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映画『ジョン・レノン 失われた週末』を観て思ったこと

 ジョン・レノン失われた週末を観てきたので、その感想を書いてみようと思う。

※以下、ネタバレが含まれるのでご注意を…

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 まずこの映画を観てよかったと思ったのが、いわゆる失われた週末はジョンのもっとも荒れていた時期というイメージがあったが、決してそうでもなかったということ。むしろジョン自身はとても活き活きとしていたのが、上映中に流されるたくさんの写真から見てもそれがよくわかったし、自由があった昔の少年時代を再び謳歌しているようにも見て取れた。メイ・パンも映画の中で語っているように、音楽活動も充実していたし、ポールやリンゴといった盟友などとの交流も深めており、息子ジュリアンとの再会そして親子との絆をより深めたりと、ジョンにとっては必要な時期だったのだと思う。
 メイ・パンとロサンゼルスに行ったのも、ジョン自身が自分の気持ちを曲にすることへの疲れがあったと映画の中で語っていたけど、反戦活動の影響で当時のアメリカ政府からも目の敵にされ、なおかつ若者からは平和主義者として注目され、そのプレッシャーや喧噪から逃れたいという気持ちがそうさせたのではないかと思う。たしかに酒やらドラッグやらで荒れ放題だったのは事実だが、ヒーローと崇められた自分から抜け出して、等身大の自分として自由にやりたいことをして気分転換を図れたことが、その後の穏やかだった主夫時代につながったんだと思いたい。

 さて、この映画では、ヨーコのことを悪人のように描かれていた節があるが、たとえメイ・パンにジョンと不倫するように自分が仕掛けたとしても、ジョンとは別れたくなかったんだし、ジョンとメイ・パンが大恋愛に発展したのは誤算だったため、しつこく電話をしたり、ポールに自分の伝言を伝えるように仕向けたりして、必死にジョンを取り戻そうとした行為は決しておかしなことではないはずだ。むしろこの期間がジョンとヨーコの絆をさらに強固なものにしたとも言えるだろう。

 そしてこの映画の主人公でもあるメイ・パンだが、笑顔の素敵な良い人であることは、写真や映像からもそれがすごく滲み出ていた。ジュリアンとシンシアをジョンに会わせるように取り持ってくれたし、自身は酒やドラッグには一切手を出さずに、ジョンの恋人であると同時に彼の世話係として、側に寄り添って支えていた。そういうところもジョンに惹かれた所以なのだろう。

 結局、ヨーコの執念が勝り、ジョンとメイ・パンとの関係は終焉を迎えることになるのだが、それ以後も何度か連絡は取っていたみたいなので、それは少し救われた気持ちになった。
 ジョンもジョンで、まだメイ・パンのことはずっと気にかけていたようだし、いつか二人で過ごすこともまた考えていたようだが、おそらくは再び家庭内で何か問題が生じた場合、逃げ場所の確保のためメイ・パンとの関係を繋いでおきたい気持ちもあったのかもしれない。
 しかし、ジョンが急逝して二人の関係は完全に終わってしまう。映画の中で泣いていたメイ・パンの姿には胸が熱くなった。

 ジョンとメイ・パンとヨーコ――このなんとも儚い三角関係も、映画を観終わってからはどちらの愛も固くて強く、そしてこの映画を観た人々の心にいつまでも刻まれることだろう。自分もそう。初めて見る貴重なジョンの写真や映像も一緒に堪能できる素晴らしい映画だった。眼福、眼福。

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