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開催報告:恋愛研究部①〜⑤

恋愛研究部の概要はこちら

この記事は、12/2〜25にかけて開催した恋愛研究部の開催報告です。参加者にそれぞれの回の内容紹介、感想の執筆をお願いしました。

①のダフニスとクロエから、最終日に参加者3名(と関口)が持ち寄った創作物の紹介まで一気に行います。
かなりボリューミーになっているので気になっている箇所だけでも読んでいただけたら嬉しいです。


①ダフニスとクロエ(執筆:関口)

こんにちは、どらま館制作部の関口です。
12/9(土)に恋愛研究部「ダフニスとクロエ 読書会」を実施しました。
本来は11月に実施予定だったのですが、参加者の予定を優先した結果、やや先延ばしでの開催になりました。

ダフニスとクロエについて

ダフニスとクロエ (ロンゴス) - Wikipedia
私がダフニスとクロエに初めて触れたのは、高校の図書室にあった遠藤周作「恋愛とは何か―初めて人を愛する日のために 」という本に、恋愛元祖の著書としてダフニスとクロエが紹介されていた時です。最初読んだ時に、「これは恋愛の聖書だ!すげえ!」と思い、それ以来恋とは何かという問いにぶち当たったら必ずこの本に返って考えるようにしています。
話の内容をざっくり説明すると、本当の兄弟ではないけれども兄弟のように育てられたダフニスとクロエーという12-14歳くらいの男女の話です。

あらすじ
ある日、ダフニスが水浴びをしている姿を見たクロエーは、それまで意識していなかったのにダフニスの身体を美しいと思うようになり、そのことばかりを考えるようになってしまう。そして別の日、ダフニスとライバルの牛飼いの青年ドルコーンは口喧嘩をすることになり、勝った方が褒美にクロエーの接吻を貰えることになった。ダフニスが勝ち、クロエーの接吻を受けるとたちまち様子がおかしくなり、不機嫌になる。それ以来二人は互いの持ち物に接吻し、夜に寝付けなくなり、これは何かの病気だと思うようになる。ある日、フィレータースという老人が二人の前に現れ、君たち(ダフニスとクロエー)はエロースという神のご加護を受けた者だと言う。そして、二人の悩みの名前は恋というもので、「接吻したり抱き合ったり、着物を脱いで一緒にねる以外には、恋に効く薬はない」と諭す。

ダフニスとクロエー(松平千秋訳、岩波文庫)

読書会で扱ったのはここまでです。このあとも色々事件があるのですが、それはまた別の機会に...。
今回使ったのは、松平千秋訳、岩波文庫の「ダフニスとクロエー」です。

開催した感想

最初、集まった人数が少なかったので当初参加する予定ではなかった友達を誘って読み始めたのですが、その友達も読むうちに「これすごいね」といい反応をしてくれたのが嬉しかったです。
一文ずつ回し読みし、2ページごとに一度立ち止まって「ここはどう思う?」と話しながら進めました。例えば、ダフニスと口喧嘩をしたドルコーンがクロエーに向かって言った「ダフニスより背は高いし、俺は牛飼い、あいつは山羊飼いだ。牛と山羊の違いだけ、おれの方が上なのだ。」という台詞から考察できることとして、ドルコーンは自分を上げるのではなく相手(ダフニス)を下げているため、あまりいい男とは思えない。そして、前の文で「恋という名もそのなす業も心得た若者」と紹介されていたが、本当に恋に慣れている男はこんな風に相手を見下したりせず自分を上げるはずなので、ドルコーンはまだ若く、恋愛経験は浅いのではないかと考察した。
また、以下の文を読んだ時には参加者全員「なんでだよ!」叫んだ。

