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神様のセカンドオピニオン

一昨日のこと。母と長野の松本へ行った。
松本城を外からふんわり眺め、四柱神社を覗き、城下町の名残りのような店の通りを散歩しておやつを買って車に乗り込むという、非常にラフな観光。

「おみくじ引かなくていいの?」

四柱神社で拝んだ後、母に聞かれた。
もともとおみくじは大好きなのだが、ちょっと迷う。
わたし、ここ数年、「大吉」しか引いていないのです。

もう大吉以外を引くのが怖くなりつつある。それ以外は凶と同等な気がする。無職で新しいことを始めようとしている身なので、悪いこと書いてあると立ち直れないかも。

しかも、四柱神社のおみくじは自動販売機形式。
自動販売機にお金を入れると自動的におみくじが一枚出てくる仕組みだ。
この選ぶ余地のなさが逆に「神様の思し召しこれでーーーす」って感じで、当たる気がしておっかない。

まあでも引いた。
過去の栄光に縋るのとかカッコ悪いし...

結果は中吉だったが、割と厳しめだった。ほんとに中吉か?
「失せ物 手近にあるが見えない」とか「争い 十分でないから控えよ」とか...「ちょっと惜しいね〜!残念!」みたいな文章が並ぶ。

そして 学問の「雑念をすて目標を立てよ」。
見事に今のうわつきっぷりを指摘されていて、一周回って不貞腐れる。(神前やぞ)

「結んでいこ。で、おせんげんさんで引き直そう」

よその神社の中でする話として大変失礼なことだが、地元の浅間大社に縋ることにした。母は笑っていた。
「四柱神社の神様がこういう事言ってきたんですけど...初対面なのに酷すぎません?」みたいな、要はチクリだ。
ここ数年大吉を出してくれていたのはこの浅間大社だったので、彼女(浅間大社の神は木花咲耶姫)のおみくじを引くことにした。

そして昨日、地元を去る前に浅間大社に立ち寄った。
入念にお参りした後、おみくじを引いた。浅間大社のおみくじは、例えが無礼だがコンビニのくじと一緒で、たくさんのおみくじの中から一枚引っ掴んで自分で選ぶ形式のもの。
この、「自分で引き寄せた運命なんですわ」っていう感じ、好きだ。

さて、結果は中吉であった。
「失せ物 手近にあるが見えない」
「争い 十分でないから控えよ」

いや、待て待て。

「学問 雑念をすて目標を立てよ」

なんと。

四柱神社で引いたものと同じものが出た。内容はほぼ同じで、短歌や解説の言い回しがやや違うが、「今は辛いかもやけど報われるから頑張るんやで」の旨はほぼ一緒だ。

こんなことがあるのか。

かくして神様のセカンドオピニオンは同じ結果となった。わたしが浅間大社にチクるのは想定の範囲だったのだろう。
神様のホウレンソウの早さ、そして人間を見守る視野にひれ伏すばかりである。

私は「このセカンドオピニオンこそが雑念だった」と反省し、雑念をすて、目標を立てて学問に精進することにする。




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