「武器」 2年・杉田将宏
大学に入ってからの私は少し勘違いをしていた。
「自分はうまい選手である。」と。
口に出してはいないが心の中でそう思ってた自分がいると思うと、少し、いやかなり恥ずかしい。
今まで教わったたくさんの指導者にうまいと言われた記憶がないくらい、私はうまくないのだ。
そんな私がなぜそのように心の中で思ってしまっていたのか。私をこのようにしたのは、この早稲田大学の入試形態が原因ではないか。
私は、運もあり早稲田大学からスポーツ推薦(各部活で限られた数だけの推薦、サッカー部は2〜3人)をもらうことができ入学した。しかし、私はスポーツ推薦で入学したことにより、勘違いをしてしまった。
町クラブにいた私は小学生の頃に同じ学年の名古屋グランパスと試合をして、大敗した。
今でもその記憶ははっきりと残っている。
12分×4の試合。結果は1-22。
歳は同じなのにこんなにも差があることに衝撃を受けた。また、グランパスの選手が憧れだった。
私は中学に上がるときに、あの大敗からどれだけ自分が成長したのかを知るためグランパスのセレクションを受けたが、あっさり落ちた。
落ちた理由は明確で、私よりも他の人の方がうまいからである。
悔しかった。
周りよりもうまくないという現実を知り、ショックだった。
高校になるときにグランパスの方から声をかけていただき、憧れであったグランパスに入ることができた。そして、憧れだった選手たちと一緒にサッカーをした。
まさかこんなことになるとは、大敗した頃の私には想像ができなかったことだ。
高校では、うまい選手がたくさんいる中、1年の頃から試合にも少し出させてもらい、2・3年ではレギュラーとして試合に出させてもらった。
そして、大学。
私は、スポーツ推薦という形で入学し、序盤はうまくいってたし、周りからも褒められ、勝手にうまい選手であると勘違いしていた。
また、私自身「こうやりたい」とか「こうなりたい」というイメージがあり、それができるとテンションが上がり、できないとテンションが下がって周りにも迷惑をかけてしまうような野郎だった。
自己中心的な選手がチームスポーツをやる上で必要な存在なのか。時に自己中心的になることが必要な場面があるかもしれない。そのときは、自己中心的になればいいと思う。
しかし、大学に入ってからの私は常に自己中心的であった。
ある日、監督と話す機会があった。
そこで私自身どういう選手であるのかを考えさせられ、過去を振り返ってみた。
なぜ、中学の時グランパスのセレクションに落ちた私が高校に入って、試合に出れたのか。
うまくなったから?
足が速くなったから?
背が高くなったから?
そうじゃない、多少の成長はしたかもしれないが、他の人に比べたら私はうまくもなければ足も速くなく、背も高くない。
私が出れた理由。
それは、"チームのため"に動けるから。
これが私の「武器」。
スポーツ推薦をもらえた理由もこの武器があったからだろう。
もし中学の頃、セレクションに受かっていたら、自分がうまい選手であると勘違いして、この武器を持つことはできなかっただろう。
町クラブでの小さな積み重ねがこの武器を作り上げた。
大学で足が速いのを武器にドリブルで突破する人や背が高くて競り合いが強い人を見て、いい武器持ってるな。せこいな。と思った。
でも、監督との話の後に考えて私は気づいた。
自分にもとてもいい武器がある。
自分にしかできないことがある。と。
それからの私は、他の人がどう思ってるかは知らないけど、私自身気持ちよく生活を送れているし、サッカーもできている。
私にはこの武器が1番似合ってる。
この武器を持ってプロになる。
そして、この武器と一緒に戦い続ける。
最後に、
私はFWである。私の武器のことについていろいろ話してきたけど、サッカーをやっていて1番楽しい瞬間はゴールを決めた時。
泥臭くたっていい。どんな形でもいい。
私の武器は脇役的な存在かもしれない。しかし、試合終了の笛が鳴ったときに主役になるのは、他の誰でもない。私なのだ。
杉田 将宏(すぎた まさひろ)
学年:2年
学部:スポーツ科学部
経歴:名古屋市立桜山中学校(名古屋SS)→愛知県立天白高等学校(名古屋グランパスU-18)
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