一匹の蝉が追ってきた燕を逃れようとして、クロエーのふところのなかへとびこんできた。追ってきた燕は蝉を捉えることはできなかったが、クロエーのすぐかたわらまで迫ってきたために、その翼がクロエーの頬に触れた。クロエーにはなにごとが起ったのかわからぬまま、大声で叫んで眠りから覚め、がばととびおきた。まだ近くを飛んでいる燕と、クロエーがこわがったのを面白そうに笑っているダフニスの姿を見ると、こわさは去ったものの、まだ眠そうに眼をこすっていた。すると蟬が、まるで救いを求めてきたものが救い主に礼をいうように、ふところのなかから鳴きだした。もう一度クロエーが大声をあげ、ダフニスは笑ったが、ダフニスはよい口実ができたとばかり、娘の胸に手を入れて、自分にはなによりよいことをしてくれた蟬をとりだすと、右の手につかまっても娜はまだ鳴きやまない。クロエーはそれを見るとうれしそうに蟬をとって接吻し、鳴きつづけるのをそのまま、またふところに入れてやった。

ここでは、「蝉に接吻し再びふところに入れる」という行動について議論しました。蝉を現代の嫌われ者であるゴキブリに置き換えたら、たとえ好きな人との接触の機会をくれたとて再び懐にしまうのは理解できないという意見もありました(笑)。ダフニスと接触する機会をくれた蝉に愛情すら湧いて接吻までしてしまうというクロエーの並々ならぬ愛を感じたワンシーンでした。
このように、ギリシャの古い小説の中にも現代に通ずる愛の盲目さや、互いが互いを気にする素振り、不器用な様子など共感できる部分がたくさんありました。私が恋愛研究部を立ち上げた目的であった「身を削らない恋バナをする」ことができたのではないかと思います。

②漫画研究(執筆:野間)

こんにちは。通りすがりの一般人、野間晟樹です。
12/2に恋愛研究部で実施された『漫画研究』について書いていきます。
最初は、「少女漫画と少年漫画に描かれる恋愛ってどうして差があるんだろう?」という疑問を話し合うことから始まり、途中から漫画研究を専門としている方も合流。専門的かつ熱の帯びた話し合いができました。

“少年漫画と少女漫画における恋愛描写の違い”についてザックリまとめると、
・少年漫画も少女漫画も、自分とは生きている世界が違う人間に憧れる。
・その上で、少女漫画の方が自分より身分の高い対象(先輩、スクールカースト上位)を相手に選びがち。
・少年漫画だと、恋愛の描写をギャグと絡めることが多い。
という調査結果が出ました。

あくまで定型パターンを調べた結果ですが、すでに色々なことが読み取れそうです。

少年漫画には、超えるべき障壁として何かしらの試練が与えられがちです。”ピンチのヒロインを助ける”だとか、”大会で勝ち上がる”などなど。あと、ゴールが結婚になりがち。
少女漫画だと、この障壁に人間関係の軋轢が当てはめられがちです。ゴールは自分自身の成長。状況を変えるのか、内面を変えるのか……こういった違いも面白いなぁと感じました。

そして、少年漫画と少女漫画の定型パターンを両方持ち合わせる作品がることに気づきます。
それは、ディズニーの『アラジン』です。平凡な青年が悪役を倒して姫と結ばれる、という冒険も楽しめる少年漫画的要素と、箱入り娘の自分を外の世界に連れて行ってくれる素敵な男性(『ラプンツェル』構文)、という少女漫画的要素。身分の差などは逆転していますが、さすがディズニー作品だなぁと感心してしまいました。ジーニーという友情も描かれています。だからこそ、どの年齢層にも受け入れられるのでしょう。

次にでた疑問は、「百合やBLなど、同性愛もしくは特殊な愛を描いた作品は、(少年漫画より)少女漫画の方が幅広いイメージがあるのはなぜか?」ということでした。この疑問に対して、専門知識を持った方が一つの答えを提示してくれます。まず、少女漫画のターゲット層は”女性”であること。単純に”女性”というよりも、”男性ではなくて女性”というニュアンスがある。つまり、”女性の社会進出”というテーマも兼ね備えているのです。
なので当然、ジェンダー問題に切り込んだ作品が多くなります。同性愛、ジェンダーレスやルッキズムの克服、身分違いの恋愛もテーマとして取り込まれやすい。こういった作品は最近の傾向ではなく、『リボンの騎士』や『ベルサイユのばら』の時代からあるとのことでした。世界全体で見ると、聖書が作られた時代からそういった作品はあったのかも……。研究の幅が広がっていきますね。

