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「S.E.Mの元教え子短歌」解説

はじめに

この記事は、先日頒布・再録公開した「S.E.Mの元教え子短歌集」に収録されている短歌33首を作者が解説してみようという試みです。
正直、解説とはほど遠い「妄想の開陳」という様相を呈しておりますので、ご了承の上ご覧ください。

「S.E.Mの元教え子短歌集」本編はこちらから
https://note.com/wasaoct222/n/ndcf115d3a6bb

※この記事を読む前に※
できれば短歌に目を通してからこの記事をお読みください。お手持ちの冊子、または上記のリンクからお願いいたします。
この記事の解説はあくまでも「作者が短歌を作ったときに何を考えていたか」というところを書いておりますので、みなさまがどう読まれるかというのは自由です。
むしろ、作者とイメージするものが違ったな、というときこそその解釈をお教えいただきたいです。作者としてはめちゃくちゃ嬉しいので。
何卒よろしくお願いいたします。

また、解説の中で「作中主体」という単語がよく出てくるかと思いますが、「視点主」と言い換えていただいていいかと思います。そちらもよろしくお願いいたします。

では、解説に移ります。

解説

p.3
✕✕高校 2年3組 出席番号21

先生がいたときもっと真面目なら先生は今も「先生」でしたか

すべてはここから始まった。
一番初めに作った元教え子短歌です。
おそらく硲先生は生徒たちにも「我々は教師を辞めてアイドルになる。君たちを導くのはアイドルだ」ってちゃんと説明したと思うんですよね。まあそれが受け入れられたかはともかくとして。
それを聞いて、ある1人の生徒は「え、つまり先生は『このやり方じゃだめだ』って思ったんですね?」と思うわけですよ。
「授業とか、課題とかへの私たちの反応を見て『う~ん生徒達やる気なさそうだな~もっとやる気出してほしいな~方法が間違ってるのかな~』って感じたんですね?だから教師辞めちゃうんですね??」って考えるわけですよ。
「そんなことならちゃんと課題出せばよかった」「授業中居眠りするんじゃなかった」「もっと手挙げればよかった」などなど、様々な後悔が生徒の胸に押し寄せてきます。
真面目な生徒でいたならば、今でも「先生」と「生徒」の関係でいられたかもしれない。いや、きっとそうだった。なのに、私たちが不真面目なせいで、先生は「先生」を辞めてしまった。「生徒を導くアイドル」を名乗る、謎の遠い存在になってしまった。
ごめんなさい「先生」。私たちは良い「生徒」じゃなかったですよね。だからここからいなくなっちゃったんですね。
そんな生徒の後悔を詠みました。

質問の一つもひねり出せないで落書きの後頭部のみあり

上記の歌に続く後悔として、授業の質疑応答で手を挙げるでもなく、ただノートの落書きを産み出していた自分、という様子を想像して詠みました。
勉強は正直好きじゃないし質問なんて思い浮かばないけど、先生のことはかっこいいと思うし割と好きかな、と思ってた生徒けっこういたと思うんですよね。なので、落書きの内容は先生の後ろ姿を観察して写生したものにしました。
ノートの隅っこに、板書する先生の後ろ姿が今も残されているような気がします。


p.4
✕✕高校 3年3組 出席番号10

教壇の声が遠くて落ちサビが聴けないんです「From Idol!」

言わずもがな「From Idol!」は『From Teacher To Future!』の歌詞ですが、個人的にこの歌詞すっごく残酷だと思うんですよ。
普通の人からしたらS.E.Mがアイドルを名乗るのは当然のことですが、元教え子たちからしたらどうでしょう。
散々「From Teacher!」と重ねて歌っておきながら、落ちサビに入っていくところで高らかに「From Idol!」ですよ。先生はもう「先生」じゃないんですよ。それをS.E.M自らが突きつけてくる。ちょっと辛すぎる。
ちなみに「落ちサビ」とは「最後のサビ前に挿入される、楽器パートの音量を下げてボーカルを目立たせたサビ」のことらしいです。FTTFだと「From Idol!」から「明日を頑張る君に贈ろう」まで。
「聴こえない」や「聴きたくない」ではなく「聴けない」としたのは、S.E.Mが「先生」でなくなってしまったことを受け入れなければならないのに、分かっているのにそれがどうしてもできないという生徒の葛藤を表現したかったからです。表現できてるの……か?
「教壇の声」としたところは、ステージ上から聞こえてくる声の物理的な遠さとも、かつて教壇から聞こえていたあの声が遠くへ行ってしまった精神的な遠さともとれるかなと思います。

