られず悔しかったが、その時ばかりはどうでもよかった。

あの一体感は最高だった。
信じ続けてよかった。
早稲田に来てよかったと思った。

ア式にはさっき言ったような「愚直」や「泥臭さ」というものが、
いつの時代にも、絶えることなく受け継がれているのだと強く感じた。
そしてそれは知らず知らずのうちに、私たちの身体・心に沁みついているのだと感じた。

これを毎試合続けていたら、勝てたとも思った。
しかし、どの試合も変わらずに体現し続けるのはとてつもなく難しい。
それはサッカーに限らずどんなことにも当てはまると思う。
継続というものは口で言うのは簡単だが、実行するにはかなりの根気が必要だ。

だからと言ってやめていい理由にはなるはずがなく、
私たちはそれを体現する義務がある。
そしてそれを伝えていく義務がある。
これを無くして、早稲田ではないと。


“歴史的残留“

ここ約40年間で、
早稲田には優勝した翌年は降格するというジンクスがあったが、
それを打ち破った。

たかが残留。

多くの人がそう思うかもしれない。
だけど、今まで積み上げられてきた早稲田の歴史を塗り替えたのだ。
だからこそ、私たちにとっては何十倍もの価値のある残留だった。

ただそれも今シーズンだけの話。
早稲田は常にトップに居続けなくてはいけない。
勝ち続けなくてはいけない。
残留争いをしているようなチームではない。

それが早稲田という組織にいる私たちの宿命だ。
何度も言うが、それだけの歴史がある。

来シーズンも厳しい戦いが続くだろう。
たくさんのプレッシャーがかかるだろう。
最上級生になった私たちがチームを引っ張らなくてはいけない。

この大きなプレッシャーを背負うのは私たちだ。
責任を負うのも私たちだ。

けれど、この素晴らしい貴重な経験をできるのも私たちだ。
早稲田に新たな歴史を刻むことができるのも私たちだ。
他の誰にもできない。

ラストシーズン。
1年は一瞬にして過ぎていく。
立ち止まっている暇なんてない。

私は今シーズン何もしていない。
だからもっとチームに貢献しなくてはいけない。


今ここに誓う。

何があっても、仲間と乗り越えると。
何があっても、自分たちを信じ続けると。

何があっても、愚直に、泥臭く闘い続けると。

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清水 駿(しみず はやと)
学年:3年
学部:政治経済学部
経歴:高槻市立芝谷中学校→京都橘高校

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