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「無意識に渡った横断歩道の白線が何本あったかなんて誰も覚えていない。ましてや、そこを渡った人数なんて誰も知らないだろう。何気なく過ぎていく時は遠い昔のように感じ、何気なく過ぎていく人は自分を追い越し次第に見えなくなる。自分は、一歩を踏み出すのが怖くて未来を嫌った。白線をよく見ると、真っ白ではなく、所々黒い。その白線を一歩ずつ踏んで進んでいく。前に踏み出したことでもう後戻りはできない。ここまで来るのにどのくらい時が過ぎたのか、それは誰も知らない。ただ一つ。白線は「9つ」あった。」 3年・千田奎斗

「あと何回、このグローブを洗えばいいのか。」
大学入って1、2年くらいはキーパーグローブを洗いながらこう考えていた。
しかし、最近になってこう考え方が変わった。
「このグローブを洗えるのもあと何回なのだろうか。」
これは、サッカー人生のカウントダウンが始まったということなのだろうか。



人間は誰でも、その時の感情、環境、得た知識などで考え方が変わる。特に、高校生、大学生というのは子供から大人になる過程の最中であり、ころころ考え方が変わる。なぜ、こんなことを言い出したか。それは、


「最近、自分変わったな。」


と思ったからだ。さっき言った通り、大学生という立場である自分の考え方が変わることはそう珍しいことではない。ただ、この変わりようは違かった。これを何かの物差しで測ることはできないが、強いて言うならば、クーラーボックスを積んだ台車を毎回怖い思いしながらエスカレーターを昇り降りして電車で試合会場まで向かっていた時代から、スタッフの車にクーラーボックスを積んでもらって試合会場に行く時代に変わった、くらい…。要するに、それはそれは大きく変わったのである。
では、どこがどのように変わったのか。少し回想してみたい。


正直、ア式にいるやつらと共感できることって本当に少ない。自分が変わっているから?いいや、自分からしたらみんな変わっている。みんなそれぞれの価値観が強いから、縛られがち。1年の時の自分はその究極だったと思う。誰も信用してなかったし、干渉されている感じが嫌いだった。自分の決断を間違えたとさえ思った。たしかに、早稲田に入ると決めた要素として、自分の意志より両親の意志の方が大きかった。別に、両親が悪いと言っているわけではないし、散々と迷惑をかけてきた両親には感謝の思いが強く、両親が喜んでいるならと思い最後は自分で決断した。ただ、少し安易だったのかもしれない。早い時期での決断だったってこともあり、より深くは考えていなかった。その“報い”が大学に入って早々身に跳ね返ってきた。そこは自分にとって想像とはまるで違い、真逆の世界で居心地が悪すぎた。ここまでは、ほとんどの部員が経験していることかもしれない。人によっては、まだこの思いで、重い腰を上げグラウンドに向かっているかもしれない。


これは余談だが、こんなエピソードがある。
1年生の仕事の1つに、練習の1時間前にケアルーム(以下、ケアル)の鍵を開ける、通称鍵開けという仕事がある。ケアルとは、練習前に選手たちが他愛もない会話をしながら、練習に臨むためのケアをしたり、トレーナーに治療してもらったり、テーピングを巻いてもらう場所である。ただ、そんな広い部屋ではないため、使っているのはほとんどが上級生だ。1年生が入れるような空間ではなかったし、用事があって入るときは、練習が始まる少し前で、ケアしていた上級生たちがグラウンドに出始めた頃に、入れ違いで入っていく。ある鍵開けの担当の日、当時の自分は、「自分が使わないケアルをなぜ開けなきゃいけないの?」と思い、時間なんて考えずに部屋を出た。その時点でもうすでに手遅れで、ケアルの前では、先輩たちが明らかに怒った顔で自分のことを見ていた。案の定、練習終わった後、学年で集められ、怒られた。そこで初めてできた学年のルールが、「1時間10分前集合」というものだ。現に、今の1年生も練習の1時間10分前に集合をしている。このルールは自分が作ったと言っても過言ではない。
要するに、当時の自分は、ここまでひねくれていた。今考えたら到底ありえないことである。そんな自分が来年シーズン最上級生になる。



「こんなやつにチームの最上級生を任せられるか。」
安心してください、大丈夫です。自分変わりました!このエピソードは過去のものであり、今の自分は問題ありません。どうか信じてください。




↑こんな事は、口が滑ってでも言えない。まだまだ未熟で、頼りがいの無い自分である。正直、自信もない。逃げ出したい気持ちの方が最近は強いかもしれない。
だけど、今の自分は昔とは少し違う。少なくとも、自分が使わないケアルを開けないような人間ではない。