少年漫画の場合、性別を意識せずとも、みんなで楽しめる作品を作ることが多いみたいです。なのでジェンダーや同性愛を扱った話は比較的少なめ。少年誌初のBL漫画として話題になっている『ババンババンバンバンパイア』もギャグ要素が強いように感じました。まだまだ少年誌では触れづらいテーマなのかな、と考察しています。

そういえば、「身分違いの恋愛と同性愛って“社会的に許されざる恋”という意味では共通してるね」、という話にもなりました。逆境がある方が萌えるよね、分かる。

こういった、普段はあり得ないような恋愛を描いた作品は、”恋愛のバイブル”としても受け入れられるようになります。いわゆる”顎クイ”や”壁ドン”も少女漫画から。
しかし男性側にはそういった作品と出会う機会が非常に少ないのかも。
ここでいう”恋愛のバイブル”とは、「この気持ちへの決着のつけ方」「そもそも恋愛って何?」「こんな恋愛、憧れる~~~!」「この関係を手本にしたい」などの疑問や興味へ、一つの答えを出してくれる書籍のことです。ネットにもあるような、『モテるための○○法則』とか『デートの誘い方』など、コツやTipsを教えてくれるものではありません。
実際、”恋愛”について色々調べようと思った際に、『an・an』などの女性誌が一番参考になったという話を聞きました。「なるほど、納得かも」と思いましたが、裏を返せば男性向けの書籍で”恋愛のバイブル”になりうるものはほとんど無い、ということ。

そして「そもそも、バイブルたり得るものがない時代なのでは?」という意見が出ます。ここには、定型文法崩しの作品が非常に増えていること。そして、気軽に「好き」と言いづらい世の中である、という時代性が見え隠れしているのではないか、という理由が挙げられました。
特に二つ目の理由。これには”恋愛”に対して発言をする、誰かと会話することが極端に避けられている、現代日本の雰囲気があります。これにはSNSの異常な発展とか、日本人の性質とか、もっと根深い問題もあるのでしょう。
実際、「好き」と言わせない、合意形成を取らない(両片想い的な意味)ように巧くかわす作品などが流行りやすい状態です。それか”恋愛”ではなく”趣味”の「好き」を前面に押し出した作品、趣味の対象がアイドル等であれば”推し”とも呼ばれる作品。(恋愛漫画と捉えるかは別として)『かぐや様は告らせたい』、『その着せ替え人形は恋をする』などが挙げられました。
これらの作品を現代の”ときめき”としても、”恋愛のバイブル”になり得る作品と呼べるのか……皆さんはどう思いますか?

扱った漫画作品 (括弧内は連載期間)
『リボンの騎士』(1953年1月~1956年1月, 1963年1月~1966年10月)
『ベルサイユのばら』(1972年5月~1973年12月)
『NANA』(2000年7月~)
『いちご100%』(2002年3月~2005年8月)
『君に届け』(2006年1月~2017年12月)
『初恋限定。』(2007年10月~2008年6月)
『好きっていいなよ。』(2008年4月~2017年9月)
『アオハライド』(2011年2月~2015年3月)
『俺物語‼』(2011年11月、2012年1月~2016年8月)
『12歳。』(2012年9月~2019年11月)
『ハニーレモンソーダ』(2016年2月~)
『青のフラッグ』(2017年2月~2020年4月)
『その着せ替え人形は恋をする』(2018年1月~)
『僕の心のヤバいやつ』(2018年3月~)
『さよならミニスカート』(2018年8月~)
『おかえりアリス』(2020年4月~ 2023年8月)
『ババンババンバンバンパイア』(2021年10月~)

左:少女漫画、右:少年漫画
コマ割りの違いについて比較

参加した感想

「恋バナってなんだかしづらくなった」「男性にとって、憧れの恋愛シチュエーションってなくね?」「(恋愛として)好きな人を”推し”って呼ぶことも増えたよね」などなど、「言われてみればそうかも」と思える話題がたくさんありました。でもそういうことって話題に上がったり他人の意見を聞いてみないと気づけない。自分の意識と知識に無いものって、他人から教わらない限り興味すら広げられないんですよね。
そもそも、見知らぬ人間同士で恋愛について話す機会なんてまったくないですし、ましてやそれを「何かしら作品として落とし込んでみよう!」なんて行動できる人たちに囲まれているのは本当に貴重だなぁ……と思います。
ツイッターで偶然見かけて、興味を持ってよかった。なんかこういう不思議な縁みたいなものから、意外な変化とか成長とか気付きが得られるのって本当に楽しい。
自分も恋愛にぶつかっている最中です。でもこれを経て、相手との関わり方、自分との対話、作品との向き合い方が変わりそうです。
これを知ったあなたも、誰かと”恋愛”について語り合ってみてください。何かが変わると思います。身近に居なくても大丈夫!恋愛研究部が居ますよ!!ぜひ連絡を!!!

