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松本先生のこと

恩師が亡くなった。
知ったのは、1月6日だ。
いつ亡くなったのか、まだわからない。

わたしには姉と弟がいて、三人とも書道とピアノを習っていた。
もともと小学校の先生をしていた、という書道の先生のところに通い出したのは、小学校に上がる前だったと思う。4歳年上の姉はすでに通っていて、わたしもいっしょに通うことにした。
先生の名前は松本先生だ。

優しい先生で、もう1人おばあちゃんができたみたいだった。文字はなかなか上達しなかったけど、毎週土曜日がいつも楽しみだった。

中学生になると、部活が忙しくなったので、長期休みの書道の宿題をしに、たまに通った。
高校生になったら通うこともなくなったけど、年賀状は毎年欠かさず送ってくれた。
大学を卒業して、社会人になった私は、自分の車に乗って、姉が帰省するとことあるごとに松本先生のおうちに遊びに行った。

いつも背筋がピンと伸びて、文字がきれいで、可愛らしい先生。
毎年送ってくれる年賀状が嬉しいのに、最近は返信をしていなかった。また会いに行けばいいと思っていた。

最後に会ったのは、令和元年の夏。
令和の言葉が入った和歌をいっしょに色紙に書いた。
冬にはコロナが流行り始め、高齢な先生のところに遊びに行くのは憚られた。

年賀状を書くときに、少し先生のことが気になった。でもわたしはまた今回も書かなかった。

1月6日、姉から兄弟のLINEに「先生が亡くなったの知らなかった」と連絡が入った。
確かに今年はいつも届く年賀状がなくて気になっていた。姉は毎年欠かさず出しており、今年は先生の娘から返事があったという。
確認したら、最後に年賀状をもらったのは一昨年だった。去年届いていないことも、わたしは気づいていなかった。

夫さんとはお見合い結婚で、顔も知らずに嫁いできたこと。
先生が担任をしていたクラスに、雌鳥歌子さんという生徒がいたこと。(歌うのは雄鶏なのにね、といっしょに笑った)
妹さんとのやりとり。
なかなか結婚しない孫のこと。
先生の家にある掘り出し物が詰まったクリスマスのプレゼント。
夏休みにお弁当持ってきての一日練習会。
遊びに行った時に、いっしょに収穫したブロッコリー。
先生の教室は、家や学校以外の、わたしの大切な居場所だった。

先生はおそらく99歳ごろだったのではないかと思う。もう一度会いたかった。

姉が帰省したら、おうちにお邪魔させてもらおう。
松本先生、本当にありがとう。
また会えるといいのですが。
わたし、今年結婚するかもしれないの。そのこと、先生に話したかったんだよ。

年賀状、出さなくてごめんね。
あと、習字の教科書、借りっぱなしだ。

さようなら、ありがとう。
またね。

先生のところでもらったブロッコリー

#エッセイ
#フィルム写真



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