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「開発」と「挑戦」に向き合い30年超、たどり着いた宇宙ベンチャーという道。

メンバーインタビュー企画第三弾となる今回は、前回に引き続きエンジニア職からの登場です。

非宇宙の領域から宇宙ベンチャーに飛び込み、なんと実は正社員でもない!そんな特徴的な働き方をしている園田さんのこれまでから、WARP-01開発の裏話まで盛りだくさんでお届けいたします。


1.園田さんのこれまでについて教えてください!

 平成元年に電子機器メーカーに技術者として入社し、画像処理装置のソフト開発をしていました。平成の時代は丸ごと会社員で、社会人歴はもうじき32年になります。
 その後1995年の秋に小さな半導体製造関連の装置メーカーに転職し、そこでは製造装置の画像検査ソフトの開発をしていました。そこでは丸6年勤めたのですが、ちょうど半導体不況の時期だったこともあり、2001年に部門ごと無くなるリストラに遭いまして退職。そして2002年に三つ目の会社に移り、受託で組み込みソフトの開発をしていました。今で言う「ガラケー」「FOMA」の出始めの頃の開発をしていました。

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(実はマラソンが趣味だという園田さん。去年は800キロ走ったとか。)

- すごい懐かしい響きですね、FOMA 
 他に携わったもので言うと、例えばオフィスで使われているLANで繋がるような多機能電話機のソフトとか、あとは無線で音声やデータをやり取りする端末とか、通信寄りのソフト開発が多かったですね。その会社には17年ぐらいいました。

- 数多くの開発を行ってきたんですね

- WARPSPACEはどういうきっかけだったのでしょうか? 
 今から3年前に「リーマンサット・プロジェクト」という民間宇宙開発プロジェクトに入って、同じくメンバーでWARPSPACE社員の関さんと知り合ったんです。

 その時WARPSPACEではWARP-01の開発中で、関さんとしては「ソフトの開発が間に合わないのではないか?」と開発のペースを心配しているタイミングでした。そこから2019年5月に「何かできることはないか」ってお聞きしたんですけども「まあまだ大丈夫」っていうことでその日は落ち着きました。そこから6月になり、「いよいよ間に合わなさそうだ」ということで、そこでソフト開発を引き受ける形になりました。

- 以前のメンバーインタビューで、エンジニアの木村さんがその頃を「WARP-01の火消しに入ってもらった」と言っていたのを覚えています笑

そこからもうワーッて、当時11月に予定されていた引渡しに向けて本当に急いでやらなきゃいけなかったので、それまでに作られた各機能の部分はそのまま活かしながら、土台部分を自分で作っていきました。

- WARP-01は文字通り、園田さんの組み込みで動いているんですね
 ソフトはそうですね。通信機のソフト以外はほとんど私が作っているので、ソフトが何をしているかは一番詳しいです。
 まあそれだけ責任重いんで、放出された後に動かなかったら生きた心地しなくなりますがね…。

- そこは動いてくれると信じましょう!

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(オフィスにて、WARP-01とともに)

2.あえて選んだ業務委託の道

- ここから園田さんの特徴的なポジションについてお聞きしたいのですが、園田さんは雇用契約を結んではいないんですよね?
 はい、社員ではなく業務委託として働いています。

- しかし業務委託と言いながらも開発の深い所にいらっしゃる気がします
 強いて言うならば、フルタイムで働く業務委託、という状態です。前職を辞めたのが55歳の頃で、仮に定年が60歳だとしてそれまで開発一筋だった人が急に定年になったらそこで路頭に迷うなと思ったんです。いきなり地域社会に放り出されても、これまでやってきたことってメーカーでは通用してきたとしても、社会の中ではあまり通用しない。だから早めに辞めてローカルの仕事もちょっとずつやって、ローカルで食える形にしようという思惑がありました。なので自分では”自主”早期退職だと考えています。

- 自主とつくのが大事なんですね
 そうそう、ただ今回スタートアップから声がかかり「やっぱこっちの方が面白いからやっぱりもういいや笑」と思い開発職を続けることにしました。
 この年齢でスタートアップで働く、しかも自分で手を動かしてものを作れるなんて普通できないことがやれているから、だったらまず60歳まで突っ走ってもいいかな、その先のことはあまり考えてないです。