「頑張れ」はもっと近くで聞くほうが頑張れたかも、なんて なんてね

「なんて なんてね」の部分で、冗談めかして言うことで寂しさをごまかそうとしたけれど、上手く笑えなくてくしゃくしゃの半泣きみたいな顔になってるのを想像しながら詠みました。
世界中のみんなじゃなくて、ここにいる私の目の前で「頑張れ」って言ってほしかったな、と思う生徒の気持ちを込めました。
でもたぶん、今までずっとすぐそばで「頑張れ」って言ってくれてたのを、主体が受け取れてなかっただけなのかもしれません。なかなか先生の気持ちって生徒には伝わらないものですし。


p.5
✕✕高校 2年2組 出席番号4

先生のダンスウケるねおんなじだチョークを拾う直角の腰

これは硲先生のダンスを見ているイメージで詠みました。
硲先生は頭を下げたり屈んだりするダンスもきっちりやるイメージです。メタいこと言えばステータスもDa値が一番高いですし。また「直角」というワードで数学を想起できるようにしました。
硲先生は落ちたチョークを拾い上げるときもキビキビした動きしてたんだろうなー。
関係ないけど硲先生はチョークホルダー使ってそう。

あんなにもよれよれの顔してたのに化粧のおかげかな? そうであれ

これは山下先生への感想です。
アイドルになって一番変わったのは山下先生だと思うんですよね。教師時代はザ・くたびれたおっさんという雰囲気だったのに、アイドルになってからはみるみるピチピチの30歳になっちゃって……。
「そうであれ」(≒そうであってほしい)の部分には「アイドルになった山下先生がやたら顔色良く、生き生きして見えるのは化粧のおかげですよね?決して、教師という仕事から解放されてせいせいしたとか、そういうことじゃないですよね?」という生徒の懇願の思いを込めました。

なーんにも変わらないんだ俺たちに教えるときの目の輝きと

最後に舞田先生。まいたるはアイドルになってもノリやテンションが変わらないから、ある意味生徒達からしたら救いなのかもしれない。
「アイドルやってる今と同じくらい楽しそうに授業してたな」「ずっとあんたはキラッキラしてんな」って感じにまぶしくて懐かしい気持ちになる生徒、いると思います。
「なーんにも」という表記は、笑っちゃうくらい全然変わらないな、というちょっとおちゃらけた表現にしたかったので採用しました。


p.6
✕✕高校 3年1組 出席番号17

お前らに何が分かる職員室の席順も知らなかったくせに

これはたぶん、今までの元教え子短歌の中でも先生への愛が一番強いものだと思います。
作中主体としては、かなり真面目に授業を受けて、職員室に質問に行ったりもしてた生徒を想定していました。
ここで言う「お前ら」とは、2つ挙げられます。
まず1つ目に、授業すら真面目に受けてなかったくせに、先生たちがアイドルになった途端キャーキャー言い出した同級生。お前らどうせ職員室の先生の席を尋ねたこともないんだろ?
2つ目に、「先生」だった頃の先生たちを知らないくせに今のS.E.Mを「先生」と呼びちやほやするテレビタレントや一般のファン。気安く先生のこと「先生」って呼ぶなよ。先生はお前らの先生じゃない、私の先生だ。
そんな風に独占欲と軽蔑の気持ちでぐるぐる巻きになっている生徒。
でも、「何が分かる」っつっても、たぶんこの作中主体も何も分かってないと思うんですよね。
実は陰で先生たちが人気だったことも知らないし(次郎ちゃんとか最たる例でしょうね)、主体以外にも質問しに来てた生徒はいたはずなので別にあなただけの「先生」ではなかった。
しかもS.E.Mは教育番組なんかにもたくさん呼ばれるだろうし、3人の自認としてもずっと誰かの、みんなの「先生」でいるんだと思われる。
私こそが「先生」に相応しい「生徒」だったんだという重ための愛と思い上がりを抱えてしまった生徒目線の歌でした。

