忘年会、納会、大掃除をやめた理由
ワープスペースには忘年会も納会も、大掃除もありません。
年末のWrap upはYear End Partyと呼んでいるし、掃除も四半期に一回くらいの中掃除と物品整理&模様替えをするくらいです。
一般的な呼称や慣習、長いものに巻かれるのは楽だけど、本質的な意味を考える習慣はそういうところから来ると思っているので、愚直に一つずつ新たな慣習を作っていっています。
なぜそうするのか、それぞれ1つずつの理由にまとめてみました。
1.せっかく走り抜けた1年、忘れてどうする
「忘年会」というワード、どうも「1年嫌なこともつらいこともあったけど、、」が前提のような気がしてならないのです。全て飲んで忘れちまおうぜ、みたいなネガティブしかない会ってする意味あります?だから近年「忘年会スルー」が流行るんです。しかも「忘年会」ってイベント要素がない。娯楽に溢れている現代において、(社の行事としての)ただの飲み会に全く魅力がないってことに早くみんな気付いた方が良い。
むしろ、せっかく走り抜けた1年、忘れてどうすんねん、と。ちゃんと振り返って、次に活かせるイベントにしよう!ついでに飲んで楽しくやろうぜ、っていうスタイルがちょうど良く有意義じゃないかと。なので、ワープスペースは「End Year Party」なんです。そう、大事なのはパーティー。End Yearはただ事実しか言っていません。
ワープスペースでは、社員も業務委託もパートタイムも関係なく、家族の参加も大歓迎。リゾートワークや社内部活の報告ピッチがあったり、Officerからの感謝の手紙(家族も含め参加者全員に対して)があったり、動画流したり。2次回以降は自由で、行きたい人はカラオケいったり、麻雀したり。アルコールなんて二の次。おかげさまで最終的に稼働メンバーの9割ほどは参加してくれました。
2.仕事って納まるものですか?
同じような理由で「納会」という言葉にも違和感があります。仕事納めってよく言うけど、この言葉自体「仕事」を生活、もっと言うと、生きることと切り離す考え方を前提としてしまっている気がします。まぁそもそも日本語の「仕事」は「仕える事」、つまり奉公人の仕事であって、それを納めるタイミングがあるのは理解できます。しかし現代人の仕事はもはや「仕える」ことではなくなっています。ほぼすべての日本人が労働力や成果物の対価として報酬を受け取っているはずで、決して御恩に対する奉公ではないわけです。
と、話が少しずれてしまいましたが、現代が封建制でない以上、WorkもLifeも主体は個であって、時間の使い方はそれぞれに任されています。しかも、知的労働が増えてくる(これからも増え続ける)につれて、いわゆる「On (Duty)」と「Off(Duty)」を脳内で分けることはほぼ不可能です。
年末年始、確かに仕事の連絡は来なくなるかもしれないけども、脳内って本当に納まるものでしょうか?そりゃ結構無理な話で、誰でも頭のどこかで「あのタスクのこの部分どうしよう?」とか「あ、こうすればいけんじゃね?」とか考えちゃうわけです。
もうオンオフとか仕事とプライベートの境目とか定義しちゃうのが無理筋なんですよね。そこを明確に区切ろうとするから、休暇中に仕事のこと考えることがイケないことになってストレスの種になるし、仕事中にプライベートのことを話したり考えたりすることがタブーとされてなかなかリラックスできなかったりするわけで。一人の人間で、脳みそも心も一つなんだから、そこ分けて考えなくて良いんです。
大事なのは暦に従って「仕事を納める」のではなく、一定期間の報酬に対してコミットした成果の振り返りをして、次の期間のコミットに活かすことでしかない。Year End Partyの場ですら、その振り返りの機会になってしまうのです。
3.大掃除という名のオペレーション放棄
年末の大掃除は基本的にポジティブなワードとして捉えられていると思いますが、僕はそうじゃない。これは主に妻に影響された考え方ですが、日常的に小さい掃除ないし汚くならないオペレーション&定期的な中掃除を組んだ方が圧倒的に安定して清浄な空間を維持できます。大掃除で綺麗に保てるのはせいぜい一週間、それ以外の約350日は汚い状態。年末だけ大掃除をするのは、厳しい言い方をすれば、ただの贖罪と自己満足でしかないなぁ、と。
あと、年末に掃除をするという考え方が全く合理的じゃない。新年をすっきり迎えたいという気持ちは分かります。であれば毎日の朝をすっきり迎えられた方が絶対に良いです。オフィスならなおさら、大掃除後最もキレイな状態のときに人が全くいない。
何となく年末イコール大掃除でやってることが多い気がして、それ以外にもそういった慣習でしかない習慣を見直すことで年間を通じた時間効率や生産性も上がるはず、という考え方のもと、ワープスペースでは大掃除を撤廃しました。
その代わり、気がついた人が日常的にちょこっと掃除や整理をするし、開発の大きな区切りなどで中掃除とか模様替えをするし、それだけで十分だったりします(もちろん個人の机とかも含め雑然としてるところはあります)。
4. 番外編「新年の抱負も特にない」
暦そのものには暦以上の意味は特にないと思っていて、そういう意味で暦上の新年に立てられる抱負って、ホントにそれ本質的な抱負?って疑問が湧いてきてしまいます。
もちろん何か区切りがないとインパクトないし、オペレーションにもならないので、それはそれで良いのですが、僕にとっては今ある抱負が引き続き新年の抱負です。
今年の夏前後から社内外のモメンタムが加速度的に上がってきていて、その波をがっちり掴んでさらに飛躍していきます。
春には光空間通信の地上試験や初号機の打ち上げも控え、仮に2020という年で切り取るとすれば、「証明」というワンワードが最もふさわしい年になるはずです。
踊らされず、一つ一つ自ら考え、踊る。
母校筑波大学国際総合の故秋山先生の言葉を一部借りて、今思う抱負でした。
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