- とりあえず今は60歳まで楽しむということですね
 そう。ただなんでそうかと言ったら、やっぱりまだそういうローカルで食っていけるようにもしたい考えがあるんで、必要なときにコミットできればいいかな、という考えもあります。
 例えばWARPSPACEの社員になったとしたら、そこに引っ張られちゃうところがあったと思うし、会社がそういうことはないだろうけれども逆に開発で必要とされなくなったときに、会社にとって重荷になってしまうだろうっていう思いもあるから、今の形態が一番いいと思っています。

- 福利厚生面とか社会制度面での心配はありませんでしたか?
 そこについては、会社員を辞めた時点でそこを考えた上で覚悟しているので、心配はないですね。

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- 園田さんの周囲でマネージャー職を除いて50代半ばでスタートアップに加わることって、そう多くはないと思います。なぜ思いきった舵を切れたのでしょうか?
 マネージャー職とかで入った人は結構多いと思いますけど、確かにエンジニアで入る人は少ないかもしれないですね。私事ですが今もう社会人3年目になる息子がいて、いったん子育ては終了したんですよね。それは結構大きな事かもしれないと思います。要は、もう子供にお金が掛からないから自分の人生で冒険できる。そういう色々なタイミングがよかったのもあって、今の道に思い切って進むことができたんだと思います。

- ずばり、いま現役エンジニアとして働けていることは楽しいですか?
 この年でまだ現役技術者として働いてるのは幸せですね。確かに最先端な事を常に身に着けていくことは大変です。大変だけどもやってること自体がなんか幸せだなって。技術の仕事って結局、何か新しいものを作るために何か新しいことを勉強して取り入れていかなきゃいけなくて。同じようなことをやっている様でも毎回新規性があるっていうところが面白いとこかなと思うんです。性に合ってるんですね、まさにそうですね。


3.今後やっていきたい仕事、楽しみなこと

 自分がこうやりたいっていうのは多分あまり考えなくて、そこが社員と立場の違うところの大きなところかな。開発の業務委託である自分として、そこは動かせない領域だと思うんですよね。ただ自分としては、これから会社が成長するにしたがって多分ソフト関係の人材も入ってくるので、その人に自分の持ってるノウハウを伝えるっていうのをできたらいいなあと思っています。
 ここは新しい会社だし、その分開発のスタイルも様変わりしながら作られていくと思うけれども、とはいえ所謂「企業的なもの作り」のいい部分も取り込んでいく必要もあって「一つのものをただ作るのではなく、しっかりと生産すること。」そのために、一般的なものづくりの会社で行われているような、開発のフェーズとか手順とかを決めていくこともまた大事だと思います。メーカー勤めだった私は経験してるけど、メーカーで経験がない人が知らないで来ていきなり直面する部分もあって、そこの差の部分を橋渡ししていきたいとも思っていますね。

 あと近いところだと、WARP-01がそろそろ放出されて動き出すので、「WARP-01はこういうもの」を表に伝えるところをやりたいと思っています。


最後に、WARPSPACEの9つの行動指針「Compass of Behavior」について伺いました。

Our Compass of Behavior
01. Leap
02. Goal oriented
03. Decide with fact
04. Chase one chance
05. Resilient spirit
06. Respect your crew
07. Love family
08. Adventure
09. Be attractive

4.大事だと思うCompassを教えてください

 一番はBe attractiveですね。
 やっぱり「WARPSPACEが人々に応援してもらえる存在になってほしい」っていう気持ちがあって。例えば我々のWARP-01とかを地域の人に知ってもらい、共感してもらう。そして応援してもらえるような姿を目指したいなと思っています。さっきも言った通り「WARP-01はこういう衛星です」って発表していけたらと思います。自分があれこれした、とかよりも、目に見える会社の物・価値を「魅力的に」伝えていきたいですね。それがまたリクルートに繋がったりするかもしれないですし。

- ではこれから後継機の開発と、WARP-01の運用と、楽しみですね
はい、とても楽しみです。



インタビュー・執筆・撮影
川原涼太郎

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