拙い長文ですが、最後までお読みいただきありがとうございました。ではまたどこかで。

③恋愛ソング歌詞研究(執筆:加藤)

劇団くるめるシアター2年代の加藤ななほです。ダフニスとクロエ読書会に引き続き開催された、恋愛ソング歌詞研究に参加しました。
昨年度は、体調不良により恋愛研究部企画に参加することが出来なかったため、今年も開催されるとの情報が出た時は大変嬉しかったです。それでは今回の企画の振り返りをしていきたいと思います。
皆さん、恋愛ソングと聴いてどんな曲を思い浮かべますでしょうか?なんか良いなという特に深い理由もなく聴くこともあれば、片想いの恋愛に前向きになりたい時、恋愛で傷ついた心を癒したい時に聴くという人もいると思います。
日本だと恋愛ソングの王道といえば、西野カナさんだったり、back numberあたりでしょうか。
私が高校生の頃は、ericaや井上苑子さん(そんちゃん)あたりが女子の間では流行っていました。男子の間ではやはりback numberが流行っていたように思います。今現在中高生だよ!って人の周りでは流行っていたりするのかもしれませんね。歌詞に共感出来る!って言ってLINEのプロフィールに歌詞を書いて保存している子もいましたね〜、可愛いなと思って見ていました。今回の恋愛ソング歌詞研究は、参加者3人がそれぞれ持ち寄ったお気に入りの恋愛ソングをyoutubeでMVと共に視聴し、歌詞を自分達なりに解釈してみる、そして最終的なゴールとして恋愛オリジナルソングの作成、男と女で恋愛ソングにおける歌詞にどのような違いが出ているかを見つけるという流れで進行しました。

☆1人目 『天ノ弱』

○出た意見
昨日もずっと暇で満喫してました、別に君のことなんて考えてなんかいないさ。この歌詞、半分投げやりな感じがする、最初にはんたいことばって言ってるから本当は1日中君のことを考えてたってことになるね。
君に貰った愛はどこに捨てようってことは、前に貰ってたってこと?ってことは前付き合っていて別れて片方が未練タラタラなのかな。
ぶら下がった感情が綺麗なのか汚いのか。綺麗、汚い両方の要素があるんじゃないか?まとめると純粋で綺麗ってことにもなるかも。
まだ待つよ もういいかい。
この、もういいかいは相手ではなく、自分に向けて問いかけている。

☆2人目 『5月の蝿』

○出た意見
許さないよって何に対して許さないよって言っているのか。浮気とか不倫だけでここまで言うのか?死体になった君を見たいとまで言っている。
空が蒼いように華が散るように君が嫌い。これは綺麗なものが汚れていく様を表現したのかもしれない。MVにも綺麗な花瓶が汚れていく描写があった。
君の愛する我が子が。自分と相手との間に子どもが出来てそこから不倫されたか。子供がいない状態で相手に不倫をされて、相手とその不倫相手の間に子供が出来たかのどちらかの設定?
どちらにしても生まれてきた子供は嫌だよな→お母さんねぇなんで アタシを産んだのよ、お母さんの子になんて産まれなきゃよかった
そこへ僕が颯爽と現れて両の腕でそっと抱きしめるんだ→なんだか自分に酔っているような気もする

☆3人目 『貴方解剖純愛歌〜死ね〜』

○出た意見
MV単体で見たら、付き合っている最中の設定に限定されるかもしれないけど、片想いしてる時の設定として解釈することも出来る歌詞。過激な表現もあるが、恋をしている女の子の気持ちを思いっきり代弁してくれているような歌詞で、純愛歌と言っても良いのではないか。慰めの歌詞よりも、こちらの方が共感出来る。ねえ?私はどこかおかしいですか→恋をすると人は欲を持つ。おかしいとは思わない、むしろ誰もが考えることなのでは?
死ねはどういうニュアンス→半分投げやりなのかもしれないし、口癖なのかもしれない。

