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「あのとき、私は」#6 木村友里さん

早稲田演劇のOBOGに「学生時代、何をしていたか?」をインタビューし、演劇との向き合い方や生き方を探る記事企画。

木村さんは、小学生の頃からダンスを習い、合唱クラブに入り、中高時代はミュージカル部に所属するというまさに舞台に立つ人生を歩んできたそうだ。

木村さんと早稲田演劇の出会いは自身で行った入試の予行演習の日に遡る。本番の日に備え、試験当日と同じ時間に早稲田駅に下見をしにきた木村さん。そこで南門通りを通っていると、どらま館に遭遇する。

その少し前から早稲田が演劇で有名な場所という意識があり、答え合わせのように劇場を見つけたのだそう。

そして晴れて早稲田大学に合格し、サークルを選ぶ時期。木村さんが選んだのは早稲田祭の運営スタッフ、通称「運スタ」。実は、運スタは木村さんにとって早稲田大学を目指した一つの理由でもあったそうだ。確かに、運スタは早稲田大学の学生でしかできない。運スタでは、誰かの輝く場所を作り続けた。場所を作るという作業は木村さんの性にあっていて楽しかったそうだ。11月までの間は運スタの活動で忙しかった、一方で、場所を作るだけではなく、自分もプレーヤー側になりたいという思いが湧いていった。

自分がプレーする場所にどのようにして演劇を選んだのか。2019年度入学までの学生は経験したと思うが、新歓期に1年生は大隈銅像の前ですごい量のチラシをもらう。そして、あの大量のチラシを家に帰ってから、興味があるサークルとないサークルに仕分けをする。木村さんがそこで”興味ある”に振り分けていたのが劇団森の新歓公演のフライヤーだったのだ。そして実際にどらま館に観に行っていたそうだ。しかし、その時は運スタに所属していたため、劇団森には入団しなかった。

早稲田祭が終わった11月、少し時間ができ何か別のことをしようと考えた。そこで思いついたのが新歓期に観ていた劇団森だった。新歓時期に連絡を交換していた新歓担当に連絡をし、森に入団した。

では、なぜ、演劇を選んだのか。
木村さんが中高時代に部活で取り組んでいたミュージカルには三つの必要な要素がある。一つ目は歌、二つ目はダンス、三つ目は演技。歌とダンスは小学生時代に経験済み、唯一単独で経験していないのが演技だった。話を新歓期に戻す。初めてみた演劇は木村さんにとって少し衝撃的だった。それまで舞台に立ってきたミュージカルはほとんどがハッピーエンド。確かにミュージカルは最後に全員が舞台上で歌い、幸せなシーンで終わるものがほとんどである。一方で演劇はバッドエンドなものの割合が高い。木村さんがどらま館で見たものはバッドエンドで終わった。さらに、ミュージカルでは不完全なものは見せてはいけないという暗黙のルールのもと上演してきた。しかし、演劇は違った。整っていないものを舞台で作品として見せる、人間を感じた。初めてみる舞台上の人間は新鮮だった。運スタに入ることを決めていながらもその頃からすでに演劇にハマっていたと話す。

そんな木村さんの演劇初舞台は、2月の劇団森総出の本公演。自分のコミュニティがもう一つできたと感じ、稽古場が好きだったそう。稽古場も好きだし、学期末でレポートもやらなければいけないという状況は、今まで活動を休むという選択肢がなかった木村さんにとって、どちらかを選ばなければならず苦しかったそうだ。上級生も含め、一つの作品を一緒に作っていくという作業が楽しかったと振り返る。


舞台監督をする木村さん

入ったばかりの木村さんは「小屋入り」*という言葉の意味さえわからなかったそうだ。初日が始まりお祭りのような本公演は一瞬で終わってしまった。その時に、スタッフとして舞台監督を先輩に勧められ、その後の公演で舞台監督補佐を経験する。(*小屋入りとは、公演座組が劇場入りして準備・公演・撤収までをする期間のこと。)

役者だけでなく、舞台監督のスタッフ業務でも演劇に関わるようになった。特に仕事内容を教えてくれたのは、劇団森同期の金岡大樹さんだった。
舞台監督の仕事は、安全管理・スケジュール管理・舞台機構の操作・客席作りなど多種多様。臨機応変に対応することが求められる。マルチタスクが得意で少し飽き性な木村さんにはぴったりの業務だった。

舞台監督のオファーを受ける一方で、木村さんの表現欲は小さくならなかった。ミュージカルよりお客さんとの距離が近い演劇では、お客さんの反応がダイレクトに伝わってくる。見られている感覚が嬉しかった。人に見られたい・届けたい欲はずっと消えることはなかったそう。

一番印象に残っている公演は2年生の夏に出た「赤と私と歪んだ何か」。印象的なことは、座組のメンバーだった。劇団森だけでなく、劇団木霊や演劇倶楽部など様々なサークルからできた座組だった。そのメンバーと作品を作る過程や小屋入りの時間が心地が良く、木村さんにとって忘れられない公演となったそうだ。


「赤と私と歪んだ何か」で舞台に立つ木村さん

ここまでの話で忘れているかもしれないが、木村さんは運スタに所属している。小屋入りの時期は運スタをお休みし、それ以外の時は運スタに尽力し、授業も休むことなく出席していた。それほどハードなスケジュールをどのように過ごしていたのか不思議だが、木村さんは自分の持っている力が100だとするとそれを勉強・演劇・早稲田祭の三つにどのように配分するか考えていたそうだ。つまりどれか一つに100全てをふるということは考えなかったそう。

3年生になり、就活が始まると、就活への配分が大きくなった。現在鉄道会社に勤める木村さん。鉄道は乗客を運ぶだけではなく、その沿線の都市開発も大きな仕事の一つである。運スタや舞台監督をする中で、誰かが活動する場所を作るという自分の得意分野を見つけた木村さんは、就活で「場所を作る」ということを軸に進めていたそうだ。運スタでは、当日参加する団体がより良くパフォーマンスをできるように、舞台監督では安全にスムーズに小屋が回るように場所を作ってきた。役者では、稽古場の雰囲気作りのため立ち回りを考えていたこともあった。

木村さんが考える学生演劇の良さは時間を注ぎ込めることだそうだ。小屋入り期間の7日間全てを演劇に注げるというのは、学生でしか体験できないことかもしれない。

木村さんにインタビューするうちに私は生きる上で本当に重要なことに気づいた。全ての自分の行動に自分が納得できる理由があるということ。それは世間体ではない、将来の自分に向けたものだと感じた。
木村さんが、早稲田演劇に入った、運スタをしていた、鉄道会社を志した、授業は本番週以外切らない、など全てにおいて理由があった。もちろんそれはインタビューという形で話を聞いているという面もあっただろうが、それ以上に自分の人生に責任を持っているように感じた。何かを決定するときに、自分が納得できるような理由のもとに判断する、ということが今回のインタビューで感じたことだった。

ゲスト;木村友里 
会社員、ごくたまにパフォーマー
1998年8月1日生まれ、神奈川県出身。早稲田大学 文化構想学部 表象・メディア論系出身。劇団森出身。

筆者:にいづま久実
2000年5月18日生まれ、横浜市出身。
法政大学人間環境学部在学中。

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