とにかく「私の先生だったのに!!」という強い気持ちを表現できていたらいいなと思います。
このくらいの年齢のときって、ほんとに視野狭かったよな……(あくまで私はね)と思いながら詠んだ歌でした。

授業中の声があんなに跳ねてたか思い出せずに録画を消した

上記の歌に続く短歌です。
先生が学校を去ってしまったのはもうどうしようもないとして、アイドルになった先生たちは一体どんな感じなんだろう、と思った生徒が、先生が出演するテレビ番組を録画して視聴した、というシチュエーションを想像しました。
いざ見てみると、先生たちが楽しそうに(そして必死に)歌い踊っているではありませんか。こんな楽しそうな先生たち、見たことあったかな。私が覚えてないだけかな。でも本当に画面の向こうの先生たち生き生きしてるな。「先生」をやってた時とは、違うな……。そんなショックを抱えたまま、生徒はそっと録画データを消去しました。
この後、この生徒がアイドルS.E.Mとしての「先生」を追いかけていけるかは分かりません。ご想像にお任せします。


p.7
✕✕高校 2年4組 出席番号28

ただひとり挙手した最前列の端 引き留めるための熱には足りず

皆が手を挙げる最前列の端 当てられなくても声は届くね

この2首に関しては、対になる歌が作りたくて詠んだものです。
まず「手を挙げる」というところから「授業中の挙手」と「ライブ中のハンズアップ」の2種類を思い浮かべました。
そこからさらに、「教室の席の最前列」↔「ライブ会場の最前列」、「1人しか挙手しない授業」↔「みんな手を挙げて盛り上がっているライブ」でも対になるようにこねくりまわしました。
「引き留められる~」はなんとなく、先生の辞職を生徒が知った時点から、実際の最終出勤日までの間の出来事だと思っています。
「当てられなくても~」は、先生のことがこんなに好きなんだよという気持ちを、直接ステージに投げかけることができる幸せを詠みました。


p.8
△△大学経済学部経済学科2年 ✕✕高校平成◯年度卒業生

信じられんあの堅物がアイドルに!?って知らんの俺だけ?教えろや早よ

ビーカーで淹れてたコーヒー貰ったわ、てかアイドルと間接キスじゃん

p.9
△△大学法学部法学科2年 ✕✕高校平成◯年度卒業生

新卒で先生 第二新卒でアイドル 経歴バグっとるやん

ねえ大将、今だけチャンネル変えていい?俺らの先生良いとこ見せるよ

以上の4首については、最初から作中主体の設定が「高校既卒・先生のことは別に好きではなかった(硲先生とかむしろちょっと苦手)」でした。ここまでずっと、現役高校生、かつ、先生をかなり好意的に思っていた生徒ばかりを題材にしてきたので、ここらでいっちょ趣向を変えてみっか!と思い立ったのです。
この4首では、同じ大学に通う高校の同級生同士で久々に飲みに行ったシーンを想像しています。そこで「そういや硲と山下、今アイドルやってるらしいよ」「は???」という会話があって……という流れです。ちなみに舞田先生は在籍年度が被っていないので、作中主体たちは調べるまでその存在を知らなかった……という設定。
1首目~3首目は順に硲先生、山下先生、舞田先生のことを述べています。全体的にいわゆる「大学生ノリ」な会話文を短歌の形に押し込んでいます。これ絶対に「散文的」って批判されるやつですね。わはは。
(次郎ちゃんがビーカーでコーヒー淹れてたのは私の趣味です。たぶんこの作中主体、次郎ちゃんがちょっと席外したところにやってきて勝手にコーヒー飲んだんだと思います。次郎ちゃんがくれたんなら丸々一杯くれると思うので)
まいたるの歌については、ネットのS.E.Mの紹介ページを閲覧しながら、
「3人いるけど1人知らん奴やな」
「こいつも✕✕高の教師だったみたいよ」
「え、23ってことは新卒で教採受かった年にもう辞めてんの?ヤバすぎでしょ」
みたいな会話があったものだと想像して詠みました。まさかその決断が「俺辞表出してくる!」というスピード感&潔さだったことは知る由もないでしょう。
そして最後の歌ですが、飲み屋で
「お、ちょうど今◯ステ出てんじゃね?」
「マジか見てえ」
「テレビのチャンネル変えれっか聞いてみようぜ」
という会話があった流れを想像してその後に来るセリフとして「ねえ大将、~」と詠みました。
「俺らの先生」としたのは、現役時代は別に先生のこと好きでもなかったくせに、先生が有名人になった途端「あの人たちに教えてもらってたんだぜ!」と急に身内感を出してくる……という「人間味」を出せたらいいなと思ったからです。
あと「大将」呼びは飲み屋の常連ぶりたい大学生のお年頃感を出したつもりでした。