参加した感想

企画の最後に行なった2つは、これだという結論は見つからなかったですが、普段はあまり考えもしない違いを思考する時間が出来てとても有意義でした。この歌詞はなんだか男性的な気がする、でもどうしてだろうという疑問に向き合い、考えを出し合いました。例として挙げられたのは、back numberのクリスマスソングです。
会いたいと毎日思っててそれを君に知って欲しくてという歌詞、この表現、あまり女性は使わなくない?っという主催者の方の言葉に私も共感しました。何故そう思うのかということを思考するとより面白いことが分かりました。君という表現がそもそも女性的ではないと感じます。女性が言うとすれば、あなたのほうが近いと日常生活を過ごしてて思います。歌詞の会いたい、そしてそれを君に知って欲しいという自分の気持ちを連続でアピールしているなんだか女々しいような感じが男性っぽさを際立たせているのかなあとか企画が終わってからも考えています。うまく説明が出来ないけど、違いがあると感じる何かを探求することが歌詞研究の面白さでもあるなと思いました。恋愛オリジナルソング作成で気づいたことは、前向きな歌詞のほうがアイディアが浮かびやすいなと思った点です。脚本に置き換えるとフィクションのほうが書きやすいということと関連しているのでしょうか。人間誰しも理想は常に持っていて、頭の中に描くことなら誰でも出来るけれど、現実となると、どう表現して良いか途端に分からなくなる、難しくなるという傾向にあると思います。報われない恋を歌詞に書き起こしたいと思っても、どうすれば良いかなかなか思いつかないなと終始思考を巡らせていました。現実問題、失恋している対象にどう声をかけたら良い?どう表せば共感を得られる?と色々と考えてしまうし、一歩間違えれば無責任な言葉と薄情な言葉が並べられてしまうと考えます。そういう意味でも、報われない恋を主題にオリジナルソングを作成してみるという作業は発見があって面白かったです。

参加者たちで作った恋愛ソング。AIに作曲してもらったオリジナル曲はここから聴けます。

現実的に言えば、恋は報われない、うまくいかないことのほうが多いと思います。この企画を終えて、恋愛ソングの数々を改めて聴いていると、タイトルはカタオモイだけど歌詞をよくよく解釈してみたら、一般的に使われている片想いとは別のことを歌っているかも等、新たな発見がありました。企画の中で、慰めのような、あなたは前を向ける、悲しくなっても良いんだよ、のような歌詞はなんだか共感が出来ないなと言いましたが、失恋して落ち込んでいる時に聴くとやっぱりこういうのも良いなって思いますね。反対に私が選んだ貴方解剖純愛歌のような思い切った表現のものは聴いててすっきりしますし、共感という面では好みなのかもしれないです。5月の蝿は一見よく分からないけれど、しっかり見てみると様々な解釈が可能でとても盛り上がりました。『作詞した人も聴く人に色々な解釈をして欲しくて正解は求めていないのでは?』っという発言をしましたが、割とそれが最終到達点なのではと思っています。恋愛ソングとかその他、恋愛にまつわる作品を書く時は、やはりその人の経験が武器になるという自論がありますが、ダフニスとクロエ、そして今回聴いた3曲等、他人が生み出した作品に触れて新たな視点を見つけることもまた勉強になるなと感じました。自分の価値観とは違うけれど、作品に書き起こす時に参考にしてみることも面白いと思います。日本の恋愛ソングと海外の恋愛ソングの表現の違いについても今後探求してみたいです。

④『1万人抱いてわかった! モテる男39の法則』『潤う女はうまくいく。』 2冊同時読書会(執筆:ゆう)

どうも、やっと卒業論文から解放されて自由の身になったゆうです。と言いたいところですが、卒論を言い訳に後回しにしていたいろんなものが一気に襲ってきたので当分の間夢のニートライフは夢のまた夢なんですね。一ヶ月前に恋愛研究部やってみたいと思った自分にただでさえ時間がないのによく申し込んだなとデコピンをしたい気持ちです。

