いつかの日記(14)  (赤ん坊と犬)

日記のようなもの、つづき。

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寝違えたのかなんなのか、数日前から首が痛い…。ずっと痛いわけではなく何かの拍子でイテッとなるが、その拍子がつかめないので怯えながら過ごしている。

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この間読んだ斎藤真理子『本の栞にぶら下がる』で取り上げていたので、久しぶりに高野文子の『黄色い本』を読むか…と一瞬思ったけど、やめた。
あまりに好きな作品は、読むとその後しばらく打ちのめされてしまうので結果として他に比べて読み返さない、みたいなところがある。映画とかもそう。
じゃあ同じ高野文子でも『るきさん』あたりにしておこうかな〜と思って手に取っのだが、改めて見ると、紙の漫画本として理想の極致…と思うきっぱりと冷静でぬくみのある色彩や、えっちゃんが気になっている男性へ出す年賀状を用意する回で、切手を舐めて貼るのをるきさんに見られるのを嫌がるコマなんかが、非常にグッときてしまい、うわーーっ忘れてただけでこの作品も良すぎる!!心が疲れる!!となって途中で本棚へ戻してしまった。
私は何をしているのか、、まぁひじょうに幸福な読者ではあると思う。結局読んでないけど。

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ここのところ、友人の家を訪ねることが続けてあった。
彼女たちがそれぞれの家族と暮らす家には、赤ん坊や犬がいた。赤ん坊は、誰がどれだかよくわかってないという感じでアバアバとまっすぐこちらへ歩いてくると、こてっと前方へ転ぶように抱きついてきた。犬は、最初は見知らぬ訪問者を警戒して甲高く吠えまくっていたものの、そのうちに懐き、私の足の上でとろとろと寝た。
そのときの私は、かわいいねぇとかなんとか友人に言いながら、懐いててウケると友人に笑われて嬉しくなりながら、自分よりも弱く小さいものから突如、無防備にあずけられた体の、生命そのものみたいな柔らかさ、この世の全ての棘を溶かすようなつよいあたたかさに、心の隅でビビっていたと思う。

ああいうとき、自分が普段「守らなければならないもののいる生活」を逃れて生きていることを実感する。守らなければならないもの…というか、傷つけないように自らの力を抑制しなければならないことが明白なもの、といった方がより正確かもしれない。
世話が必要でいのちが剥き出しで、ぎょっとするほどあたたかくてかけがえのない存在と生きることは、この手にも力があること、それゆえに自らが権力やそれに近しいものを振り翳してしまうことのすぐそばにいるということを、思い知らされ続ける煩わしさと共にある。思い知らされ続けながら、乗り越え続ける責任、私の日常はそれらから離れたところにある。

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つづく。


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