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楽しいことこそ覚えていられないものだなあ

1年前に楽しかったことはなんですか?と聞かれて、即答できる人は少ないのでは、と思う。1分ほど振り返って「あれかな〜」みたいに答える。じゃあ、3年前は?と聞かれると、3年前に何があったかから振り返ることになるんじゃなかろうか。少なくとも、私はそうだ。

たぶん、人間は自分で思っている以上に、楽しかったことを覚えていられないのではないか。

ライブの記憶ってあんまりないことに気付いた

ステージバックシートで観たHIGH!HIGH!HIGH!

クリープハイプを好きになったのは、好きなバンドを聞かれても「知らないかもなんだけど、クリープハイプっていうバンドで…。」と答える(あるいはBUMP OF CHICKENですと言う)くらいの知名度だったころ。当時は大学生で、熱心にCD、ブログ、ライブを漁りまくっていた。

それからライフステージが変わり、熱が冷め、10年近いが経って「ライブ全通するか???」とトチ狂う勢いで再びクリープハイプを好きになったのが今年の9月です。

久しぶりのフェスとライブを体験して、楽しかったときの記憶ってわりと儚いのだなと思った。クリープハイプのライブを何回見たかとか、どの曲をやったとか、カウントダウンジャパンをどう回ったかとか。あんまり覚えていない。

断片的な瞬間の記憶はあるものの、テンションが振り切れるからか、こんなにも覚えてないものかと思ったりもする。

人間って、楽しかったことを覚えてるから何度も楽しいことをするというよりは、忘れてしまうから何度も楽しいことを重ね塗りするのかもしれない。

つらい記憶とか後ろ向きな考えとかは、あっという間に楽しいことを吹き飛ばせるのに、逆はけっこう難しいと思う。わたしの性格上かもしれないけれど。楽しさって、もろい感情だと思う。

忘れない工夫と、忘れてもいい工夫

こちらはおともだちのシルバニアと

今年9月に行ったフェスは、記憶が鮮明にある。最近のことだし、Spotifyでセトリのプレイリストも作ったし、noteにも書いたからだと思う。たぶん、このちょっとした記録が大事だ。

ライブは瞬間で、ほとんどは映像も音声も二度と味わえない。残しようもないことだらけだけど、自分の感じたことを言葉にしておくだけで、楽しかったことを残すことができる。音楽の記憶を、他人の口出しなく主観だけで残せるのは、けっこうな贅沢だ。

たとえばnoteに、たとえば手帳に、たとえばフライヤーの裏に、どの曲が嬉しかったとか、隣の人の感想が面白かったとか、思わず泣いてしまった瞬間とか、まとまっていなくても残しておく。セットリストをSpotifyのプレイリストで組んでみる(最近はTwitterでセトリ速報流してくれる人が多いので助かる)。

楽しいことがあった、ということを簡単に忘れてしまうから。

そして、覚えているうちに、次を予約する。そのバンドが解散しない限り、好きなフェスがなくならない限り、次のライブがあったり、チケットを取れたりするのってすごくありがたい。奇跡だ。たいてい、もらうフライヤーや会場の掲示板に次のライブが発表されている。「家に着くまで」を締め切りに、次の予約をするようにしている。

人生いろいろあって、NO MUSIC NO LIFE と叫ぶような時期は越えてしまった。ライブを見なくても生きることができるのは自認している。だからこそ楽しいことを取りこぼさないように、未来の自分に日付のついた楽しみを用意する

もちろん、音楽に関わらずだけど。未来の自分が忘れていても、好きなバンドに高揚する瞬間を思い出させてやりたいと思う。

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