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じりじり、そろりそろり、観覧車のように今日も進む

2024年6月30日、日曜日。今、5年ぶりに葛西臨海公園にいる。「確か5年ぶり」じゃなく、間違いなく5年ぶりだと断言できる。なぜかと言うと、iPhoneのカレンダーに当時のスケジュールが登録されているから。

「2019年6月14日金曜日 休職前最終出社」

前回私が葛西臨海公園に来たのは、当時勤めていた会社を休職する当日だった。

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2019年6月14日、金曜日。たぶん、14時だか15時だか、そのくらいの時間帯。駅のホームに降り立ち、視線をほんの少し右に。大きな観覧車が目に入る。「曇ってるなぁ」「蒸し暑いなぁ、梅雨だもんなぁ」なんて思いながら、観覧車を視界に入れる。

それに続いて湧いてくるのは、「これからどうなるのかなぁ」という漠然とした不安。みぞおちのあたりが、ほんの少し重くなる。

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たしかあの日は、想定よりも早くやるべきことを消化し終えて、お昼近くにはもう手持ち無沙汰になってしまっていた。診断書に載っていた休職期間は1ヶ月だったから、私物の整理やPC内の整理も最小限。診断書をもらってから休職に入るまでに少し期間があったため、引き継ぎも終わっていた。

残り時間でできる分だけ誰かのヘルプに入ろうかとも思ったが、辞めた。終わらなかったらかえって迷惑になるだろうから。それに当時の私は、文書を組み立てるのはおろか、文字を読むことも難しくなっていた。何か書こうとすれば別の思考が滑り込んでくるし、何か読もうとすれば目が滑る。そんな状態だった。

あれこれ迷っているうちに、だんだんと息苦しくなってくる。観念して、上司に早退を申し出る。有給はとうに使い果たしていたから、早退した分は減給。でも、もうそんなことにかまっていられない。

通い慣れた駅までの道を歩く。漠然と、もうこの道を歩くことはないだろうなという予感がする。よく出勤前に立ち寄っていたファミリーマートのあたりに差しかかる。

ふと、急になんの前触れもなく、観覧車が見たくなった。ここ数ヶ月は、何かしたいという意欲がごそっと抜け落ちてしまっていたのに。だからこそ、今この気持ちを大切にしなくちゃと思った。

ファミリーマートの脇で立ち止まって、乗り換えアプリを開く。赤坂見附から、葛西臨海公園まで。

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平日昼間の葛西臨海公園に人はほとんどいなかった。駅のニューデイズで休憩中の駅員さんを見かけたのと、あとは園内を掃き掃除していたおじいさんくらい。おかげで、誰にも気兼ねなく、のんびりと観覧車を眺めることができた。

駅前のニューデイズでペットボトルのお茶を買って、観覧車のふもとまで歩く。ベンチがあったので、腰をおろす。

明日からのことを考える。考えようとするけれど、何も考えられない。どうしよう、何も考えられない……。来月には30歳になるのに、こんなところで立ち止まっていいのかな。今ここで止まったら、もう二度と動けないかもしれない。この先ずっと書けないままだったら、読めないままだったら……?

そうして不安に呑まれそうになっている間も、視線は観覧車に向いている。駅のホームで見たときはあまり分からなかったけれど、近くで見ると少しずつ少しずつ、観覧車が動いていることが分かる。じりじり、そろりそろり、とにかく少しずつ動いている。

2時間くらいぼうっと眺めていると、なんだか「大丈夫かも」という気がしてきた。当時は理由がよく分からなかったけれど、多分、この“じりじり”とか“そろりそろり”という観覧車の静かな前進が勇気をくれたのだと、今はそう思う。

たとえ傍目には立ち止まっているように見えても、きっと私は前に進んでいる。自分自身で前進している感覚がなくても、立ち止まっているように思えても。じりじり、そろりそろりと、実は今この瞬間だって進んでいるはず。そういう日々を積み重ねていけば、いつの間にか観覧車1周分くらい先に進んでいるかもしれないし。

とにかく今夜からちゃんと眠ろう。眠れなくてもあせらなくていい。もう今日までのように、寝不足の体を引きずって会社に行かなくてもいいのだから。文章が書けなくても、きちんと文字を目で追えなくても、あせらない。多分いつか、じりじり、そろりそろりと進んでいった先の日々で、きっとまた書けるはずだから。読めるはずだから。

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2024年6月30日、日曜日。5年後の私は、葛西臨海公園駅でこの文章を綴っている。行きの武蔵野線では本も読んでいた。じりじり、そろりそろりと進んだ先で、書くことも、読むことも再びできるようになった。

ホームに降り立ったとき、相変わらず「曇ってるなぁ」とか「蒸し暑いなぁ、梅雨だもんなぁ」とは思ったけれど。それでも5年後の今日は、みぞおちが痛むことはなかった。もうその事実こそが、5年間少しずつ前に進んできたことの証のように思えた。

5年ぶりにホームから眺めた観覧車は、やっぱり止まっているように見えた。でも、知っている。止まっているように見える今この瞬間だって、観覧車は動いている、絶対に。

観覧車の下まで歩く。日曜日だから家族連れが多く賑やかだ。ベンチに腰かけて観覧車を見上げる。ほら、やっぱり少しずつ少しずつ、動いている。

私も、またここから先の5年間、じりじり、そろりそろりと前に進んでいく。


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