p.10
▽▽大学理学部理学科3年 ✕✕高校平成◇年度卒業生

問題が解けた時見たほほえみは今でも私だけの流星

最初はなんとなく作中主体を現役高校生とイメージして詠んでいましたが、冊子に収録するにあたって既卒者の人格をインストールしました。
私の中では、この歌の「ほほえみ」は硲先生のほほえみだと思っています(読者さんが別の先生を想定していたらすみません。誰が正解というのはありません)。
なので、主体の所属として「理学部理学科(=数学専攻がある科)」と設定しました。
あまり笑わない先生がふとほほえんだ顔って、なかなか衝撃的だと思うんですよね。それが自分だけに向けられたものだったら尚更。
流れ星が夜空で光るときのように一瞬のことだったけれど、その光がずっと自分の心に残っている、そんな大切な気持ちを表現したかったです。
SideM=星、みたいなところもありますし。


p.11
✕✕高校 3年1組 出席番号25

夏休み明けのモチベは先生のお祝いをすることだけでした

こちらは山下先生のお誕生日祝いに詠んだ歌です。
山下先生は9月1日生まれなので、夏休みが完全に終わって本格的に授業が再開される日にお誕生日を迎えます。
次郎ちゃんって「この年になるとお誕生日迎えるって複雑な気持ちなのよ~?」とか「先生のお誕生日祝いに宿題提出してくださ~い」とかって良い反応をくれそうなので、生徒も面白がってわざわざ祝ってたんじゃないでしょうか。
夏休み明けの学校ってまあ正直ダルいんですよね。ダルいだけならまだしも、事情によっては世界の終わりってくらい辛いと感じる人もいます。
作中主体がどの程度に思っていたかは分かりませんが、少なくとも「学校行きたくない(でも義務感で行かなきゃ)」の中に「山下先生をお祝いしたい(から学校に行く)」というモチベーションが生まれていたのは確かです。
「でした」なので過去形なんですが、現在この生徒が何をモチベーションにしているかは……ご想像にお任せします。


p.12
✕✕高校 3年2組 出席番号11

横にした8の字つよく三周分なぞれば消えぬノートの凹み

8の字を横にすれば∞、という安直な歌です。
S.E.Mのデビュー曲である『∞Possibilities』を聴いた後の生徒を想像しました。
私、「(可能性は)無限大さ」のところの∞ダンスが好きなんです。なのでS.E.Mユニット人数「3」と、そのダンスで∞を描く回数「3」を「三周分」としてこの歌に入れました。
ノートの紙って、かなり力を入れて線を書くと消しゴムで消しても線の跡が残ります。先生が確かにこの学校にいたこと、そして今アイドルとして自分達にエールを送っていてくれること、忘れないでおこうという生徒の気持ちを表現しました。
(ただ『凹み』という字面がちょっとネガティブに見えてしまうのは改善の余地ありかと思います。修正案求む)


p.13
✕✕高校 3年3組 出席番号24

持ち物は筆記用具と教科書と灯してもらったハートのランプ

ここからの3首は受験当日をイメージして詠みました。
この歌は受験当日の朝、持ち物の最終確認をしているような様子を思いながら作りました。プレッシャーの中、「これもちゃんと持って行くんだ」と先生たちから受けた指導やエールが胸にあることを確かめている、というような歌にしました。

ところで作者がBUMP OF CHICKEN好きだってことバレバレすぎますかね?