では、具体的に何が変わったのか。

それは、「主体性」「感受性」である。

この2つの考え方が自分のなかで大きく変わった。もちろんこの2つ以外にも変わったことは多くある。しかし、この2つの変化は、自分を人間的に大きく成長させた。また、サッカーのプレー面においてもパフォーマンスをあげた。人間性とサッカーの調子は、関係しているものではないと思っていた。しかし、この変化は、両者に関係があることを証明させた。おそらく、直接的に関係しているものではないだろう。これはあくまでも自分の考えだが、人間性の成長は、メンタル面において大きなゆとりを作る。人間性の高い人には、思いやりがあって、責任感があるイメージだが、これらがゆとりを作るのだと思う。このゆとりが、プレー中の判断に影響を与えているものだと考える。なぜ、早稲田大学ア式蹴球部が長年の日本サッカー界を牽引してきたか。今、自分たちが早稲田大学ア式蹴球部の部員として足りないものは何なのか。この2つの変化は自分に気づきを与えた。


きっかけがあったわけではない。いや、あったのかもしれない。ただ、その出来事は覚えていない。だから、それほど重要なことではないのだと思う。「主体性」の部分は、ア式蹴球部に所属している以上言うまでもない。外池さんがア式に来てからは、自主性がより重視されるようになった。重要なのは、「感受性」である。最初のころに比べ、色んなものを受け入れるようになった。ただ受け入れるだけでは無く、受け入れたうえで解釈し、自分の意見を考えられるようになった。何よりも、いい意味で割り切ることをできたのが一番大きい。「これはこういうものなんだ」。「この人はこういう人なんだ」。とても抽象的なことではあるが、この考え方がとても重要である。
組織が上手くいかないと問題を見つけようとする。このことは、組織の一員である自覚がある選手なら誰でも行動することだ。しかし、人はどうしてもその問題を組織のせいにする。戦術がどうとか、練習メニューがどうとか。これが一番楽だし、自分もそう考えてしまっていた。確かに、戦術が悪いのかもしれない。練習メニューが悪いのかもしれない。だけど、部員が考えるのはそこじゃない。部員が考えるのは、あくまでも自分なのだ。そして、自分を考えることに終わりなんてない。自分の夢や目標を組織のビジョンやミッションと重ね合わせ、自分が成長することで、組織も成長していく。ア式蹴球部は、自分にこのことを気づかせてくれた。初めてこの組織の偉大さを知った。自分の決断は、報いでもなんでもなかった。


今シーズンは、チームとしても個人としても苦しいシーズンだった。1年生の時は、2部で優勝をして1部昇格を経験し、2年生の時は、1部リーグ優勝を経験した。ただ、今シーズンはずっと下位だった。負けが当たり前に思えた時期もあった。週末が近づくにつれて、嫌な気分になった。それは、チームの雰囲気もそうだった。個人としても、怪我が多く、パフォーマンスを安定できなかった。公式戦に絡めたのは、関東リーグ第2節とアミノバイタルカップの計3試合だけだった。
それでも、チームは何とか残留することができた。つい2週間前のことだ。もちろん、自分なんかより4年生は相当きつかったと思う。残留を決めた瞬間、4年生の肩の荷が下りた感が明らか目に映った。

しかし、同時に自分は“それ”を感じた。「歴史的残留」をして、組織としては最高の雰囲気なのに、“それ”はものすごい勢いで忍び寄ってきた。そして、自分は"それ“にとても不安を覚えた。まだ、今シーズンすら終わっていないのに。

ただ、今の自分は昔の自分とは違う。後先が不安になることなんて誰にだってある。むしろ大事なのは、その不安とちゃんと向き合っているかどうかだ。これからの自分たちなら“それ”を超えることができる。そして、“それ”を超えた先にあるものを変えることだってできる。なぜなら、自分たちには信頼できる仲間がいるから。苦しみを分かち合える仲間がいるから。喜びを分かち合える仲間がいるから。もうすでに戦いは始まっているだろう。自分たちにできることを確実に一歩でも半歩でも進んでいく。自分たちがやらなければいけないことは、今までのア式に関わるOB、OG達が積み上げてきた抽象的な「早稲田らしさ」という名の哲学を言語化し、体現することだ。つまり、「文化の具現化」である。どんな困難が待っていようと関係ない。自分たちならできる。変化することは避けられないこと。だから、信じてみたい。今日より明るい未来、好きな人たちのことを。究極の当事者意識を持って。




そんなことを考えながら、今日もキーパーグローブを洗っている。


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千田 奎斗(ちだ けいと)
学年:3年
学部:スポーツ科学部
経歴:横浜F・マリノスジュニアユース(横浜市立南戸塚中学校)→横浜F・マリノスユース(神奈川県立金沢総合高校)

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