いつかの日記(8) (家事の友、記憶にないもの、中井久夫『戦争と平和 ある観察』)

一言二言日記つづき。

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ため込んだ家事を一気にやりたいときに聴く音楽、Bruno Marsの『24K Magic』が一番いいな…(5年位言ってる)。死ぬほどかっこいいデコトラに背後から応援される感じで、とにかく加速できる。気の乗らない排水口の掃除も、Brunoは絶対にしないだろうなと思いつつおらおらと完了。ありがとうBruno Mars、ありがとう彼を支えるバンドThe Hooligans、ありがとうキッチンハイター。アルバムの中では比較的おとなしい曲も「マンハッタンにマンション買った」と始まる驚愕の湿気のなさ。飛び抜けた好景気というエキゾチシズム。

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引越しが決まったため、わかりやすくドタバタしている。今の部屋に11年住んだらしい。あらゆる不用品をゴミ袋にまとめていると、部屋と共に訳のわからないものを溜め込みながら歳を食った日々の重みが腕に食い込むようだ。色々なことをあまり覚えていない。

戸棚の奥から、熊が歌い踊っているかなりメルヘンな柄の紅茶缶が出てきた。全く記憶になく、振ると中から明らかに紅茶ではない音がする。恐る恐る開けると、白い小石のような、でも石ではない軽くて丸っこい何か、が大量にビニール袋に包まれて入っていた。なあにこれ。中身を見ても身に覚えがない。怖くなってすぐゴミ袋に入れた。が、何ゴミに分別したらいいのかわからない。
くたびれた部屋の片隅から発掘されたものがきっかけとなり、記憶の引き出しが一気に開くこともあれば、このように何一つピンとくる気配なく途方に暮れることもかなりあって、引越し準備はなかなか進まない。過去の自分の痕跡を、赤の他人の腕に抱かれた宝箱、あるいは深夜の道端に冷えていく匿名の不法投棄ゴミのように、ボーっと眺めてしまう。

物を捨てたり残したり、紐で縛ったり袋に入れたり、せわしなく動いてはいるが、今ここでの瞬間のほとんども、これから二度と思い出さないのだ。いつだって、思い出さない思い出の中を生きている。歩けば歩くほど、手に提げた鞄の穴から「何ゴミなのか、そもそもゴミなのかもわからない何か」がとめどなくこぼれ落ち、散乱し、記憶から消えてゆく。終わりの見えない片付けにうなだれつつ、生きることは散らかし、忘れることだな、などと思う。

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中井久夫『戦争と平和 ある観察』。戦争(と平和)を「観察」し「理解」することに徹する(それ以上のことは決してしない)という意志に貫かれた平熱の言葉の読みやすさと飛距離の大きさにたじろぎながら読む。
戦争が「過程」であるのに対して平和は「状態」であり、ナラティヴにならないから“心に訴える力が弱い“、との指摘。人のやわらかな心の動きが如何にして平和を遠ざけるのか、詳らかにされるのを目で追いながら、自意識は、日常に溢れかえる魅力的で・明瞭で・キャッチーなナラティヴにふるふると動かされる私の心へと向かう。ここに心がある、つまりここに「火種」があるということ。

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つづく。

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