予言者の言を信じるのも自由 ここはテストに出るかもってさ

「ここはテストに出るかも」の部分は「Dance in the school!」の歌詞から取りました。めちゃめちゃ好きなんですよねあの曲。
学校の普段のテストだと「ここテストに出るかもよ」=「テストに出すから覚えてね」ですが、受験となるとそうはいきません。出題範囲は「全部」ですから。
でも、いつか先生が「ここは重要だからね」なんて言っていたところを思い出すと、そのヤマも当たりそうな気がする。先生のこと、信じてもいいかもな。テスト直前にそんなことを考えながら最後の復習をしている生徒の姿を思い浮かべました。

イヤホンをはずす 先生ありがとね、ここからは俺一人で行くよ

この歌は最初に公開したものから大きく修正しました。修正というか作り直したレベルです。最初は以下のような短歌でした。

イヤホンをつけてる人の何割か先生たちに励まされてる

「何割か」てオイ。情緒もへったくれもねえ。つまりは受験会場でS.E.Mの曲聴いて勇気付けられてる生徒けっこういそうだな、ということを歌いたかったのですが、「まあそうかもね」で終わってしまう歌になってしまいました。そこから頑張って直しましたが、なぜか最初の歌を作るより修正案のほうが短時間でできた気がします。なんででしょうね。

「必ずたった一人だけで問われる時が来るさ 真っ直ぐに見せて欲しい君の真価を」
言わずもがな『√EVOLUTION』の歌詞ですが、修正している最中はこの歌詞を連想していませんでした。
先生に勉強を教えてもらった。先生に背中を押してもらった。だから俺は孤独な戦いにも立ち向かっていける。そんな生徒の気持ちを表現したくて作った歌でした。
ですが、この解説を書く直前にいただいた感想で「この短歌から√EVOLUTIONを連想した」といただきました。
「それやん!!!」と思いました。
この時の私の頭の中のエモの嵐といったらもう大変でした。本当にありがとうございます。
たった一人で真価を問われる時、それがまさに今なのだと、生徒は決意を新たにして孤独な戦いに挑むのでしょう。


p.14
✕✕高校 3年1組 出席番号23

先生を求む生徒が列をなし「会うの初めて!」なんてはしゃいで

ここからは「S.E.Mの握手会プチ連作」が続きます。
まずは硲先生の握手会列に並んだこの生徒から。
この歌では列に並ぶ他のファンを「生徒」に例えることで、「『はざまセンセー、はざまセンセー』って、お前ら先生の『生徒』気取りかよ?」という作中主体のいらだちを表現しようと思いました。
先生のことを「先生」と呼ぶくせに同じ口で「会うの初めて!」とか抜かすので作中主体はふざけんなと思うわけです。
ただこの主体は、自分のその列の中の一人に過ぎないのだという自覚も持っています。
それを次の歌で表そうと思いました。

成績は中の下でした先生に褒められたこともない生徒A

先生がいた頃、褒められもせず怒られもしない程度の微妙な成績だった自分。きっと先生の記憶には残っていないだろう。そんなの、自分の周りで「初めて会う」なんてはしゃいでいるただのファンと同じってことじゃないか。
でも仕方ない。先生が名前を覚えててくれるくらい頑張れなかったのは他でもない自分だ。
元教え子ではなく、ただの一ファンとして、今日は握手会に臨むんだ……。

「む、君は」と言われた後のまっしろの記憶確かな手の温もりと

からの、硲先生覚えていらっしゃった!という歌です。
先生が作中主体のことを覚えているのは想定外のことだったので何を話したのか記憶から吹っ飛んだようですが、確かにこの手で握手をしたという暖かな感触は残っていました。
硲先生強めに握手してくれそう。目線逸れなさそう。