その肝心の恋愛研究部ですが、今回は『1万人抱いてわかった! モテる男39の法則』『潤う女はうまくいく。』という2冊の本を中心に話を進めました。実は最初タイトルを見た瞬間これは赤裸々すぎるのではとカルチャーショック(に似たもの)を感じ、実際に内容も大胆。清く正しくがモットーである非モテ男の私にはいささか刺激が強かったんです。しかし、意外とちゃんとした内容もあった。どちらかというと恋愛だけではなく魅力的な人間になるための自己開発に繋がる話が多かったんですね。例えば、「顔、お金、人前に立つ、健康(体、心、頭)、清潔感」の順番で「モテ」に繋がりやすいという話が『1万人抱いてわかった! モテる男39の法則』に出ます。顔もお金もない私は密かに涙を流しながらも、その意見に共感せざるを得ない。ただ、それを覆すのが完全にできないわけではなく、自分の努力次第でモテる男になれるからその具体的な例を教えてあげる、という内容でした。

しみけん流・ビーチフラッグ理論

結局、努力なんですね。才能なきものが何かを手に入れるためには努力を重ねなければならない。それは恋愛でも同じです。話術を磨き、化粧を練習し、自分に合う服を選び、人を引き付ける教養を身に着け、それを絶え間なく繰り返して自分の日常にする。よく考えて見たらこれは人間としてステップアップするために必要なものではないかと考えているそこのあなた、正解です。論議中にもこれは恋愛よりは人間力を上げるのに近いなっていう声があったんです。自分の価値を上げて(ここでの価値はもちろん他者から見られた時のもの。究極的に自分の価値を決めるのは自分ということはお忘れなく)他者から認められることでまた自分を尊重できるようになる。その余裕が人をより魅力的にするのかもしれませんね。
でも、この全てを備えたところで本当に欲しい何かが手に入るかというとそれは懐疑的ですね。あなたが大事だと考えている美徳が相手にも貴重な価値を持っているとは限らない。例えば、愛情欠乏だった人が相手を寂しくしたくないという一念で相手に愛情を注いでも、必ずしもその人の意図通り相手がそれを受け入れてくれるわけではない。相手を考えて少し背伸びしたところで、相手がそれを無様だととらえることも十分ある。じゃ何でこんなことするの?この文章に何の意味があるの?と考えられるかもしれませんが、大事なのは運命の人が1人じゃないということです。運命の人は2人いて、1人目は別れの辛さを、2人目は永遠の愛を教えてくれるらしいです。自分の行動すべてが報われるわけではないということを噛み締めて、それでも努力を惜しまないと、いつかそれを認めてくれる人が現れるということですよ。だからこの本は、恋愛研究は、その日のための予習、事前調査、自分との向き合いなどなど、そういう活動だと私は信じています。

⑤恋愛の短編を持ち寄る会(執筆:関口)

12月25日、つまりクリスマスの夜、私たちはいそいそ学生会館に集まり自作の恋愛の短編を持ち寄りました。
この日は主に4人の短編を読み合い、その感想や短編から連想して考えたことなどを話しました。「短編を創作する際に恋愛研究部での学びをどこかに入れてほしい」と事前に説明したのですが、みなそれぞれエッセンスをうまく活かしており主催者としては感激しました。

最後、改めて「恋愛とは何か?」について話し合いましたが、〇〇である!と断言することはできず、研究が尽きない分野であるということがわかりました。でも、研究することは小さな疑問を解消したり新たな行動の第一歩となることがあるため、全く無駄ではないのです。チキンやお菓子を食べながら恋愛を語り合ったクリスマスはとても良い時間でした。

4人の創作した短編はこちらからご覧ください。

恋愛研究部の今後について

来年も同じ時期に開催できたらと空想しております!「こんな活動がしてみたい!」「こんな悩みを解消したい!」などご要望がありましたら、ぜひこのnoteのコメント欄に書き込んでくださいね。
親しすぎず、他人すぎない適度な距離感だから話せることがたくさんあります。今後も関心をお寄せいただけたら嬉しいです。





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