ところで。
冒頭で「S.E.Mの握手会プチ連作」とは言いましたが、必ずセットで意味を考えなければいけないわけではありません。1首1首バラバラなものとして捉え、31文字だけの情報から情景を想像するのも楽しいかと思います。
握手会設定なんか忘れて、自由に読んじゃってください。


p.15
✕✕高校 2年1組 出席番号9

金色と銀とピンクをまとわせて宇宙人並みに人気あるじゃん

そしてここからは舞田先生のターン。
先生の握手会に来てみたはいいものの、想像以上のファンの多さに驚く作中主体。
「宇宙人」というワードは、S.E.Mの宇宙イメージと、人によっては理解しがたいと感じる「ちょっと浮いてる」まいたるの人物像から持ってきました。
金色は髪の色、銀とピンクは衣装の色ですね。

伸ばすより先に右手が引っぱられ「Shake hands!」がしぬほど笑顔

舞田先生のちょっと強引なところ、全然嫌な感じではないからすごいなと思います。
おそらく、作中主体は握手するその時になって少し逡巡したのでしょう。色々と思うところがあったのだと想像されますが、舞田先生はそんな生徒の迷いを察してか否か(たぶん察してそうですね)自分から手を取りにいきます。その笑顔がまぶしすぎるという歌です。
「しぬほど」はひらがなに開きました。
今の時代に若者が「しぬほど◯◯」と使う時ってかなり気軽さがあると思うんです。
なのにそこに「死」という漢字を使ってしまうと重たい印象になってしまいそうだなと思って、このような表記にしました。

いくらバカだからって「See you again!また会いましょう」くらいは分かる しーゆーあげいん

最後の歌は握手タイムが終わって剥がされるときのやりとりを思い浮かべて作りました。
舞田先生は絶対にファンとバイバイするとき、「また会おうね!」と言ってくれると思います。
これを受けた生徒も、「しーゆーあげいん」と拙い発音の挨拶を返した……というシーンを想像して詠みました。
中高の頃って授業中に英語を発音良く読むの恥ずかしい、みたいな謎の風潮がありますよね。そんな気恥ずかしさ&英語の成績そもそも良くないし……という自認もあり流暢な発音はできませんでしたが、きっとこの生徒は先生が「また会おう」と言ってくれたことがとても嬉しくて、英語で挨拶を返そうと思ったんだと思います。

ところで、先日ありがたいことにこの歌についてのご感想をいただきました。
その中では、握手会という状況とは違う読み方をしてくださっていて、とても嬉しかったです。この歌単体だと確かにそういう風にも読める!と感動いたしました。
この歌の可能性を拡げていただき、本当にありがとうございます。
そういうの無限にほしいです。


p.16
✕✕高校 3年5組 出席番号6

存外に温かい手の指先はチョークの白さを纏うことなく

最後は山下先生の3首です。
人の手を握った時って、「手ってこんなにあったかいんだ」っていう感想抱きませんか?私だけ?別に冷たそうだと想像していたわけじゃないけど、でも思ったより暖かい……みたいな。
そして指先を見ると、教師時代、授業中にチョークであんなに白く汚していた指先は、当たり前だけど綺麗になっていて、もうああいう仕事はしないんだな……そうだよな……と寂しくなる気持ちを詠みました。

山下先生は、授業の度に指先がチョークの粉まみれになるのを適当にその場で払うだけだったり、白衣の裾でゴシゴシ拭ったりしてそう(ド偏見)。

おじさんと握手するってイヤじゃない?イヤじゃないから来てんだよバカ

この歌に関しては、上の句ができてからすぐに下の句が浮かびました。
知り合い×しかも若い子=山下次郎の「おじさん自虐」の加速。あると思います。
すぐに「自称おじさん」ムーヴしてくる先生に、いい加減に自分がかっこいい部類の人間であると気づけや!!とバチギレする生徒。いると思います。
そして、これだけ好きでも、やっぱり先生には伝わってないんだなという悲しみを抱く生徒。たくさんいたと思います。
だって基本スタンスが「おじさんなんて~」なんだもの。逆にこっちが眼中になしって扱いを受けている気分になるわい(そして実際に眼中にない)。
コミカルな調子で悲しみを描きたくて作った歌でしたが、いかがでしたでしょうか。

先生と握手したのは初めてで剥がされたのも初めてでした

「S.E.Mの元教え子短歌」の中で、今までで一番多くの方に見ていただけたのが、この山下先生のプチ連作でした(TwitterのRT・いいね数より)。それだけ、多くの共感を得られた歌だったのだと思います。
その3首の中で最初に詠んだのが、この歌でした。
先生とわざわざ握手する機会ってあんまりないですよね。それが、こんなかたちで実現されるとは思ってもみなかった。まさか先生がアイドルになるなんて。
「先生私のこと覚えてる?」「いくらおじさんでも覚えてるよ~◯◯でしょ?」「お~マジで覚えてんじゃんスゲー」なんて他愛もない会話をしていればすぐに握手の時間は終わる。最後粘っていると思われたのか、スタッフが剥がしにくる。
先生と握手してて剥がされるって、何?意味分かんない。だって先生は先生なのに。なんで先生はアイドルになっちゃったの。なんでだよ。

そんな悲しい気持ちを、淡々とした文で書くことによって逆に浮かび上がらせようと思い、この歌を詠みました。


p.17
✕✕高校 1年1組 出席番号4

先輩が泣きそうに笑う「S.E.Mが好きなのでここ受けました」と言えば

この歌だけは、S.E.Mの教師時代を知らない生徒目線で詠みました。なので現在高校1年生です(昨年にS.E.Mがデビュー)。
S.E.Mがアイドルになった後、絶対「あそこの学校にいたらしいよ」って噂になってると思うんです。それを高校の志望動機にする中学生ももしかしたらいるんじゃないかと想像しました。
作中の「先輩が泣きそうに笑う」には様々な理由が考えられるかと思いますが、私が考えたのは「この後輩の存在が、先生たちがここにいたことを逆に証明しているから」という理由でした。


p.18
✕✕高校 2年1組 出席番号9

俺たちを置いていくならご勝手にどこへでも行けどこまでも行け

リズム良く作れたので、けっこうお気に入りの短歌です。
先生辞めるのもアイドルやるのも勝手にすればいいけどさ、中途半端なところで諦めてノコノコ帰ってくるんじゃねーぞ!やるなら目一杯やれよ!という生徒からの叱咤激励を詠みました。
「どこへでも行け」と突き放す様子からの、「どこまでも行け」で実は背中を押している、という流れも気に入っています。


p.19
✕✕高校 3年1組 出席番号5

願わせて ただの止まり木ではなくて飛ぶための大地がここだったと

最後の歌になりました。
先生にとって教師という職業は、アイドルになるための話題作りや一時の食い扶持のためにやっていたことではないはずだ。この学校が先生にとって大切な場所で、だからこそ「生徒のために」とアイドルを目指したんだ。そう思ってもいいですか。そんな生徒の気持ちを歌にしました。

すみません、この歌に関しては全然うまい言葉が見つからなくてフワッとしたことしか書けないです……。
ただ、この歌を詠んだ後で思ったのが、この感覚って先生から生徒への気持ちとしても同じかもしれないな、ということです。
学校という場所は、3年間をただなんとなく過ごす所ではなく、飛び立っていくための助走の場なんだ。先生たちもそう思っていたのではないでしょうか。
さらにフワッとさせやがってだからなんだってんだという感じですが、先生と生徒、お互いからお互いへの同じ祈りがこのコンテンツにおいては成立するんだというところが、なんだか素敵だなと思います。
ありがとうS.E.M。ありがとうSideM。


おわりに

いかがでしたでしょうか。
作者の考えと一致した、全然違う風に捉えていた、など様々なご感想があるかと思いますが、どの解釈も大切で素晴らしいものです。
ぜひ、こちらの記事のコメント欄や、Twitter上の作者のアカウント、Wavebox等にご自身の解釈やご感想を投げ込んでいただけますと作者が大変喜びます。

以前、Twitterでのフォロワーさんがおっしゃっていた、「短歌は.zipファイル」という言葉が印象に残っています。
私の脳内妄想を短歌という.zipファイルに圧縮した後、読者のみなさまがそれを解凍します。ですが、そこから出てくるデータは何一つ同じではないのです。
可能性は∞ということでひとつ。









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